YouTubeもNetflixもない時代、人々を夢中にさせた“物語り”の芸があった――。“たまたま”講談界に入った四代目・玉田玉秀斎(たまだ・ぎょくしゅうさい)が、知られざる一門の歴史物語をたどります。
前回は、玉田家再興にあたり「三つの大願」をお話ししました。今回はその一つである神道講釈―神社で古事をひもとき物語を語る―が、甲斐國一宮浅間神社で形になったお話でございます。
▼浅間神社の桃
毎年、山梨県の浅間神社で開催される「桃まつり」。これは10年ほど前に新しくできたお祭りです。
この地域は、言わずとしれた“桃どころ”。桃が数多く栽培されます。浅間神社には、その桃ゆかりの仕掛けが、もうひとつございます。桃の実に見立てた石を、富士山型の穴めがけて投げ、砕いて厄を祓う。その名も「桃之玉石投げ」でございます。
ところが、桃が厄よけになるわけ、その“物語”は、意外と知られておりません。
「なぜ桃で厄が祓えるのか」。その根っこをたどりますと、古事記のあの場面に行き当たります。
伊耶那岐神(いざなぎのかみ)が桃に「人々の苦しみを救え」と命じ、“意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)”という名を与えた――。
この物語を知って桃を栽培すれば、苦労の中にも喜びや誇りを感じていただけるのではないか。そんな願いが、桃まつりには込められております。
そして2025年、その思いを受けて、私が神道講釈をさせていただけることになりました。
お伺いしたのは7月20日。
その日は毎年恒例、人形師・百鬼ゆめひなさんの奉納人形神楽がございました。
演目は、コノハナサクヤヒメの物語「創作人形神楽 神の運命(さだめ)」。
ゆめひなさんが操る人形と和楽器奏者・木村俊介さんが奏でるさまざまな楽器と歌。それらが混ざり合い、幻想の中で物語られたのは、コノハナサクヤヒメが産屋に火を放ち、火照命(ほでりのみこと)・火須勢理命(ほすせりのみこと)・火遠理命(ほおりのみこと)を産むお話。
「こんな表現の仕方もあるのか」と、かなり刺激を受けました。
そして翌21日。
毎年恒例の奉納落語、春風亭柳枝(しゅんぷうてい・りゅうし)さんの落語会。その合間で、神道講釈をさせていただくことになりました。
柳枝さんの品のある江戸落語で幕が開き、いよいよ神道講釈でございます。
▼黄泉の追っ手を退けた桃
さあ、浅間神社。
南側に鳥居がございます。そこからまっすぐ進むと本殿――と言いたいところですが、そこには本殿はない。なんと九十度、西に曲がった先に本殿があるのです。
なぜか。南側にある富士山が、万が一噴火したとしても、神様をお守りできるように、本殿を富士山に向けなかった。
これを知ってお参りするだけでも、普段とは違うお参りができると思います。
さて、日本誕生はイザナギ、イザナミによって成し遂げられました。二柱(二神)から多くの神々が生まれていきます。ところが、イザナミは火の神を産んだときに燃えてしまい、そのまま黄泉の国へ行ってしまいました。
残されたのがイザナギ。悲しくて、悲しくて仕方がない。
イザナミに会うため、意を決して黄泉の国へ向かいます。辺りは真っ暗闇。やっと会えたイザナミに、イザナギは必死に頼み込む。
「一緒に帰ろう」
ところが、イザナミは言うのです。
「黄泉の国の食べ物を食べてしまったので帰ることはできない」と。
それでも帰ろうと迫るイザナギの気持ちに、心揺れたイザナミは、こう言い残しました。
「それでは、黄泉の国の神々と話をしてまいります。しかし、決してその姿、見ないでくださいね」
これを言われて、見ない方は少ないんです。
イザナギもご多分に漏れず、イザナミの姿を見てしまう。すると、その姿の醜いこと。
「見たなぁ」
振り返ったイザナミと目が合ったイザナギは、逃げ始めました。追いかけるイザナミと、黄泉の国の怪物・ヨモツシコメ。
実は、イザナギよりもヨモツシコメの方が足が速い。
追いつかれそうになったその時、イザナギが黒御縵(くろみかずら)を投げつけると――
デラウェア、シャインマスカット、甲州の実がなった。あまりのおいしさにヨモツシコメが足を止めた。
しかし、すぐに食べ切る。そして、また追ってくる。
イザナギは、ようやく黄泉の国の出口が見えるところまでたどり着きました。ところが背後では、ヨモツシコメが今にも追いつかんばかり。
「もはや、これまでか」
そう思ったとき、目の前に立っていたのが、桃の木でございます。
その実をとって投げる。すると、なんとヨモツシコメたちは逃げ始めた。
「あぁ、助かった。桃よ、これからも人々が苦しんだときには救うのじゃ。意富加牟豆美命の名を与える」
イザナギはそう言ったのでした。
そんな桃が、日本一生産されている山梨県。山梨がいかにすごいところなのか、少しでも感じていただけたらうれしいです。
――そんなお話をさせていただきました。
ただし、この物語、全部は信じないでくださいね。多少の脚色がされております。講談師ができることは、皆さまを「知的好奇心の扉の前」までご案内をすることだけです。
このお話にご興味を持ってくださった方は、ぜひご自分で古事記を紐解いてください。そして、甲斐國一宮浅間神社にお参りください。
◆四代目・玉田玉秀斎
玉田家は幕末、京都を拠点に活躍した神道講釈師・玉田永教の流れをくみ、三代目玉秀斎は『猿飛佐助』『真田十勇士』『菅原天神記』『安倍晴明伝』などを世に広め、明治大正期の若者に大きな影響を与えた。四代目玉秀斎はロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、逆に日本に興味を持ち講談師に。英語講談や音楽コラボ講談、地域に残る物語に光を当てる“観光講談”に力を入れ、ホームレス経験者への取材を元にしたビッグイシュー講談、SDGs講談など創作多数。さらに文楽や吉本新喜劇、地域の伝統芸能とのコラボ公演も多い。2024年3月三重大学大学院修士課程「忍者・忍術学コース」修了。2024年4月より和歌山大学大学院・観光学研究科後期博士課程にて研究中。







