2025.9.4/東京都中央区の日本自然保護協会にて

【東京・茅場町発】道家さんという珍しい名字について尋ねてみたら、先祖に道家清十郎という織田信長の家臣がいて、ゲームソフトの「信長の野望」にも登場しているとのこと。その後、子孫は松平家が治める岡山・津山藩に移り、この地で長崎・出島から入ってきた文書の解析を行ったという。道家さんのご両親は大学で教鞭をとり、お兄さまも研究者だったというから、やはり代々学者の血が流れているのだろう。お母さまの提案で、家族で道家のルーツを探る旅に行かれたそうだ。すごい好奇心と探求心である。

(本紙主幹・奥田芳恵)

英語の成績が悪かったことがきっかけで偶然、自然保護協会と出会う

道家さんは、哲学の修士課程を修了されて日本自然保護協会(NACS-J)に入られたわけですが、どんなきっかけがあったのでしょうか。

実は大学院の入試時に、修士課程に進めたものの、指導教官から英語の成績が悪すぎると言われたことがもともとのきっかけです。

今は、英語でお仕事もされているのに?

それまでは特に英語に力を入れて勉強したことがなかったので、そう指摘されて本腰を入れて勉強しようと思いました。そこで、私はあるインカレサークルに入ったのです。

それはどんなサークルですか。

翻訳で自然保護をしようという、ちょっと変わったサークルです。日本の自然保護の制度や仕組みを前進させられる文献をみんなで訳して、自然保護団体を応援しようという趣旨で活動していました。このサークルのクライアントの中にNACS-Jがあって、「この翻訳を手伝ってくれないか」という話があり、最初はアルバイトで入ったんです。

ということは、NACS-Jとの出会いは偶然だったと。

たまたまです。ですから、私は正式な採用試験は受けていません。NACS-Jも哲学の人を雇おうとは考えなかったでしょうし(笑)。

でも、道家さんの哲学を通したものの考え方や整理の仕方が、いろいろな人と話をして調整に当たるような仕事をする上で、大きな強みになったのではないでしょうか。

今になって考えると、そういうところはあると思いますね。

英語については、今はオンラインを含めた国際会議やミーティングで進行役を務められるようになっていますが、国際会議で学んだ英語なので、日常英会話が若干苦手だったりします。

そんなこともあるのですね。

最初のうちは、上司と一緒に国際会議に出て「メモを取って」と指示されるのですが、そこで話されるのはきれいな英語ではないんです。アジアのミーティングだと、インドなまり、ネパールなまり、バングラデシュなまりと、全員がなまっているんです。だから必死に聞いて、メモを取っていましたね。

もともとよく海外には行かれていたのですか。

これまでいろいろな国に行かせてもらいましたが、初めての海外は国際会議でした。プライベートで海外に行ったことは、おそらくありません。

それもちょっと意外です。ところで道家さんはNACS-Jに所属されながら、国際自然保護連合日本委員会(IUCN-J)の会長を務められていますが、両方の組織の仕事をこなされているということですか。

NACS-JはIUCN-Jの事務局となっており、IUCN-Jにはさまざまな団体(外務省、環境省、WWFジャパン、日本動物園水族館協会など)が加盟しています。NACS-Jでは広報、経理などの仕事が分業化していますが、IUCN-Jでは私が広報も経理も担当しています。小さな組織体ゆえに若い頃からマネジメントを任されており、全体を見ることができ、いろいろなことが試せる点はよかったのではないかと思います。

自然に対するネガティブな状況を反転させるためにできること

ということは、IUCN-Jの活動のほとんどは道家さん1人でなさっているのですか。

日常的な連絡業務などは、私ともう1人の職員でこなしているのですが、ものによっては大きなチームを編成して行うこともあります。そこがIUCN-Jという組織の面白いところで、例えば丸一日かけたシンポジウムを開く場合、最初の部分は私のほうでデザインし、キースピーカーの手配などを行いますが、その後は分科会として各団体に運営を依頼するのです。するとWWFの分科会、野鳥の会の分科会、環境省の分科会というように数多くのミニシンポができ、そうすれば事務局の人数は1人か2人で、200人も300人も集まるシンポジウムの開催が可能になるわけです。また、国際自然保護連合(IUCN)のネットワークを使って海外の方とつながることも容易です。

2025年4月に、それまで務めてきた事務局長から会長になられましたが、ご自身としてどう思われましたか。

ちょっと早いのではないかというのが、正直なところですね。私は8代目の会長になるのですが、歴代の会長はすごい方ばかりで、上野動物園の園長を務めた方、国立公園の休暇村の制度をつくった方、生態学を日本に導入した方といった、そうそうたるキャリアをお持ちの方々です。ただ私は、生物多様性条約の締約国会議にはいちばん多く参加し、よくその内容を理解しているので、思い切って動く役割を期待されているのかもしれません。

具体的には、どんなことを期待されているのでしょうか。

22年にカナダ・モントリオールで開かれた締約国会議で打ち出されたキーワードは「ネイチャー・ポジティブ」でした。その意味するところは、自然に対してネガティブな現状をポジティブに反転させることに挑戦するということです。自然に依存し、さまざまな資源を消費する人類は、消費する以上にそれを自然に戻す社会に変えていかなければならないわけです。

とても難しい課題ですが、例えば、先日、生保業界からの依頼で「ネイチャー・ポジティブ保険」というテーマで講演をしました。自然に寄与するビジネスに対して保険料率を下げることで、金融の仕組みを通じてネイチャー・ポジティブへの反転を狙うという考え方です。簡単なことではありませんが、いろいろな分野でこうしたアイデアを生み出し、実践につなげていくことが求められていると思っています。

果てしない課題のように感じますが、そうした努力や工夫をコツコツと重ねていくことが求められるのですね。

私個人や一つのNGOでできることは限られていますが、こうした考えをいろいろな人や組織に広めて、みんなで取り組んでいくことが不可欠だと思います。

25年3月には、オンラインコミュニティー「Nature+」を立ち上げました。このコミュニティーを通じてネイチャー・ポジティブに関するイベントやニュース配信、定例交流会などを実施しています。こうしたメディアを通じて、ぜひこの問題に関心を持っていただければと思います。

今日はとても大切なお話をうかがいました。お忙しい毎日と存じますが、お体に気をつけてますますのご活躍を!

こぼれ話

「さわやか」は秋の季語のはず……いつになったら、さわやかな秋は訪れるのだろうか。秋の気配が全く感じられない9月上旬、暑さにうんざりしながら道家哲平さんの元へ向かう。国際自然保護連合日本委員会の会長に就任された道家さんは、「ネイチャー・ポジティブ」というキーワードとともに、その取り組みを広めていきたいと話す。

これまでの環境配慮は、自然に対するマイナスの影響を軽減し、ゼロに近づけるという考え方であった。しかし、消費する以上のものを自然に返していかなければ、もはや自然環境が回復に転じることはない。「自然の危機が止まらない」。その危機意識を共有するため、大きな転機になるキーワードが「ネイチャー・ポジティブ」ということだ。

日頃、自然の危機を考えることがなくても、猛烈に暑く長引く夏に誰もが異変を感じていることだろう。地球が沸騰しているかのような危険な暑さだ。道家さんは「子どもたちが外で遊ぶ機会を奪ってしまいましたね」と、すっかり外遊びできなくなった現状を憂いた。

保育園に通う私の娘も、夏の間はお散歩に行けず、公園でのびのびと走り回ることもできていない。経済活動と引き換えに無くしたものは、じわじわと広がり、その影響は長く続いていく。

哲学を勉強したのも自分の名前がきっかけ、日本自然保護協会との出会いも偶然。道家さんは、きっかけや偶然を大切に捉えて、それを楽しんでおられるように感じる。柔軟な思考でチャレンジしつつ、どれも深堀して自分のものにしてこられた。探求心とやりきる力、そして日々を楽しむ力が備わっているように思う。環境が異なるさまざまな国際会議で鍛えられたタフさも、日々を楽しむための重要な要素なのかもしれない。

「ネイチャー・ネガティブ」から「ネイチャー・ポジティブ」へ。新たな価値観が生まれ、広がる世界がそこまできているように思う。これからも道家さんの活動に注目していきたい。(奥田芳恵)

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。