2026.3.11/千葉市・稲毛区の千葉大学 堀内・田中研究室にて
【千葉市・稲毛区発】「色の見え方」は、人間の感情によっても変わるという。ある人に、その色がどう見えているかを知るには、その人の感情も知らなければならない。今できることは、瞳孔の動きや心拍などの生体反応から感情を推定することだけだ。しかも、それは必ずしも正しいとは限らない。近似の近似みたいなことだ。ゆくゆくは人間の感情を直接測る方法が発見されるかもしれないが。そこが分からない限り、その人にその色がどう見えているかは分からない。色の学問は深い。
(本紙主幹・奥田芳恵)
ニュートンとゲーテ全く異なる色への二つのアプローチ
大学院時代に関わった画像圧縮の研究で、圧縮した後の画像が、どれくらい劣化したかを測る際、測定結果と人間の感覚が合わない場合があると伺いました。そもそも、どうやって測るんですか。
画素ごとの距離を計測します。近ければ劣化が少ない、遠ければ劣化が激しいということになります。例えば二つの圧縮画像があって、片方は元の画像との距離が10、もう片方は100だったとします。数字の上では10のほうが、より元の画像に近いはずですよね。ところが、人間の感覚では明らかに100のほうが近く見える、ということが珍しくないんです。であれば、人間に合わせた距離や知覚をちゃんとやらないといけない、と思うようになったんです。
現在のご専門でもある色彩研究にもつながってきそうなお話ですね。
もともと千葉大学には、色や画像の教育研究の歴史が100年以上あるんです。しかし、分光画像処理で有名な三宅洋一先生がリタイヤされることになって。そこで長い歴史を絶やしちゃいけないと。当時、大阪電気通信大学にいらして、分光画像処理の世界的な権威で日本色彩学会の会長でもあった富永昌治先生をお招きすることになったんです。私も、その研究室に准教授として加わりました。それがきっかけで、色彩の研究に深く突っ込んでいくことになりました。
分光画像処理ですか。あまり聞きなれない分野ですが、どんなものなんでしょう。
一言でいえば、スペクトルで画像を扱う学問です。私がそれまで研究していたデジタル画像処理は、光の三原色のRGB(Red、Green、Blue)で色が表現されている標準データベースを使って研究する世界。分光画像処理では、RGBになる前の生のデータをカメラで計測し、最後はディスプレイに色を出すまでをカバーします。
取り扱う領域がとても広くなったわけですね。
データ処理に加えて、計測から再現までをがっつりやれるようになった。人間の感覚も研究で取り扱うなら、生のデータから入る必要があったんですが、それができるようになったわけです。ところで、色彩の研究で欠かせない二人の学者が、ニュートンとゲーテ、ということをご存じですか。
物理学のニュートンはなんとなく分かりますが、ゲーテって、あのゲーテですよね。何か関係があるんですか。
実は文学者として有名なゲーテは、色彩心理を研究する科学者でもあったんです。一方、ニュートンの色彩科学は物理的な性質を重視しました。目に入るまでの情報はニュートンの物理、目に入ってから知覚するまではゲーテの色彩心理の領域です。色に対するこれら二つのアプローチは決して相反するものではないんです。ところが、何百年にもわたって現在に至るまで本格的に交わることがなかったんです。これらを結びつけるのが自分の役割だと思っています。
物理と感覚の架け橋、ということでしょうか。
例えば、「光沢度計」という計測器があります。計測対象に「どの程度光沢があるか」を物理的に測るものです。ただ、この数値は人間の感覚とは合わない。光沢度が高いからといって、必ずしも光沢感が高いとは限らないんです。そこで、人間の感覚を反映した計測器が必要になります。私がつくるべきは、人間の知覚を物理的に計測できる「光沢感計」なんです。
本当に色を理解するには 人間のメカニズムの理解も不可欠
人によって色の見え方はずいぶん違うように思いますが、どんな条件が影響するんでしょう。
その人の視覚の特性や感度、遺伝子から育ってきた環境や文化、経験、年齢、性別といろいろなものが影響してきます。
男女で色の見え方が違うという話を聞いたことがあるんですが、本当ですか。
ほとんどの人は「3色覚」(目の網膜にある錐体と呼ばれるセンサーが赤、緑、青の三つある状態)。しかし最近、特に欧州でもう一つの色を検知する錐体を持つ、「4色覚」の女性が結構見つかっているようです。見え方はかなり異なるはずです。同じ3色覚でも、色の見え方は男女で差があると言われていますね。
AI時代になって、AIも色を扱うようになるわけですが、なかなか難しそうですね。
「見え」のモデルというのは、世界中で議論されていて、一部で標準化も進んでいます。でも、まだまだ完全なものには程遠い状態です。AIはある意味、距離を最適化していく機械です。そこで使われているのは、「PSNR」(Peak Signal-to-Noise Ratio、ピーク信号対雑音比。圧縮と復元で元データと圧縮後のデータがどれだけ近いか測る指標)とか、「RMSE」(Root Mean Squared Error、二乗平均平方根誤差。回帰モデルの予測精度を測る指標)といった信号差を小さくする考え方ばかり。これでは人間が「近い」と思える結果は出せません。人間のメカニズム、知覚、認知をもっと深く知り、融合させる必要があります。
いわゆるパーソナルカラーというのは、先生のお立場からすると、どんな位置付けになるのでしょうか。
ゲーテの世界ですね。肌の色や虹彩の色で、あなたは「イエベ」(イエローベース、黄みを含んだ温かみのある肌色のタイプ)だとか、「ブルベ」(ブルーベース、青みを含んだ冷たさや透明感のある肌色のタイプ)だとか。さらに、四季の名前のついた分類に応じて似合う服や髪色なんかを提案したりします。これまでは、科学の世界では根拠がなく、学問にならないビジネスだと言われてきました。しかし、納得して利用している人たちも実際にいるわけです。データサイエンスのアプローチから、今まで見つからなかった法則が見つかって、科学として語れるようになるかもしれません。
今後、どんなことに取り組んでいこうとお考えですか。
実は今、東京医科大学の小宮貴子先生と一緒に取り組んでいるものがあります。乳がんで乳房を失った方が乳房・乳輪を再建する際に、色を健側と合わせるために、どんなインクを使えばいいのか、という課題です。自動的にインクを混ぜて、色をつくる機械を製作するのがゴールです。人の体の部位の色の再現で、どんな光で見ても同じように見え、年月を経て退色することを考慮する必要があります。とてもハードルが高く難題ですが、めどが立ってきました。
小さい頃から好きだった「色を混ぜる」が、役立つことに昇華しましたね。
とてもニッチなのですが、自分の研究が本当に必要とされている人に届く仕事です。ちゃんとやり遂げたいですね。
こぼれ話
きれい、明るい、優しい――。私にとって色は感覚の世界。色彩を科学で理解することで、もっと色の可能性に触れることができる。新たな発見と面白さに気付かせてくれたのが、堀内先生だ。
高校時代にプログラミングに興味を持ち、コンピューターを学んだ堀内先生の研究のスタートは手書きの文字認識。そこから、研究はデジタルカラー画像処理に移行していき、色彩の世界につながっていく。千葉大学での所属が「情報・データサイエンス学府」ということで、色彩の世界とどのようにつながっていくのか、初めて堀内先生の経歴に触れた際は、さっぱり分からなかった。「色彩の科学」を知らぬ私に、物理学のニュートンと色彩心理のゲーテを行ったり来たりしながら、面白さを解説してくださる。まさに物理と感覚に橋を架ける役割だ。
なんとなく、自分に合う色を自分で理解しているつもりだ。似合うと思う色の服が自然と多くなり、冒険もしなくなった。だって、なんとなく似合わないと思っているから。そう、なんとなく……。
「なんとなく」をひも解いてみると、肌や髪の色だけでなく、素材との組み合わせ、色そのものが持つイメージと自分の性格との整合性など、さまざまな要素が絡み合っている。肌や髪の色だけに合わせて選んでも、どこか違和感を抱いて、結局しっくりくる色に落ち着くのは、まさに人間の思考が影響していたり、見え方が一律ではなかったりするからなのだろう。
触感までも色の見え方を知るための大切な要素だと語る堀内先生。視覚、環境、年齢、感度、さまざまな要素の組み合わせで無数に変化し、表現し得る色。人間の思考や認知に影響を受けるのだとしたら、ニュートンとゲーテを掛け合わせた色の世界を解き明かすのは、奥深く、時に謎深く、課題が尽きないのだろう。色を通して「人とは何ぞや」を考える面白い対談となった。
自然がつくるもの、目が感じるもの、心が受け取るもの。どんな要素が掛け合わさって、色がその人の中にでき上がるのか、色の不思議は尽きない。堀内先生が、人の知覚を物理的に計測する「光沢感計」をつくることに挑んでいるように、ニュートンとゲーテを行ったり来たりしながら、一つ一つ明らかになっていくのだろう。色は不思議でロマンに満ちている。
(奥田芳恵)
心に響く人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
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※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。







