輪島のいまに出会う、食べる、楽しむ。私たちの明日の元気にもつながる催しです
■阪神梅田本店 1階 食祭テラス「にっぽん食むすび“輪島の食祭”輪島がいまできること」
■9/11(水)→16(月・祝)
■公式URL:https://web.hh-online.jp/hanshin/contents/str/20240911.html
■食祭テラス公式インスタグラム:https://www.instagram.com/hanshin_1ffoodevent/?hl=ja
輪島の方々の「今できることをやりたい」「職人が活躍する機会を作りたい」など様々な思いをうけ、阪神梅田本店が定期的に取り組む“にっぽん食むすび”のテーマとして、輪島の魅力を発信する催しを初開催いたします。
実は震災前から企画していた本イベント、状況は変わりましたが、大変な思いをされた出店者の皆さまが少しでも元気になるお手伝いをしたいと考えています。
“今できること”で作られた器や食に触れることは、私たちの明日の元気にもつながるはず。
ぜひ、この未来につながる6日間にご注目ください。
“にっぽん食むすび”とは
毎回テーマを設け、日本の食文化の魅力を伝えるイベントです。
「そ/s/KAWAHIGASHI」 中東篤志さんが手掛ける料理や、リカー売場バイヤー・山口がセレクトした日本各地のお酒、ナビゲー ター・真造の食にまつわるトークなどをもとに、食の持つ奥深さに迫ります。食べて・飲んで・触れて、そして現地に想いを馳せる。そんな新しい食の楽しさをご提案しています。
輪島とともに、未来を見据え 暮らしに寄り添う漆の器
先代が築いた木工所で修業し、木地業に留まらず造形・デザイン・漆器監修を行うなど、暮らしにとけ込む新たな輪島漆器の在り方を提案してきた「輪島キリモト」七代目 桐本泰一さん。漆芸の文化を守り、輪島全体の復興に向けて精力的に動くなど、妻 順子さんと二人三脚で活動を続けています。そこから感じるのは、桐本さんのひたむきな想いです。 出店者:「輪島キリモト」漆器
・暮らしを気持ちよく、便利に。 想いが込められた漆器たち
木と漆がいまの暮らしにとけ込む物作り。「輪島キリモト」が大切にしているコンセプトです。「毎日使うものだから、いまの暮らしにあったうつわを届けたい」と話す桐本泰一さん。輪島の漆器は、地元の珪藻土で作る “輪島地の粉”を下地に使うことが特徴で、これに蒔地 (まきじ)・千すじなど独自の技法を組み合わせることで金属製のカトラリーの使用も可能に。シンプルなデザインが多いのも、「幅広く日常使いができるように」と考えられたものです。また漆器は傷んだ際も“直す”ことができるため、長く愛用できることも魅力。
桐本さんは言います。「私は輪島が大好き。だから輪島を盛り上げるためにも、多くの人に地元の漆器のよさを知っていただき、身近に感じてほしいと思っています」
・なければ作ればいい。 職人に大切なのは作り続けること
その「輪島キリモト」に想像すらできなかったことが起こりました。工房建物は無事でしたが、作業場所の確保すらままならない状況。しかし決して諦めなかったのが桐本さん。「思いついたらすぐに、前向きにやる」というスタイル。場所がなければ作ればいいと、世界的に知られる建築家 坂茂さんと連携。坂茂さんが手掛ける紙管(しかん)を柱にした平屋建ての仮設工房をすぐに導入し、職人たちがより効率よく働ける場所を作り出しました。「自分にできることを考え、すぐに動きました。なぜなら、働けないなら輪島を離れ、職人も辞めると話す人も出てきたからです」。「職人というのは一度辞めてしまうと、もう遅い。少しずつ働ける場ができれば、きっと職人の気持ちも変わるはず。物を作り続けることが、私たちにとって大切なんです」
また桐本さんは、輪島であり、漆器の灯を再びともすため、新たな構想を描いています。それは“輪島の漆芸職人と協力して新しい仕事を見つける”という取り組みです。
・次代の担い手たちも登場! 「わじま工迎参道」
“もっと輪島の街を楽しんでほしい”という想いで、輪島の工房が協力し、2017年に立ち上げた「わじま工迎参道」。今回はこちらの特設ブースも登場します。木地師や塗師、若手創り手を中心に、自らの感性と新しい表現を具現化した作品たちにご注目ください!
できることを積み重ねて 再生と進化を目指す 伝統の味
酒蔵で醸される日本酒や、代々造り続けてきた醤油、また古くから評判の味を再現した肉まんなど、輪島の土地に育まれてきた様ざまな味わい。仲間たちのサポートや作り続ける中で培ってきた知恵、地道な味の探求などをもとに、あの味の復活であり、さらなるおいしさを目指す作り手のみなさんです。
出店者:「白藤酒造店」日本酒 / 「谷川醸造」醤油・味噌 /「輪島朝市横丁」 肉まん /「南谷良枝商店」干物ほか水産加工品
・蔵人たちの想いが実った老舗酒蔵「白藤酒造店」
<仲間たちが提案してくれた今年の酒造り>
江戸時代末期から酒造りを開始。現在は大学で醸造学を、能登杜氏のもとで酒造りを、学んだ9代目白藤喜一さんと妻 暁子さんの2人で酒造りを行う「白藤酒造店」。その時は、家族は自宅で過ごしており無事でしたが、醪の段階にあったタンクが被害に遭います。看板商品“奥能登の白菊”の醸造が危ぶまれる中、酒蔵に一筋の光明が差し込みます。窮地を知った長野県「湯川酒造店」が生活用水1,000リットルを届けにやってきたのです。そして空いた荷台に酒米1トンを乗せて持ち帰り、共同醸造を提案してくれました。
<来春には大輪を咲かせて>
そこからWEBで打合せを重ね、暁子さんが現地へ足を運び、「白藤酒造店」の醸造法を尊重してくれる形で無事に仕込みへ。できあがった“奥能登の白菊”は評判もよく完売したそうです。これについて白藤さんは 「自分たちの仕込みも忙しい中、私たちを助けてくれてうれしかったし、本当に励みになりました」。ほかにも 山形や福島の蔵元の協力もあり、酒蔵の想いをつなぐお酒が世に送り出されました。白藤さんは言います。「輪島には酒造りに大切な仕込み水と、契約農家にお願いしている優れた酒米があります。それらでまたおいしい酒を醸したいです」。そして「いまは在庫を販売している状態ですが、春には1本2本造ることを目標にしています」。奥能登の可憐な菊が大輪を咲かせる日は、すぐそこかもしれません。
<“能登の酒を止めるな!”被災日本酒蔵共同醸造支援プロジェクトのお酒も登場>
被災した5蔵と全国19の提携蔵が協力し共同醸造を行う“被災日本酒蔵共同醸造支援プロジェクト”。
このプロジェクトで「白藤酒造店」が取り組んだお酒が会場にも登場します。第一弾は福井県「吉田酒造」と、第二弾は奈良県「油長酒造」で酒造りが行われました。
7月上旬に「白藤酒造店」白藤喜一さんが「油長酒造」の代表銘柄“風の森”の蔵で、ここにある井戸の硬水を使い仕込んだお酒です。“奥能登の白菊”では初となる硬水コラボ仕込みのお酒にご期待ください。
・救い出した木桶で醤油造りを守り抜く「谷川醸造」
日本の食文化を未来に伝えたい創業は1904年。酒造業にルーツを持つ「谷川醸造」。
醤油は1918年から造りはじめ、“サクラ醤油”という名称で親しまれているほか、2011年からは諸味造りも復活させ、日本の糀文化を未来につなげる取り組みもはじめていました。その蔵を襲った大きな揺れ。発酵・熟成させていた諸味の多くはダメージを受け、使用する木桶も蔵から運び出すのが精一杯の状況に。しかし社長の谷川貴昭さんと妻 千穂さんは即座に動きます。再び醸造することを考え、木桶の菌は専門業者に保存を依頼、また木桶の修理も徳島県にある桶屋にオーダー。決して立ち止まることはなく、進み続けました。
<当たり前の毎日にあった、当たり前の感動を>
また同じ醤油ができるのか、という問いに谷川さんはこう答えます。「木桶の菌も残りましたし、桶の確保もある程度目途がついています。もちろん造り手も変わりません。おいしかった醤油はきっとできるはずです」。実際にいまでは今秋~冬には仕込みが再び行えるのでは、というところまで来ているそうです。またこうも続けました。「“サクラ醤油”はこの地で約100年、愛されてきました。大切なみなさんの、輪島の醤油です」。 「多くの方が以前の日常の感動を求めている。刺身は甘くて旨みの強いこの醤油で、と言ってくださる。それがすごくありがたい。だから、また造ります」。そう話した時の谷川さんの表情は、自信ではなく確信に満ちていました。
・想い出のままにはしない。あの味を再現した肉まん「輪島朝市横丁」
<“想い出の味を、もう一度食べたい” という声がきっかけ>
約50年前の輪島朝市で親しまれていた味“豚まん”。この味の再現に取り組んだのが坂井美香さんです。
東京に住みながら輪島の魅力に取りつかれ、遂には移住。現在はNPO団体“紡ぎ組”で地域の課題解決に取り組んでいます。そして朝市の名物肉まんの再現に取り組んだきっかけも地域住民の声から。“あの懐かしい肉まんが食べたい”という話が何回か耳に届き、「みなさんが喜んでくれるなら、自分で作ってみよう」と商品開発をスタートさせました。
<遂に完成した肉まん。そのおいしさは、時を越えて>
しかし完成までは試行錯誤の連続。何度も肉まんを作っては試食してもらい、一つひとつの意見を取り入れながらレシピを更新。いったん完成を迎えますが、そこから約1年をかけて味を調え商品化を迎えます。
「私は輪島が好きでこの地に来ました。だから地元のみなさんのお役に立てて素直にうれしいです」。「ただ想い出の味を超えるのは本当に難しかったです。でもこれから愛され続け、喜んでもらえれば」と坂井さんは言います。具材は肉の食感が味わえる能登豚と玉ねぎ、 たけのこ、そして包み込む皮は国産小麦を使用。シンプルな組合せだからこそ味わえる、素材のおいしさ。 あの頃の朝市の賑わいに想いを馳せてほおばる肉まんは、様ざまな人の願いが隠し味になったひと品です。
・一つひとつ丁寧に。想いのこもった滋味豊かな海産物「南谷良枝商店」
<受け継がれる真似のできない、こだわりの味>
地元で水揚げされた鮮魚を使った干物が評判の「南谷良枝商店」。お店は南谷良枝さんと娘の美有さんの二人で切り盛りしています。地元産の海産物にこだわり、干物に使う“いしる”は鯖100%使用で約5年熟成させる自家製のもの。また看板商品のひとつで、能登産の真いかの一夜干しと、約半年わじまの海塩に漬け込んだはらわたを使用した“母ちゃんの塩辛 柚入り”は、さわり心地で漬かり具合がわかるなど職人技と言える腕で、数々の人気商品を生み出してきました。しかし今回の地震では仕込んでいた自慢の“いしる”も使えなくなるなど、しばらくは新たな仕込みが難しい商品も出てしまうようです。
<“商いは人と人”。喜んでくれるお客さまのために>
ただし母も娘も決して俯いてはいません。「まだ今後 の目標は立ちません。でも輪島が好きですし、一番落ち着く場所。だから特別なことはできなくても、目の前のことを丁寧に一つひとつできれば」と良枝さんは言います。そういった姿勢もあり、素材の仕入れ先からは希少な能登の塩などもこれまで通り提供されているとのこと。また今回の大阪への出店は二人の励みになっています。「関西そして大阪にもお得意さまがいます。そういうお客さまの顔を直接見て、話して、楽しんでいただければ。ぜひ会いにきてほしい」と言います。毎日愛情を込めて仕込んだ“母ちゃんの塩辛 柚入り”も もちろん登場します。
食が持つ力を信じて 輪島を元気にするおいしさ
多彩な食文化が根付いている輪島。海に面した土地で醸すワイナリーや、人々の毎日に欠かせないパン、そして日々の暮らしを潤すお酒と過ごす時間。地震を経て、それぞれが感じた食の力を信じて、いまこそ食で輪島を元気に、笑顔にと取り組むみなさんです。
出店者:「ハイディワイナリー」ワイン /「ラポール デュ パン」パン /「mebuki-芽吹-」創作料理
・多くの人の力で今年のワイン醸造を目指す「ハイディワイナリー」
<潮風がもたらすおいしさ。 輪島でこそ生まれるワインを>
“海の幸を制する、海のワイン”を醸すことを目指す「ハイディワイナリー」。栽培期間中、畑では除草剤や化学肥料を使わずに自然に寄り添う形でぶどうを栽培。土壌のミネラル分や潮風が運ぶ塩分など、土地が持つテロワールを生かしたワイン造りが特徴で、 “アルバリーニョ”や“クララ”などが代表銘柄です。そのワイナリーも、震災直後はその存続の危機も頭をよぎったと言い ます。社長の高作正樹さんは「ワインは出荷できなくなったものも多く、水や電気もない。あの時はワインの醸造を考えることもできませんでした」と話します。
<ファンからの電話が、 新たなスタートの力に>
しかしあることをきっかけに事態が動き出します。
「ハイディワイナリー」のファンから徐々に電話がかかるように。そして口々に話すのは“ぜひワインを売ってほしい”ということでした。それを聞いた高作さんは決断します。「よし、もう一度やってやろう!」。しかし、電気は1月下旬に復旧しましたが水は4月に入るまで戻らないという状況。それでもまず仮設ワインショップをオープンさせ、ぶどう栽培もボランティアを募るなどし、懸命に前進し続けています。「いまは何としても9月頭を目途に醸造機械も復旧させ、またワイン醸造ができるようにしたいと考えています」と話す高作さん。「こだわりを実現するために探し続けて、やっと出会えた輪島の土地。思い入れのあるこの土地だからこそできるおいしさを、またみなさんにお届けしたいです」。その決意から生まれる2024年ヴィンテージは、きっと特別な1本になるに違いありません
・友人のアドバイスで復活した本格パン「ラポール デュ パン」
<評判のブーランジュリーに訪れた岐路>
ドアを開けると、甘い香りとともにショーケースにはいくつものおいしさが並ぶ。鹿島芳朗さん・美江さん夫妻と夫の両親の計4人で店を切り盛りするブーランジュリーが「ラポール デュ パン」。フランスのハード系パンが注目を集め、今では県内外から多数のお客さまが訪れる人気店です。震災当日について芳朗さんは、「当日は妻の実家に帰省中。数日後、何とか店に戻ったが電気・水道・ガスとすべてがストップしていました」。店内も物が散乱し、街の様子も一変。その変わり様に「このまま店をたたんで、大阪に出稼ぎに出ようかとも考えていました」。しかし友人との取りとめのない会話をきっかけに、再び店の開店を目指すことになります。
<チャレンジの先に得たのは、 ありがとうの言葉>
同じ輪島に店を持つ友人と互いの状況を話していた時です。
不意に友人は「俺はピザを焼くよ」と言ったそうです。給水所で水をもらえば何とかなるから、と。そして試しに焼いてみたところ、見事にピザが焼き上がりました。これを目の当たりにして芳朗さんは思いました。“きっと自分にもパンが焼ける!”。そこからは急ピッチで開店準備へ。「時には冷たい氷水を使う仕込みなど、想像以上にたいへんなこともありました。でも、お店のファンである輪島のみなさんに食べてもらいたいという一心で、頑張ることができました」と振り返ります。2月14日に店を再開した時は「お客さまのありがとうの言葉はうれしかった。もう一度パンを焼いて本当によかったです」。食祭テラスのある大阪は芳朗さんが修業時代を過ごした場所です。「大阪への出店にワクワクしています。食祭テラスには自慢のパンに加えて焼菓子もお持ちする予定です。古くからの友人たちや、これから出会う新しいお客さまに、ぜひうちのパンを楽しんでもらいたいです」。
・14人のシェフ・料理人が腕を揮う! 奇跡の居酒屋「mebuki-芽吹-」
<少しでも温かいモノを。 食が人を笑顔にする>
何人も慌ただしく行きかう厨房で、料理人に指示を与える声。その声の主はフランス料理の銘店で知られる 「ラトリエ・ドゥ・ノト」のシェフ 池端隼也さんです。池端さんは震災翌日から炊き出しを開始。“少しでも温かいモノを輪島の方々に届ける”という想いのもと、次第にメンバーも増加。“輪島セントラルキッチン”と名付けられたこの活動はピーク時には1日に約1,800食を作り、おいしさを通じて人々を励まし、輪島に元気を届けてきました。そして、その活動はいま次のフェーズへと進みました。「この街に明かりを灯し、みんなが笑顔になれる飲食店が必要」と池端さんは考え、そして産声をあげたのが居酒屋「mebuki-芽吹-」です。
<想いの強さが起こした“奇跡”。 食の力で新しい賑わいを>
池端さんのもとに集まったメンバーは、輪島で腕を揮ってきたシェフ・料理人の14名。
フレンチや和食、郷土料理、さらにはスペイン料理など、いずれもその道のプロばかり。まさに料理界の“ドリームチーム”と言えるメンバーです。「様ざまなジャンルのシェフ・料理人がいますから、何でもできます。でも全員がメインのシェフなので、メニューなどの意見をまとめるのがたいへんで」と池端さんはうれしそうに話します。また特筆すべきは全員を雇用しているところ。
メンバーのひとりで「のと吉」店主 坂口竜吉さんは言います。「家族がいるので給料が出る体制は安心できますし、料理人として生きる場が整いました。炊き出しを通じて“食の力”を改めて感じましたし、もう一度みなさんにおいしさを届けたいです」。屋号は“みんなの笑顔や笑い声が響いて、復興の芽吹きになれば”という想いで名付けられたお店。震災が生んだ絆からできた“奇跡の居酒屋”が、きっと新しい輪島の賑わいを生み出すことでしょう。
“にっぽん食むすび”の 私たちにできること
食の阪神ならではのイベント“にっぽん食むすび”。そのメンバーたちが、現地の素材を使ったおいしさやお酒などを提案します。「そ/s/KAWAHIGASHI」中東篤志さんが手掛けた、輪島や能登の食材を使い趣向を凝らした料理や、真造・山口の二人と輪島についてなどお話ができるバーをご用意。
・「そ/s/KAWAHIGASHI」 中東篤志さん一汁三菜企画
料理人であり、カリナリーディレクターとして活躍する中東篤志さんによる期間限定メニューが登場。
中東さんがその目利きに全幅の信頼を寄せる三代目 中小路武士さんが切り盛りする「中小路鮮魚店」から仕入れた能登の鮮魚を、うつわには全壊した桐本さんご自宅の近隣家屋から救出した御膳、器揃いの漆器を使用。中東さんが吟味した素材で、和食文化において基本とされる一汁三菜の献立をお楽しみいただきます。
「そ/s/KAWAHIGASHI」 店主・カリナリーディレクター 中東篤志 PROFILE
代々料亭を営む家系に生まれる。23歳になる頃、料理一家で育ったという自身のバックグラウンドを意識し始め、料理の道へ。日本で育まれる飲食文化の海外発信に専念するため、29歳でカリナリーディレクターとしてOne Rice One Soup, Inc.を設立。現在はニューヨークと京都を拠点に日本食のイベント企画や飲食店のプロデュース、食からの地域創生事業などを手がけている。
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