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『モリコーネ 映画が恋した音楽家』(1月13日公開)

 ジュゼッペ・トルナトーレ監督が、師であり友でもある映画音楽の巨匠エンニオ・モリコーネに迫ったドキュメンタリー。

 ちなみに『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)以降、『みんな元気』(90)『明日を夢見て』(95)『海の上のピアニスト』(98)『マレーナ』(00)『シチリア!シチリア!』(09)『鑑定士と顔のない依頼人』(13)と、トルナトーレ作品の音楽はモリコーネが担当している。

 1961年のデビュー以来、生涯500作品以上もの映画やテレビの音楽を手掛けたモリコーネ。この映画は、彼へのインタビューというよりも“独白”を中心に、関係者の証言、作曲した映画の名場面、ワールドコンサートツアーの演奏などを織り込みながら、作曲の秘密を解き明かす一方で、パワフルでチャーミングなその人間性にも迫っている。

 この映画の素晴らしさは、もちろん、モリコーネの音楽自体によるところが一番だが、全編にトルナトーレのモリコーネへの素直な愛があふれ、編集のテンポもよく、その生い立ちから、仕事ぶり、悩みや屈折までを明らかにしていき、とても見応えがある。157分という長尺ながら、全く飽きさせない。トルナトーレ監督の最高傑作との声もある。

 「映画音楽の作曲は好きではなかった。屈辱だった。正当な音楽や作曲から見れば邪道」と卑下し、やめたいというモリコーネを、映画(監督)の方が求めて、離さない。だから映画の仕事が途切れない。やめられないという堂々めぐりを見ていると、やはり、彼は映画音楽の作曲者として天から選ばれた人だったのだと思わずにはいられない。
 
 また、監督たちとのエピソードを聞いていると、ひょっとしたら、モリコーネの方が監督よりも映画を理解しているのではないかと思わされるところがあるのも面白い。

 特に、小学校時代の同級生でもあるセルジオ・レオーネ作品におけるモリコーネの音楽は、レオーネの思わせぶりで冗漫な演出を補って余りあるものがあり、名画だと錯覚させる効果を発揮したと思う。とはいえ、この映画を見ていて泣けてしまうのは、やはり『ウエスタン』(68)であり、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84)のところなのだけれど…。

 登場する主な名場面は、『荒野の用心棒』(64)『夕陽のガンマン』(65)『続・夕陽のガンマン』(66)『ウエスタン』『シシリアン』(69)『殺人捜査』(70)『1900年』(76)『天国の日々』(78)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』『ミッション』(86)『アンタッチャブル』(87)『ニュー・シネマ・パラダイス』(88)『海の上のピアニスト』(98)『ヘイトフル・エイト』(15) …。

 主な証言者は、トルナトーレ、クリント・イーストウッド、ベルナルド・ベルトルッチ、クエンティン・タランティーノ、ウォン・カーウァイ、オリバー・ストーン、ローランド・ジョフィ、タビアーニ兄弟、ダリオ・アルジェント、リナ・ウェルトミュラー、リリアーナ・カバーニ、ジョン・ウィリアムズ、ハンス・ジマー、クインシー・ジョーンズ、ブルース・スプリングスティーン、ジョーン・バエズ、パット・メセニー…。

 ベルトルッチやストーン、タビアーニ兄弟といった監督たちが、モリコーネが作曲した自分の映画の音楽を、尊敬と礼を込めて、楽しそうに口ずさむ様子が、何だかほほ笑ましく映った。

『SHE SAID シー・セッド その名を暴け』(1月13日公開)

 大物映画プロデューサーのハーベイ・ワインスタインによる性的暴行を告発し、「#MeToo 運動」の火付け役となった2人の女性記者による回顧録を基に映画化した社会派ドラマ。

 ニューヨーク・タイムズ紙の記者ミーガン・トゥーイー(キャリー・マリガン)とジョディ・カンター(ゾーイ・カザン)は、大物映画プロデューサーのワインスタインが、数十年にわたって、複数の女性たちに行った性的暴行についての取材をする中で、彼が、これまで何度も記事をもみ消してきた事実を知る。

 被害女性の多くは示談に応じており、証言すれば訴えられるという恐怖や、暴行によるトラウマによって声を上げられずにいた。問題の本質が映画業界の隠匿体質にあると気付いた記者たちは、取材を拒否され、ワインスタイン側からの妨害を受けながらも、真実を追い求めて奔走する。

 ブラッド・ピットが製作総指揮をし、監督は『アイム・ユア・マン 恋人はアンドロイド』のマリア・シュラーダー。実際の被害者の一人であるアシュレイ・ジャッドが、本人役で登場する。

 新聞記者が大きな事件の真相を暴く、しかも実話の映画化という形式は、例えば、『大統領の陰謀』(76)(ワシントン・ポスト/ウォーターゲート事件)、『スポットライト 世紀のスクープ』(15)(ボストン・グローブ/カトリック司祭による性的虐待事件)、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』(17)(ワシントン・ポスト/アメリカ国防総省の最高機密文書)、『記者たち 衝撃と畏怖の真実』(17)(ナイト・リッダー/イラク戦争の大量破壊兵器捏造問題)など、枚挙にいとまがない。

 ところが、そのほとんどが、男社会の新聞社が舞台で、男性記者が活躍するというパターンだった。それに対してこの映画では、事件の内容もさることながら、2人の女性記者が中心になっている。そうした変化からも、これはまさに“今の映画”だと思わずにはいられなかった。

 記者が、単なるスクープ狙いではなく、本当に対象者の身になって取材し、それを記事にした。だからこそ、被害女性たちも声を上げたのだ。これが男性記者だったら、こうはいかなかったはずだ。否、そもそもこの事件を記事にしようと考えただろうかということ。これは報道の根幹に関わる問題でもある。

 この映画、娯楽的に見ても、全体的にテンポがよく、2人の女性記者の日常生活の描写や、サスペンスフルな話の展開という点でも見事なものがあった。マリガンが、『プロミシング・ヤング・ウーマン』(20)とは180度違う役柄を演じていたのにも驚かされた。

(田中雄二)