日時:10/17(木) 11:00
場所:福島県いわき市 雲雀乃苑
〒970-0223 福島県いわき市平薄磯宿崎地内
【除幕式ゲスト】
近藤真彦さん、石井ふく子さん、徳光和夫さん(司会)、加藤和也(ひばりプロダクション社長)、内田広之いわき市市長
本日10/17(木)、京都太秦映画村内にあった美空ひばりの記念館のエントランスでファンを見守ってきた等身大の美空ひばり像が、記念館の取り壊しのため、福島県いわき市 雲雀乃苑への移設が決まり、ひばりプロダクション社長の加藤和也、テレビプロデューサーの石井ふく子、近藤真彦、徳光和夫らの出席のもと、集まった600名のファンや地元の方々の前で除幕式が行われました。
移設される等身大のブロンズ製のひばり像は、彫刻家・川合敏久(昭和10年生~令和3年没)の作品。ひばりの旅立ちから5年後の平成6年(1994)、京都嵐山に建てられた「美空ひばり記念館」のエントランスに設置されて以来、「京都嵐山ひばり座」、今年の春に閉館した「京都太秦美空ひばり座」と30年に渡りファンと向き合ってきました。
和服で胸の前で手を組むその姿が、東日本大震災で犠牲者を悼むひばりと重なったことから、今や、ひばりファンにとって聖地ともいえる「雲雀乃苑」に移設が決まりました。
美空ひばりは、昭和62年(1987)10月9日、大病の後の復帰第一弾として「みだれ髪」をレコーディングしました。作詞は星野哲郎、作曲は船村徹。星野哲郎は新曲のコンセプトにいわき市の塩屋埼を訪れ、「♪髪のみだれに 手をやれば 赤い蹴出しが 風に舞う」の歌い出しで始まる「みだれ髪」を書き上げました。
昭和62年(1987)12月10日、復帰第一弾「みだれ髪」を発売。翌、昭和63年4月11日、ひばりは東京ドーム「不死鳥コンサート」のステージに立ち、「みだれ髪」を熱唱。ひばりは、見事、復活を果たし、「みだれ髪」も大ヒットします。
これを受け、「不死鳥コンサート」から半年後の昭和63年10月2日、「みだれ髪」の歌碑が、いわき市の塩屋埼の燈台下に、地元の方々によって建てられました。
ひばりは、その除幕式への出席を楽しみにしていましたが、体調がすぐれず、叶いませんでした。その後も、この地を訪れたいと思い続けていましたが、願いを果たせぬまま、平成元年6月24日、旅立ちました。
しかし、亡くなった後も、いわき市の皆さんのひばりへの想いは熱く、歌碑の隣りに、遺影碑が建てられ、その場所が「雲雀乃苑(ひばりのその)」と命名されました。
そしてこのたび、この場所に美空ひばり像がいわき市の方々のご協力の下、この 「雲雀乃苑」に移転されました。
除幕式に出席した加藤氏は銅像移設に尽力してくれたいわき市の方々に感謝しながら、「ここに来るべくして来た銅像のような気がします。二度と悲しいことが起きないように、うちのおふくろにも祈り続けてもらおうかと思っています」と話しました。
かつてテレビ番組のリハーサル中のひばりさんを見て「あのおばさん、歌うまいね」と話した逸話を持つ近藤は「ステージの隅でひばりさんから、『真彦ちゃん、私、うれしかったのよ、最近、歌うまいねって言われなくなったので、本当にうれしかったのよ』と言われました。そのあと、楽屋にも招待され、サインまでもらいました」とそのエピソードを振り返りました。
それ以来、ひばりさんとの親交が続いた近藤は、「亡くなって何十年と経ってから、このような除幕式ができる歌手はいないんじゃないかと石井先生と二人でお話ししました」と語りました。
また、ひばりさんと親交が深く、加藤氏の後見人でもある石井氏は「みなさんに集まってもらって、ひばりさんも喜んでいると思います。暇じゃなくてもここに来てほしい」と話し、徳光もこの除幕式の司会をしたことについて「本当にこんな光栄なことはなくて、司会者としてこれほどの勲章はないなと思います。」と語りました。加藤は「美空ひばり像をたくさんの方に見てほしいですし、この雲雀乃苑だけでなく、福島のたくさんの名所を回っていただきたいと思っております。」と語りかけました。
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