渡辺大知(C)2025 ぴあ、ホリプロ、日活、電通、博報堂、一般社団法人PFF

 大阪から奈良に移住してきた青年・駒井は、御所市に代々暮らす老人・梅本から購入した古民家の改修工事を進めている。たびたび様子を見に訪れる梅本が語る昔の町や家に流れてきた時間の話が、駒井に大切な風景を思い出させる。『おばけ』でPFFアワード2019グランプリを受賞した中尾広道監督が、第28回PFFプロデュース作品として製作し、奈良県御所市を舞台にモノクローム映像で撮り上げた『道行き』が公開中だ。本作で主人公の駒井を演じた渡辺大知に話を聞いた。


-まずこの映画に出演した経緯から伺います。


 中尾(広道)監督が作った『おばけ』という作品を拝見した時に、とても興味を持ったので、上映後にこちらからお声掛けをしました。その縁もあって、今回初めて座組の大きな映画で監督をするとなった時に声を掛けていただきました。脚本を読むと、枠にとらわれないものだったので、撮影の仕方によってどんどん物語が変わっていきそうだと思い、撮りながらワクワクしそうな映画だと感じたので出演を決め、ぜひ一緒にやりましょうとなりました。


-モノクロでノスタルジックな感じがあって、古民家、古時計、8ミリカメラといった大道具や小道具がたくさん出てきますが、そうした世界をどう思いましたか。


 今回は、監督と事前に何度も話し合いをしました。例えば、監督から「確かに時間を描く作品ではあるが、単にノスタルジックなものにはしたくない。モノクロだからといって、昔っぽくとか、回顧趣味的な映画にしたいわけでもない」と聞いたので、「それなら逆にカラーの方がいいのでは」という提案もしました。でも監督から、「時間軸がいろいろと飛ぶ作品でもあるし、8ミリフィルムと現代のデジタルで撮っている映像を同列で見せたい。今どこにいるのかが分からなくなるような映画にしたい。カラーにしてしまうと、ここは幻想や夢だと伝えてしまうことになるので、見る人は作為的に感じるのではないか。だからモノクロで統一する」という理由を聞いて、監督の意図もくみ取れたし、すごくふに落ちたので、監督に委ねようという気持ちになれました。話し合いを重ねてよかったと思います。


-本作にはドキュメンタリーのようなところもあって、渡辺さんが一般の人たちにインタビューをする場面もありましたが、それはどんな感じでしたか。


 撮影前はいろいろと考えましたが、撮影をしてからは、思いを伝えたい人が、ちゃんとこの映画の中で生きているというふうに思えました。だから、役者をやってきたかどうかは関係なく、この映画に必要な人たちがたくさん出てくるのでそれはすてきなことだと思いました。自分はこの町にゆかりはないので、町に対する特別な思いはありません。この映画ではどういう存在でいればいいのかというのを自分なりにすごく考えて、この町に住んでいる人たちと映画を見てくれる人たちとの橋渡しのような存在になれたらと思いました。


 インタビューの仕方も、映画を見ている人の目線で、客観的に見ているような、眺めているような感じにしましたし、あまり感情を乗せないでやることを意識しました。ある意味、カメラみたいな感じです。カメラには感情がないし、ただ記録するだけですが、記録したものには何かが宿っていたりする。僕が演じた駒井という人物そのものがカメラの役割というか、移り変わる町並みを見て、記録しようとしているような感じに見えたらと思いました。

-ある意味、監督の分身みたいな役ですよね。


 そうだと思います。監督が実際に住んでいる家で撮影し、監督がこの町に移住して出会った人たちを基に作られた映画なので、監督自身の気持ちやまなざしがそのまま映画になっていると思います。でもそれは、いろんな人の生活にも通じると思うので、映画を見た人も、自分の故郷や住んでいる町を思い出すきっかけになってくれたらと思います。


-人形浄瑠璃文楽座の人形遣いで人間国宝の三世 桐竹勘十郎さんが、町の住人の梅本として映画初出演をしていましたが、勘十郎さんとの共演はいかがでしたか。


 映画での演技が初めてとは思えないぐらいすてきでした。映画はそこに必要な存在が映ってくれることが喜ばしいことなんだと改めて思いました。勘十郎さんは、ご自分が演じた役でどういうことが伝わればいいのかをすごく考えていらっしゃいました。初めてということは本当に関係ないんだと感じさせていただいて、いろいろと勉強になりました。


-一般の人たちに囲まれて自分が演技をするのはどんな感じだったんですか。


 正直なところ、この作品に参加する前は、監督が自分で出てしまえばいいのにと思いました(笑)。僕が演じることで作られたものになる可能性がある。この作品は、ドキュメンタリーに近い方がいいんじゃないかと思ったんです。でも、現場に入ってようやく納得できました。駒井が本当にこの町の住人になると、友達がいっぱい出てくる映画みたいになってしまう。だから駒井はこの町に溶け込んでしまわずに、ちょっと離れたところから俯瞰(ふかん)で見ている感じの方がいい。ちょっと異質な存在に見えてもいいと思いました。それが映画を見ている人が、自分がこの町に行ったらどうなる、どう見えるのかを考える余地になる気がしました。だからせりふも極端に少ないし、インタビューもガツガツ聞くというよりも、思いのある人の言葉を受けていく。要するにカメラ的な受け身の存在です。監督が自分でやったら、町になじんでいるからストレンジャーには見えなかったと思うんです。


-完成作をご覧になった印象はいかがでした。


 僕も結構映画が好きで、いろんなタイプの映画を見たいと思うのですが、他の映画では味わえない香りがする映画だと思いました。この映画は確かにノスタルジックなところもありますけど、回顧趣味的なわけではなく、かといって現代っぽくもない。何かその隙間というか、いつ撮られたのか分からない感じがあります。だからこそ、いつの時代に生きている人にも通じる作品になっていると思います。そこがすごく好きな点です。


-ご自分でも映画を撮ったりしますよね。実際にこういう小さな映画を体験してみて、どんな感じでした。


 カメラにどういうものが記録されて、逆にどういうものが記録されないのかという点がすごく勉強になりましたし、そういうメタ的な意味で、外側の視点を意識しながら自然に演技ができたことも勉強になりました。今までは演技をする時は、物語に入っていって、映った時に美しくうそをつきたいと思ってやっていました。今回は監督のような目線で参加させてもらえた気がして、ちょっとカメラになったような感じもあって、自分も監督的な目を持ち込んでやれたような感じがあったので、今後のための勉強になりました。


-これから映画を見る観客の方や読者に向けて一言お願いします。


 劇的な何かが起こるわけではありませんが、この映画に流れている時間はとても心地いいものです。見ている人の生活の近くにあるような、見くださった方の人生に寄り添うような映画になっていると思います。


(取材・文/田中雄二)