<横浜のココがキニナル!>
昔から新堀ギターという看板をいろんな地域で見ます。この間、埼玉に出かけたときにも見かけました。あの看板の新堀ギターって実態は何??(ねぎっこさんのキニナル)
※本記事は2014年12月の「はまれぽ」記事を再掲載したものです。
誰もが一度は目にしたことがあると言っても過言ではない(?)「新堀(にいぼり)ギター」という看板。
筆者も子どものころから街中でよく見かけ、実際に通っている友だちがいたことも覚えている。
現在もその看板は、“角が少し錆びたレトロな看板”として、昭和のイメージのまま街角に残っている。
そんな「新堀ギター」の実態を探るべく、取材依頼をしてみることに。
インターネットで場所を検索すると、「新堀ギター」は音楽学校で、藤沢市に本館とライブ館があることが分かった。電話で取材依頼をする前に、まずは現地へ行ってみよう!
本館は専門学校が併設され、突撃するにはなんとなく敷居が高い・・・。
そこでまずは、ライブ館1階のインフォメーションに行き、取材依頼をしてみるとすぐに話を通してくれることに。しばらく待つと、企画主任の小松﨑友貴(こまつざき・ともき)さんが対応してくれた。
しかも別の日に、代表の落合洋司(ようじ)氏がインタビューを受けてくれるという。
「新堀ギター音楽院」はバラック小屋で誕生
ライブ館地下1階にある、ライブバー「プレリュード」でインタビュー開始。
―「新堀ギター音楽院」の創業はいつごろですか?
1957(昭和32)年にうちの創立者である新堀寛己(ひろき)会長が、東京都杉並区阿佐ヶ谷の自宅でギター教室を始めたのがスタートです! 自宅のバラック小屋で小さな教室を始めました。でも当初は生徒がまったく入ってこなかったと言っていました。
現在は、2005(平成17)年に設立した「学校法人 新堀学園 専門学校 国際新堀芸術学院」の学長であり、「株式会社 新堀ギターアカデミー」の代表取締役会長を務めている。
―なぜ新堀会長はギター教室を始められたのでしょうか?
音楽は平和心を育む大本、ギターは素晴らしい心(脳)を育む元であると信じ、新堀会長が小学生時代に音楽家になることを決意したことがきっかけと聞いています。
―それで今もあるあの看板で宣伝したのですね
そうですね。最初は、細い角材で枠をつくって布を貼ったような“ステ看(捨て看板の略、電柱などに取り付ける簡易看板)”で宣伝。それで誰も来なかったので、1960(昭和35)年くらいに今もあるブリキの「新堀ギター」という看板に変わったと聞いています。正式名は“メラミン看板”。道路標識などと同じ素材です。
―どなたが看板のデザイン(フォント決めなど)をされたのでしょうか?
デザインは新堀会長です。日本で初めてシネマスコープ(映画でよく使用される画面の縦横比)が開始され、その迫力あるデザインに感動し決めたことです。
―どのように貼る場所を決めているのですか?
各地に「新堀ギター音楽院」をつくったら、そこに赴任した講師がご近所に挨拶に回りながら看板を貼ってくれるところを探します。探すというか・・・賛同してくれた方が、無料で貼ってくれているんです。
―賛同とはどういうことですか?
「心の糧になる良い音楽を全ての人々へ」。これがうちのコンセプトです。
音楽というと「習う」というイメージがあります。でもその敷居をもっと低くして、生活に音楽を取り入れて楽しもうという考えを持っているんです。その考えに賛同してくれたご近所の方が、「うちに看板を貼っていいですよ」と言ってくれることが多いんです。
ギターの教室をやるだけではなく、音楽を広める活動もしていかなければと思っています。
―教室はどのような形態でやっているのですか?
新堀ギターグループは大きく分けて「学校法人 新堀学園」と「株式会社 新堀ギターアカデミー」があります。音楽の専門学校と、ギター教室ですね。教室には本部直営の教室と、先生が独立したのれん分けのブランド教室があります。お寿司屋さんやラーメン屋さんと同じような感じですね。
―教室はどれくらいあるのですか?
直営の教室は、関東圏内に30教室。ブランド教室は現在かなりの数があり、詳細の数は分かりませんが、海外にも進出しています。看板をいろいろなところで見かけるというのは、それでだと思います。
―指導のこだわりは?
音楽教室は個室をつくることが多いのですが、うちはみんなで合奏をやることを基本にしているので、ワンフロアで練習をすることが多いです。
合奏をするために27種類の楽器を開発し、「新堀メソード」という新しい音楽表現法を新堀がつくりました。
音楽教室の料金体系は、コースによって変動し自分にあった練習方法や回数を選べるので、ライフスタイルに合わせ無理なく通うことができる。レッスン料金以外には、入学金(学生・未就学児6480円、一般1万800円)などがかかるとのこと。
―なぜ教室が全国に増えていったのでしょうか?
会長は、元々はたくさんの仲間を集めてギターオーケストラをつくりずっと維持したかったことと、ずっとそのメンバーの音楽で生きられる道をつくりたかったそうです。そのオケのメンバーを自分で指導して育てたわけです。
そのメソード(手法)は新堀メソードと呼んでいますが、会長始め職員が意識して教室を増やしていったこと、また、メソードが街で求められて増えていったこと、そしてプロを育てる専門校(学校法人国際新堀芸術学院)を巣立った人たちが郷里で教室を出すなど、さまざまなことで増えていきました。