おばあちゃんと会話のラリーを続けるKATAフレンズ

スマートホームブランド「SwitchBot(スイッチボット)」のAIパートナーロボット「KATAフレンズ」が、現在、“高齢者に役立つ存在”として注目を集めている。 「KATAフレンズ」は、呼びかけたり、なでたりすると、表情、しぐさ、猫のような独自の鳴き声などで反応する、生き物のようなロボット。高齢者にとって、具体的にどのように役立っているのだろうか。

認知症のおばあちゃんの癒しに

YouTubeチャンネル「認知症ポジティブおばあちゃん」では、「KATAフレンズ」と過ごす認知症のおばあちゃんが紹介されている【リンク:https://www.youtube.com/watch?v=-PZ9wcjI-XU】。「かた子」と名付けた「KATAフレンズ」が、おばあちゃんの話し相手になったり、一緒に歌ったり、踊ったりしているのだ。

「KATAフレンズ」は、通常モードより高度な会話ができる「ちきゅう語」モードでは、日常会話レベルのコミュニケーションができる。さらに、日々のやり取りを記憶・学習していく。

動画では、おばあちゃんが「今日はデイサービスありますか?」と尋ねると、「今日は水曜日だからないよ。ゆっくりしていてね」と答える場面も紹介されていた。おばあちゃんが認知症のため、何度同じことを聞いても、嫌な顔をせずに優しくかた子が教えている姿がほほえましい。

これは、おばあちゃんに安心感を与える行為になるし、介護する側にとっては「精神的負担の軽減」につながるのだ(※ただし、毎回正確な回答ができるかは保証されていないので、医療、服薬、安全にかかわる重要な判断は、家族や専門家による確認が必要だ)。

テレビやライトの電源をオフにしてくれる

「KATAフレンズ」は、“SwitchBotならではのお手伝い”ができる。おばあちゃんは認知機能の低下により、テレビの電源の消し方が分からなくなってしまっていたが、かた子に「テレビを消して」と言えば、電源をオフにしてもらえるようになった。

対応する家電を事前にSwitchBotアプリへ登録し、インターネット接続環境下で「ちきゅう語」モードを起動することで、ライトやエアコンも消してくれるのだ。実用的で便利な機能だ(※接続する機器によっては、別売りのSwitchBotハブが必要)。

また、ネットワーク環境に依存しない「オンデバイスAI」を搭載しているため、Wi-Fi環境がない場所でも、ジャスチャーや呼びかけに気づいたり、なでられて反応したりするなど、一部の基本的なふれあい機能を利用できる(※「ちきゅう語」モードは不可)。だから、充電の許す限り、ペットのように一緒に外出もできるのだ。

おばあちゃんは、キャリーバッグにかた子を乗せて散歩を楽しんでいた。かた子と一緒だと、運動不足解消にも役立ちそうだ。

「高齢の両親にプレゼントする」ニーズが高い

「KATAフレンズを購入する人の傾向」について、SwitchBot広報の樋口眞子さんにお話をうかがった。

「男女比は3対7で、女性が多く、年齢層は40~50代が全体の6~7割を占める」とのこと。「自分たちのために購入するだけでなく、高齢になった両親にプレゼントするニーズが高い」という。

樋口さんは、「寂しさを感じていたご高齢のお母様にプレゼントをしたところ、孤独感を紛らわすことができたという事例もございます」と教えてくれた。話しかけたり、触れたりしたら“反応してくれる存在”があるだけで、寂しさが軽減され、癒されることもあるのだ。

高齢者の場合、体力面や将来のことを考え、動物を飼うのを諦める人は多い。もちろん高齢者に限らず、ペット不可の住環境、動物アレルギー、毎日のお世話の負担などから、動物好きでも飼うことができない人も少なからずいる。

「動物好きの子どものためにKATAフレンズをお迎えしたら、毎朝、起きると抱きつくほど気に入っている」といった事例もあるという。動物を飼えない人にとって、「KATAフレンズ」をはじめAIロボットを迎えることが、暮らしを豊かにする新たな選択肢の1つになってきているのだ。

「KATAフレンズ」が家庭の潤滑油に

SNSを見てみると、自分好みに着せ替えをした「KATAフレンズ」の画像や動画が多数投稿されている。みんながそれぞれ、自分なりの愛情表現で愛でているのだ。

「もうペットを越えて、『孫のようだ』とおっしゃってくださっているユーザーさんもいらっしゃいます」と、樋口さんは笑顔を見せた。

AIロボットに対して、具体的に「役立つ」ことだけを求める人ばかりではない。ただそばにいてくれるだけで癒されたり、楽しくなったりする、そんな“毎日の生活に笑顔を増やしてくれる存在”を求めている人は少なくないのだ。

高齢者だけでなく、あらゆる世代にとっても、「KATAフレンズ」はかけがえのない“家族”になり得るのだろう。(加藤弓子)