~滝野川会館大ホールで3月1日に開催&記念館設立に向けたクラウドファンディング受付中~
講演会の詳細
【講演会タイトル】芥川龍之介生誕祭 平野啓一郎 特別公演「芥川龍之介の眼差し」
【開催日】令和7年3月1日(土曜日)
【会場】滝野川会館大ホール
【定員】450名(無料・要予約・応募者多数の場合は抽選)
【申込み締切】令和7年2月12日(水曜日)必着
【申し込み方法】専用申込フォーム、メールまたははがき
【記入内容】(1)講演会名(2)郵便番号、ご住所(3)お名前(ふりがな)(4)年齢(5)電話番号※申込は1人1件まで。
【宛名・問合せ先】〒114-8503(住所不要)東京都北区役所文化施策担当課
TEL:03-5390-0093 E-mail:bunka-ka@city.kita.lg.jp
申込フォーム
東京都北区は、文豪・芥川龍之介の誕生日である3月1に記念イベントを開催します。本イベントは芥川龍之介の文学的功績を顕彰し、北区田端に開館予定の(仮称)芥川龍之介記念館の機運を醸成することを目的としています。
申込み受付は令和6年11月25日より開始しました。
講師には芥川賞受賞作家の平野啓一郎氏をお迎えします。平野氏による特別講演「芥川龍之介の眼差し」では、独自の視点を通して芥川龍之介の作品世界を語っていただきます。芥川作品が今もなお、どのように私たちを魅了し続け、心に響くのか、その秘密に迫ります。平野氏ならではの深い洞察をお楽しみください。
お住まいの地域に関わらずお申込み可能です。
なお、応募者多数の場合は抽選となりますが、東京都北区外にお住まいの方はクラウドファンディングの返礼品として当講演にお申込みいただくことが可能です。クラウドファンディングを通じてお申込みいただいた場合、お礼として本イベントのご招待券と芥川龍之介グッズをお送りします。
(仮称)芥川龍之介記念館クラウドファンディングについて
東京都北区では、令和8年度に(仮称)芥川龍之介記念館の開館を目指しています。
当記念館における芥川龍之介の書斎再現に向けてクラウドファンディングを受付中です!
芥川龍之介は大正3(1914)年から亡くなる昭和2(1927)年まで、東京都北区田端に暮らし、多くの作品を生み出しました。田端1丁目20番地にある芥川の旧居跡という唯一無二の土地の記憶をよみがえらせ、芥川の生きた時代、創作を支えた雰囲気を「体感(feel)」できる施設にします。
詳細を見る
申込み方法
ふるさと納税サイト「さとふる」もしくは専用フォームから
返礼品
- 芥川龍之介グッズ(一筆箋と手ぬぐいセット)(寄附金額:20,000円~)
- 田端ひととき散歩ご招待(寄附金額:30,000円~)
- 河童忌イベントご招待(寄附金額:30,000円~)
- (☆本イベント)芥川龍之介生誕祭イベント~平野啓一郎講演会「芥川龍之介の眼差し」~ご招待(芥川龍之介グッズ付き)(寄附金額:50,000円~)
- 田端ひととき散歩ご招待(芥川龍之介グッズ付き)(寄附金額:50,000円~)
- 河童忌イベントご招待(芥川龍之介グッズ付き)(寄附金額:50,000円~)
※北区民の方からのご寄附につきましては、返礼品の送付を差し控えさせていただきます。ご理解・ご協力をお願いいたします。
芥川龍之介グッズ(一筆箋表紙)
芥川龍之介グッズ(一筆箋中身)
芥川龍之介グッズ(手ぬぐい)
田端ひととき散歩の様子
令和6年度河童忌チラシ
登壇ゲスト:平野啓一郎(小説家)1975年、愛知県蒲郡市生まれ、福岡県北九州市出身。京都大学法学部卒。在学中の1999年に文芸誌『新潮』に投稿した小説『日蝕』で第120回芥川賞を受賞した。以後、一作毎に変化する多彩なスタイルで、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。
主な著書に、小説『葬送』、『高瀬川』、『決壊』、『ドーン』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』、『ある男』、『本心』等、エッセイに『本の読み方 スロー・リーディングの実践』、『小説の読み方』、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』、『考える葦』、『「カッコいい」とは何か』、『死刑について』、『三島由紀夫論』等がある。2024年、短篇集としては10年ぶりの発表となる最新作『富士山』を刊行。
芥川龍之介大正期を中心に活躍した、日本の近代文学を代表する作家の一人。独自の視点と鋭い洞察力で、短編小説を中心に数多くの傑作を生み出した。その作品は40を越える国・地域で翻訳され、現在も日本のみならず世界の人々に愛され、高い評価を受ける。
代表作として『羅生門』、『鼻』、『蜘蛛の糸』、『地獄変』、『藪の中』、『杜子春』等。
東京都北区と芥川龍之介
大正3年、東京帝国大学に通う学生であった芥川は、両親とともに田端435番地(現1-20)に新築転入した。同5年、「鼻」が夏目漱石に激賞され、卒業後は「芋粥」などを文芸誌に発表し新進作家として文壇に登場。その後、芥川は教員生活と並行し新聞紙上で文筆活動にも精を出し、鎌倉、横須賀などにしばらく居住したが、同8年、筆一本で立つことを決意し再び田端へと戻り創作に邁進する。名声が高まるにつれ書斎には訪問客が増え、近くに暮らしていた室生犀星、久保田万太郎らの文士、小杉放庵、香取秀真らの芸術家たちとも行き来を重ねるようになる。
人好きのする下町気質を存分に発揮し、芸術の分野や年齢にとらわれることなく交際を求め、田端文士芸術家の中心となった芥川は田端の「王様」と形容される存在となった。
しかし昭和2年7月24日、「唯ぼんやりした不安」という言葉を遺して自ら命を絶った。忌日は「河童忌」と呼ばれる。
記念館イメージ
記念館中庭イメージ
書斎イメージ
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