渋谷のアートギャラリー「GoFa」にて1月から絵画展 “IZUMI MATSUMOTO EXHIBITION 2012 Sketches of MADOKA” を開催中の漫画家・まつもと泉先生。その様子は【漫画】『きまぐれオレンジ★ロード』まつもと泉アート展レポに譲るとして、今回はまつもと先生へのインタビューをお届けしよう。
まずインタビューには闘病の話も出てくるため、まつもと先生の略歴を知っておいていただきたい。以下はGoFa発行の記念図録「SEASON」巻末プロフィールから一部抜粋したものになる。
【プロフィール】
漫画家
1958年10月13日富山県高岡市生まれ
<主な作品>
1984年 『きまぐれオレンジ★ロード』
1988年 『せさみ★すとりーと』
1994年 『新きまぐれオレンジ★ロード』
1996年 デジタルコミック CD-ROMマガジン『COMIC ON』
1999年 スーパージャンプ誌新連載開始前に原因不明の症状に悩まされ、活動を中断。
2004年 脳脊髄液減少症であることが判明。現在漫画家として再び活動を始める傍ら、同病の啓蒙にも取り組んでいる。
以上がまつもと先生に関する2004年までの主な動きだ。今回は病気の治療中から活動再開に至るまで、現在の心境、そしてファンとしては気になる「今後の創作活動」についてお話を聞かせてもらった。
――まずは“Sketches of MADOKA”無事開催おめでとうございます
ありがとうございます。
――今回の個展はロサンゼルスで開催された「アニメエキスポ2011(AX2011)」の凱旋展という位置づけですが、あちらのイベントにはどんな感想を持ちましたか?
アニメエキスポは15年前に招待していただいて、それ以来の参加になります。当時はまだ数千~1万人くらいの規模だったのですが、今回ひさびさに行ってみたら10万人規模になっていました。そんな中でたくさんの日本の漫画やアニメが紹介されていて、自分も15年ぶりに『オレンジロード』ファンの方々とお会いできて非常に有意義でしたね。
――ファンとしては先生が海外イベントにも参加できるほど回復されて喜ばしいです。現在の体調はいかがですか?
2004年に脳脊髄液減少症だとわかってから2度の治療を行なって、その後の経過でずいぶん良くなりました。一番ひどい時は絵を描くどころではありませんでしたが……。本当に描けるようになったのはここ数年のことです。2008年くらいまでずっと体調が不安定で、寝たり起きたりの繰り返しでした。
――もう完治はしたということでしょうか?
脳脊髄液減少症にはガイドラインがありまして、それに照らせば僕は完治に向かっているのではないかと思います。もう通院もしていません。本当は「もっと体調が良かったんじゃないか?」と思うこともありますけれど……今となっては以前、健康だった時の状況もわかりませんから。年齢による体調の変化もありますしね。
――昔と比べて、ご自身の中で考え方の変わった部分はありますか?
やはり「健康」のことですね。以前は、空気や水と同じで健康は当たり前だと思っていました。でも体を悪くしてからは、健康はお金では買うことができない、健康なのが一番幸せだと認識するようになりました。
――漫画家といえばハードワークな印象がありますからね
そうですね。以前の僕は夜行性で、寝る前に作品を描いて食事をとる、「食って寝る生活」だったから体重も今より20キロくらい多かったし、血糖値や中性脂肪とかも高めだったんです。今は医師に言われまして不摂生を控え、検査値などの数字にも気を配るようになりましたね。
――現在、趣味はありますか?
オフの時は音楽を聴いたり映画を見たりして過ごしています。特に僕の場合、音楽から受ける刺激というのは強いですね。最近凝っているのがiPhoneのネットラジオ(先生が取り出したiPhoneは当然まどかさんの壁紙)です。ネットラジオって24時間、ロックを流しっぱなしなんですよ。このラジオのアプリを入れて、ずっと聴いていると“ノッてくる”というか、聴きながら絵を描いています。今回の作品を描くときには特に役に立ちましたね(笑)。
――絵の上手さもさることながら、先生の描くキャラクターや世界観には80年代に生み出されたとは思えない、先進的な要素がたくさんあります。作品づくりのコツのようなものはありますか?
とにかく昔から、広くアンテナを張るように意識していました。漫画やアニメ、音楽や映画などいろいろですね。僕のデビューした時期はちょうど「ニューウェーブ」という漫画に対する言葉が流行りだした頃で、大友克洋さんとか江口寿史さんとか大御所が出てきた時代でした。庵野秀明さんがアマチュアでアニメーションを制作されていたのもこの頃ですね。こういった当時新しく出て来た流行や、おたく文化などにアンテナを張り、いろんなイベントを見に行って吸収したのが作品づくりにも生かせたと思います。
――キャラクターのファッション感覚も当時の少年誌としては斬新でしたね
僕は少女漫画がすごく好きだったので、その影響もあるでしょうね。少女漫画って毎日キャラクターの服装が変わるじゃないですか? 少年漫画では珍しいかもしれませんけど、考えてみたら「日常」なんだから当たり前。そういうのを読んでいたから、自分の作品でもキャラクターは学校で制服、家に帰ったら着替える。「昨日と同じ服は着ないんだな」と思ってもらえるよう気を遣って描いていました(笑)。
――初連載の頃から素晴らしいこだわりですね。ところで新作の刊行予定があるとのことですが、執筆状況はいかがですか?
現在、ネームはずいぶん完成してきています。あとは残りのネームも仕上げてから作画に入る予定です。
――新作の内容や、想定する読者層はどうなりますか?
脳脊髄液減少症の少女を主役にしたストーリーになります。そのまま僕自身の闘病を描くことも考えたのですが、従来の『オレンジロード』を読んできたファンの皆さん、さらに欲を言えばお子さんからご老人まで幅広く読んでいただきたい。そうするためには漫画として読みやすい物、自分の“色”を出した――『オレンジロード』もそうでしたが――学園とかラブストーリーを軸に作品を描く必要があると考えたんです。
――すでに新作のタイトルは決まっているのですか?
編集者との間で呼んでいる名前はあったんですが、まだ正式には決まっていません。いろいろ案は出たのですが調べてみるとダブっているタイトルがあったので……。作品のタイトルを決めるのが実は一番悩むんですよね(笑)。
――ほかに執筆を予定している作品はありますか?
ひとつ自分で手がけて止まっている、自分の中で引っかかっている作品があります。1999年に連載を予定していながら描けなかった『幕末綿羊娘情史(ばくまつらしゃめんじょうし)』という幕末のストーリーです。すでにプロットなどはあるので、やっていかなければと考えています。ただ、描きたい新作に関しては他にもあり、もうちょっとよく考えて決めていきたいと思っております。
――最後に、ファンの皆さんに向けてメッセージをお願いします
昨年、東日本大震災もあり、日本は大変な時代に入りました。
被害を受けられた皆様に対し深くお見舞い申し上げます。
被災地近辺よりお越しいただいたファンの方や
私の患っていた脳脊髄液減少症の患者の方々からも
暖かいお言葉、お気遣い、応援をいただく一方で恐縮に感じています。
長く応援して復帰を待っていただいているファンの皆様に私に出来る事は、
また作品を描く事だと思います。
自分の描いた漫画で、少しでもいただいた元気をお返しできれば
と思っております。
■取材後記
どうも。憧れのまつもと先生を前にして終始ガチガチだったヘタレライター・浜田六郎です。実際にお会いしてみるとまったく威張らない、気さくな先生で安心しました……。さて、「直接会えて羨ましいぞ」と思っている方に耳よりなニュースです。サイン会イベントの日はもちろんですが、それ以外の通常日にもまつもと先生がふらりと会場を訪れることがあるそうですよ。期間中は土日もやっていますから、仕事がある人もチャンスを逃さずぜひご来場あれ。
【イベント詳細】
“IZUMI MATSUMOTO EXHIBITION 2012 Sketches of MADOKA”
2012年1月7日(土)~2月12日(日) 12:00-18:00
1st ステージ: 1/7(土)~1/24(火)
1/25(水)展示替え 休廊
2nd ステージ :1/26(木)~2/12(日)
GoFa(Gallery of Fantastic Art)
東京都渋谷区神宮前5-52-2青山オーバルビル2F TEL :03-3797-4417
【追記】最終日スケジュール変更のお知らせ
本記事の掲載後、“Sketches of MADOKA”主催のGoFaから
スケジュール一部変更の重要なお知らせがありました。
2ndステージ最終日に訪問を予定している方はご注意ください。
●変更前
2/12(日) 最終日&じゃんけん大会 12:00-18:00
●変更後
2/12(日) 休館(ビル全体が休館となります)
2/13(月) 最終日&じゃんけん大会 12:00-20:00
※じゃんけん大会は19:00から実施