2025.9.4/東京都中央区の日本自然保護協会にて
【東京・茅場町発】道家さんはこれまで20年以上にわたって自然保護の仕事に携わり、国際会議参加のため、毎年4、5回は海外に出張するそうだ。仕事の内容については本文に譲るが、海外出張といっても行き先は気軽に行ける都市とは限らない。2024年10月に参加した生物多様性条約第16回締約国会議(COP16)開催地のコロンビア・カリまでは飛行機を乗り継いでおよそ30時間かかったという。語学力や交渉力、調整力など知的体力もさることながら、肉体的なタフさも要求される仕事なのだ。
(本紙主幹・奥田芳恵)
国際会議で生物多様性条約をフォローアップ
道家さんは国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)の会長として世界中を飛び回っていらっしゃいますが、具体的にはどんなお仕事をなさっているのでしょうか。
1992年にブラジルで開かれた地球サミットで、気候変動枠組条約とともに生物多様性条約がうまれましたが、私は生物多様性条約をフォローアップしており、主にその情報収集と日本の取り組み状況についての発信を行っています。最近では、24年10月にコロンビア・カリで開かれたCOP16に参加しました。
その会議の位置付けと道家さんの役割について、簡単に説明していただけますか。
気候変動枠組条約は人とエネルギーの関係に関するルールを策定するものであり、生物多様性条約は人と自然の関係性を扱う条約です。現在、生物多様性条約には196カ国が加盟しており、締約国会議はその方向性やルールを決める場で、私はその交渉の過程でどのようにルールや目標が決まっていくかということを、日本のさまざまな機関に伝える役割を担っています。例えば、大学などの研究機関や関連するNGO、また行政機関としては環境省がメインで参加しているのですが、参加できなかった他の省庁にその詳細を伝えたりしています。
条約ができてからも、継続的にその内容が検討されているのですね。
COP16には金融機関や商社など民間企業の方を含め50人ほどが参加したのですが、私は08年の第9回から8回続けて参加していることもあって、そうした方々に会議のポイントや注目点をレクチャーする案内役も務めました。企業からの参加は、回を追うごとに増えてきていますね。
なぜ、民間企業がそうした会議に参加するようになったのですか。
近い将来、大企業に対して、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)による情報開示が求められると予想されていることが挙げられるでしょう。気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)、つまり脱炭素への取り組みについての情報開示は、すでに東京証券取引所がプライム市場対象企業に対して義務化しています。そうした流れもあり、TNFDに対応するための情報収集も盛んになってきたというのが一番大きな理由と考えています。
情報開示の義務化が進んでいる理由は、どんなところにあるのでしょうか。
例えば損害保険会社だったら、気候変動による自然災害の発生によって保険金の支払いが増加しているという現状があり、銀行の場合は、そうした問題を含めた融資先のリスクを測定する必要があります。つまり、脱炭素や自然環境の保全について企業がどれだけ理解し対策をとっているかが、業界における優位性保持につながると考えられるようになったからだと思います。
企業の意識も、だいぶ変わってきたということでしょうか。
そうですね。かつて、こうしたことに取り組むことはコストと捉えられてきましたが、今はコストはコストでも当たり前のコストと考えられるようになってきました。これまで私たちは自然がつくり出したもの、例えば海から魚をタダでもらってきたわけですが、それはもう無理であるという認識が浸透してきたのだと思います。
大学・大学院で哲学を専攻したワケ
ところで、道家さんは哲学の修士号をお持ちですが、今の自然保護のお仕事とは少しギャップがあるように感じます。
大学・大学院で哲学を専攻した理由は、私の名前が哲平だからです。
えっ?
いや、これは冗談ではないんです。子どもの頃、自分の名前を説明するときに「哲学の哲と平和の平」と言えばだいたい分かってもらえたのですが、中学・高校になると「哲学の哲」とは言っているものの、哲学とは何かということが気になり始めました。ところが、哲学の本を読んでも全然分からない。ならば大学で勉強してみるかと、哲学科に入りました。理系科目が苦手だったわけではないんです(笑)。
お名前がきっかけで専攻を決めたというお話は初めて聞きました。でも、哲学は全ての学問の源ですから、道家さんにとってはむしろ自然な選択なのかもしれませんね。
大学では、哲学の中でも「応用倫理」という学問に魅力を感じました。応用倫理というのは、新しく生まれるさまざまな社会課題をどう捉えていくかという学問で、当時、例えば「着床前診断をどう考えるか」というテーマがあって、受精卵を診断できる技術ができ、遺伝性疾患の発症の可能性などが予想できるようになったのですが、すると、こうした事実にどう向き合うか、法的にどう考えるか、そもそもそういう診断をすることが許されるのか、といった多くの課題が出てきます。そこで真の論点は何か、現実的にそれが許されている、あるいは禁止されている理由は何かといったことを突き詰めていくのが応用倫理で、哲学といってもかなり実践的な学問であると思います。
哲学というと、ギリシャ哲学のような古典的な学問のイメージがありますが、それだけではないのですね。それで、道家さんにとって「哲学とは」と問われたら、どうお答えになりますか。
これは先輩から教えられたことですが、「ボーっと認識していたものについて、じっくり考えること」と答えます。さきほどの着床前診断の話にしても、「新しい技術によって遺伝性疾患の有無が事前に分かるのはいいことだ」と漠然と捉えるのではなく、そこで一歩立ち止まって、その診断がどういう意味を持つのか、私たち個人の判断がどんな結果と責任をもたらすのかというところまで、じっくり考えるわけです。
たしかに、そこまで物事の是非を深く考えることは日常的にはあまりありませんね。
米国で博士号に相当する称号はPh.Dですが、このPhはPhilosophy、つまり哲学のことです。どの学問分野においても、ある対象についてとことん掘り下げて研究した人だけがPh.Dを称することができるわけで、哲学というのはまさにじっくり考えることといえるのではないでしょうか。
なるほど。後編では、もっとじっくりお話をうかがいたいと思います。
観葉植物のベンジャミン
道家さんのお気に入りは、オフィスに置かれている観葉植物のベンジャミン。毎朝、道家さんが水やりをするのだが、コロナ禍のときに枯らしてしまったこともあったそうだ。1990年代から日本自然保護協会の会報誌にも擬人化されて登場しており、ずっと大切にされてきた。だから、長期出張の際には必ず「ベンジャミンをよろしく」とスタッフにメモを残すそうだ。
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。







