2025.9.29/東京都中央区のサロン・ド・エンジェル・エンジェルにて

【東京・日本橋発】元格闘家の大山さんと元アイドルの桜華さんご夫妻は「美女と野獣」の組み合わせのような気もするが、お二人ともとてもアクティブで自由な心の持ち主だ。大山さんが現役の格闘家時代、桜華さんはそのサポートを生活のメインに据えていたが、引退後はケニアに8回も行かれたそうだ。子どもの頃、ユニセフの番組でアフリカの難民の姿を見てから、ずっと気にかけていたという。おそらくそうした純粋な思いはお二人に共通しており、それが現在の活動につながっていると感じた。

(本紙主幹・奥田芳恵)

安定した人生を選ぶか ドキドキ・ワクワクの人生を選ぶか

PRIDEのリングに上がりたいと思ってから、大山さんはどんな一歩を踏み出したのですか。

会社の柔道部には内緒で、小さな格闘技の大会に出場していました。そんなとき、私に興味を持ってくださった方がいて、実はその方はPRIDEの関係者だったんです。

すごくラッキーな出会いですね。

そして、米国の「キング・オブ・ザ・ケージ」という大会に出ないかと声を掛けてくださったんです。でも、プロとしてその大会に出るのですから、会社を辞めなければなりません。

そこは悩みどころですね。

勤めていたのはガス会社でしたから、そこに残れば確実に安定した人生を送ることができます。でも、プロに行けば先は見えないながらも、ドキドキとワクワクに満ちています。もし会社に残れば、子どもの頃から描いていたヒーローになるという夢が実現しなくなってしまうと思ったんですね。

それで、プロの格闘家を選んだのですね。

でも、その大会の相手はヘビー級の元チャンピオンでした。体格もパワーも大きく上回ります。ところが、相打ちになったその瞬間、足が滑ったタイミングで私のパンチのパワーが最大化し、わずか開始17秒でKO勝ちしてしまったんです。それが話題となり、PRIDEで桜庭和志さんに勝ったヴァンダレイ・シウバと対戦することになるのです。

ついに、PRIDEのリングに上がるという夢が実現したのですね。

桜庭さんの試合を東京ドームで見たのが、2000年5月1日で、私がPRIDEのリングに上がったのが01年5月27日でした。

その間、わずか1年ですか。あこがれの世界に立ったとき、どんな心境でしたか。

映画の世界にいるようでしたね。こういったポイントとなる局面で、奇跡が何度も起きました。

その後も骨折や網膜剥離などで体はボロボロでしたが、K-1でピーター・アーツに勝ちたいと練習とメンタル・リハーサルを重ねていました。05年大晦日の「ダイナマイト」の大会に備えていたものの、出場のオファーはありませんでした。ところが、大会の9日前にマッチメイカーから連絡があり、ピーター・アーツの対戦相手が戦えなくなったと。このとき、準備ができていたのは私だけでした。そして、試合ではメンタル・リハーサル通り、一本勝ちを収めることができました。

まさに奇跡ですね。でも、準備を重ねられていたからこそ、夢を現実にすることができたのでしょう。

アスリートのセカンドキャリアと社会貢献

プロ格闘家として、いつまで続けられたのですか。

40歳のときまでですね。14年12月に引退しました。

それから10年経ちましたが、当時、次の目標をどう定めましたか。

アスリートのセカンドキャリアはとても大変で、引退したとたん、大海原に投げ出されたような感覚でした。現役のうちに考えておけ、とはよく言われますが、そうそう考えられるものではありません。ただ幸いにも、私には異業種の友だちが多かったのです。「社会人の白帯だからいろいろ教えてください」とお願いして、いろいろなアドバイスをいただきました。

それまでは「相手に勝つ」ことだけに集中していたのに、今度はいろいろなことを考えなければなりませんものね。

そこで目をつけたのが、厚生労働省による企業へのストレスチェックの義務化でした。そこで、運動プログラムを研修化することを考えつき、新たな目標ができたのです。この目標を新たに設定できたことがうれしくて、すごい勢いで営業を始めました。

営業は苦労しませんでしたか。

格闘家というバックボーンがあるので、みなさん興味を持って話を聞いてくれました。5年間で100社、「ファイトネス」という研修をやったんです。その後はコロナ禍で中断してしまいましたが……。

ファイトネスというのは、どういうものなのですか。

鬼ごっこをしたり、うちわや風船などを使って格闘技の動きをゲーム感覚で味わいながらチームビルディングにつなげるものです。大人たちがお祭り騒ぎで楽しめる研修です。こうした喜びの共有体験で相手のことを知り、仲良くなれるわけです。

ある大手企業では多くのさまざまな研修を実施されているのですが、その中でファイトネスが一番に選ばれたということです。

現在は、どんな活動をされていますか。

いまは研修に加えて、講演が増えてきました。あとは、マンツーマンのパーソナル研修で、その多くは経営者向けとなっています。

お二人は、You-Do協会の活動もされていますが、具体的にはどんな活動をされているのでしょうか。

障害児や児童養護施設の子どもたちとアスリートをつなげてみようという試みで、きっかけは柔道の山下泰裕先生が「アスリートにはすごい力があり、アスリートが社会貢献をすることが世界平和につながる。僕はそれを信じている」とおっしゃったことです。その「信じている」という言葉があまりに腑に落ちて、純ちゃん(純子夫人)に相談してこの活動を立ち上げました。

コロナ真っ只中の20年2月に設立したので、イベントはオンラインで行いました。オリンピアンを含むアスリートを20人以上集めて、障害児のご家庭とアスリート1人を結んだのです。

ラグビー元日本代表の大野均さんもその1人ですが、難病でうまく歩けない子の「国立競技場を歩いてみたい」という願いをずっと覚えていてくれて、自ら交渉し、それを実現してくれました。

まさにアスリートの力ですね。

そのほかの活動としては、児童養護施設にクリスマスケーキを届けています。始めてからもう17年になり、みなさんのご協力により規模が大きくなって、いまでは1500人以上のお子さんに届けられるようになりました。また、夏祭りや募金活動なども行っています。

今後は、どんな夢を目指していかれますか。

以前は夢をかたちにすることを目指して生きてきましたが、未来だけに目を向けるのでなく、今を丁寧に味わおうと考えています。その先に想像を越えた未来が見えてきて、世の中に貢献できればいいですね。

私は、夢は描くことで、そこへ向かい信じて行動をすると実現するものだと思っています。小さい夢も大きな夢もありますが、そのために準備し、自分を全面的に信じることが大事だと思います。

とても中身の濃いお話をありがとうございました。これからも仲良くお元気でご活躍ください。

こぼれ話

「ご縁つなぎ」で人と人とがつながって、仲良くなっていくのを見るのがとてもうれしいと話す大山峻護さん。純粋に人と人が出会い交流する機会として、「大山会(おおやまかい)」と言われる食事会を長年続けている。「この人とこの人を会わせてみたら良さそうだな」と知人の顔が浮かぶそうだ。

みんなに興味を抱き、一人一人を良く知らなければ、「会わせたいな」という気持ちは湧いてこない。人が好きで、人を大切に思う大山さんだからこその得意技なのかもしれない。

くるくると変化する豊かな表情と丁寧な話し方、大山さんから格闘家らしさを感じるのはTシャツ姿の体格だけ。話せば話すほど優しさが溢れてくる。大山さんに人が集まってくるのがとても良く分かる。それは、強力なリーダーシップとは少し違う。人を認めてふんわりと包んでくれる、そんな心地よさに引き込まれるのではないかと感じる。

大山さんの格闘家人生を代表する名試合がある。2005年、年末のK-1プレミアムダイナマイトでの大山峻護対ピーターアーツ戦だ。この試合はピーターアーツの対戦相手がけがをして、急きょ、9日前に決まった。でも大山さんは準備万端。当初、対戦相手に選ばれなかったが、ずっとメンタル・リハーサルを継続し、合宿まで行ってピーターアーツ戦に備えてきたのだから。

試合はミスターK-1のピーターアーツに、わずか30秒で勝利。この30秒がずっとイメージしてきたとおりと聞いて鳥肌が立った。大山さんは自らの活動を通じて「夢を見ること」と「かなえる喜び」を伝えてくれた。

心配なことに、大山さんは難病を患っている。でも心穏やかで、表情は愛に満ちている。桜華純子さんがそばにいること、絵に没頭できることが、大山さんの心を一層豊かにしているように感じる。お二人には、自分に合ったゆったりした歩みで、これからを過ごしてほしいと思っている。(奥田芳恵)

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。