これまで事あるごとに西郷隆盛(鈴木亮平)と対立してきた薩摩の国父・島津久光。その一方で、西郷が家老に出世した後はその意見に耳を傾ける度量も示し、単なる憎まれ役とはいえない魅力を放ってきた。明治新政府の中心で活躍する西郷と久光の対面を描いた第41回は、そんな2人の集大成とも言えるエピソードとなった。物語が終盤に近づく今、第1回から久光を演じてきた青木崇高が、その思いを語ってくれた。
-第41回は、久光がこれまで嫌っていた西郷を激励する場面が印象的でした。
あのシーンは難しかったです。亮平くんはもちろん、演出の方とも何度も話し合いました。それぞれの思いがある上に、このドラマが進む方向を踏まえて、どこまで本音を言えばいいのか…。さらに、ここまで見てくれた視聴者の目線も育ってきているので、そこにピリオドを打つのか、それとも余白を作って考えさせるような終わり方がいいのか…。いろいろと悩みましたが、最終的には、現場で話し合う中で湧き上がってくるものを大切にしました。
-同じ回で、廃藩置県に怒った久光が、一晩中花火を打ち上げたという有名なエピソードも再現されていました。
うれしかったですね。最初にお話を頂き、久光公について調べたときから気になっていたんです。とても素晴らしいお話で、なんて魅力的な人なんだろうと。これだけで演じるモチベーションが決まるというぐらい、グッときたエピソードでした。最初は、花火のシーンがあるかどうか分からないということだったので、実現して本当にうれしかったです。ここまでやってきた自分へのご褒美です(笑)。
-西郷と何度も対立してきた久光ですが、劇中における役割をどう考えていましたか。
このドラマはまず西郷という存在があり、久光の人生はその目線で語られるもの。そういう意味で、西郷を中心にした世界の、できるだけ端の方にいたいと考えていました。そこにしっかり存在感を残すことが、このドラマの幅を広げることにつながる。それが久光の役割ではないかと。だから、「嫌われる」という心情的な距離感はもちろんですが、地理的にも江戸や京など、いろいろな土地で活躍する西郷に対して、薩摩から動かないのが久光。そういうふうに西郷に寄り添わないキャラクターとして存在することで、物語や世界観をより大きく見せることができるだろうと。
-2人の関係についてはいかがでしょうか。
劇中では「西郷を嫌っている」という部分にフォーカスされていましたが、それはあくまでも点に過ぎません。久光は「西郷が嫌い」という理由で行動していたのではなく、藩の実権を握る者として、激動の時代の中で薩摩がいかに生き残るかを考えていたわけですから。藩を船に例えるなら、家臣が勝手なことをすれば事故につながりかねず、下手をすれば沈んでしまう可能性もある。だから、指示に従わない者に対して厳しく当たるのは当然です。そういった意味で僕自身、西郷のことはあくまでも1人の家臣と考えていました。物を言ってくることが多かったので、感情的に接する場面が目立っただけで…。
-西郷との距離感で気を付けたことは?
「西郷どん」というタイトルで主人公・西郷隆盛がいると、役者は当然のように彼をヒーローと認識し、距離を詰めてしまう恐れがあります。ただ、当時の久光の立場で考えてみたら、単なる家臣の1人でしかなく、後にそんな大人物になるとは思っていないわけです。だから、最初の頃の離れた距離感は大切にしたいと思っていました。後に頭角を現していくのであればなおさらです。そうすることで、「嫌いだけど、こいつを使わないと仕方ない」と、才能を認めて距離を詰めていく過程も生きてくる。言ってみれば「西郷を主役として見ない」が、今回の僕のひとつのテーマだったような気がします。亮平くんには申し訳ありませんが(笑)。
-それと同時に、「人の好さ」も久光の魅力につながっていたように感じます。例えば、幕末の有力者たちが集まった四候会議で、徳川慶喜(松田翔太)にうまくあしらわれてしまった場面などが好例です。そのあたりは、どう考えていましたか。
例えば、自信満々に歩いている途中で“すってんころりん”と転んだときでも「ざまあみろ」だけでなく、「ざまあみろ(でもちょっとかわいいな)」と思われるようなキャラクターにしたいとは思っていました。主人公だけでなく、対立するキャラクターにも「頑張ったのに…」、「気の毒だな…」と気持ちが入るようになると、見え方が変わって物語の深みが増しますから。だから、「どこか憎めない」と感じていただけたのなら、うれしいです。
-久光に関しては、大久保利通との関係も重要でした。瑛太さんと共演した感想は?
楽しかったです。第40回では久光の下から大久保が去っていく場面がありましたが、いい緊張感で演じることができました。面白いと思ったのは、1年間やっていると自分の心の中でキャラクターが育っていくんです。だから、キャラクター同士がお別れするときは、それを個人的にも消化したくなる。「卒業」みたいな感覚でしょうか。そういう儀式めいた気持ちにもなったので、最後に大久保が出ていくだけのカットを撮るときも、そのシーンの頭から全部やらせてもらいました。久光は激怒していましたが、僕自身は穏やかな気持ちで、瑛太くんへの感謝も込めて「ありがとう」と送り出すことができました。
-若い頃から今演じている晩年まで、久光は大きく変化してきました。
変化を描くことこそ、大河ドラマの醍醐味(だいごみ)ではないかと改めて思いました。こんなふうに1年も放送する作品は他にありません。その中で、どんな出来事と出会い、どう変化していくのか。強くなっていくのか、弱くなっていくのか…。そういうところを見せられるのはやっぱり面白いなと。
-今回、3度目の大河ドラマ出演とのことですが、今までとの違いは感じますか。
今までは大河がどんなものか分からなかったので、台本を読み、先輩方の芝居を見て勉強しながら、とにかく一つ一つのシーンを頑張る、と必死についていくだけでした。今回は、「こう演じたい」という自分の意見も出しつつ、演出の意図を踏まえて話し合い、それぞれのシーンのテーマを一緒に考えながら、芝居をすることができました。この1年、そういう形で携われたことは、僕の大きな財産になっています。
-ここまで久光を演じてきた感想は?
「天国の久光公が見たら、どう思うかな…?」という心配はありますが、僕としては失礼のないようにきちんと向き合ってきたつもりです。だから、次に鹿児島を訪れる機会があれば、お墓にきちんと手を合わせてこようと思っています。先日、イベントで現地の資料館を訪問させていただいた際、久光公に関する研究が改めて盛んになっているというお話も伺いました。今までのように「陽の斉彬、陰の久光」といった捉え方ではなく、その業績が見直されているのだとか。小学6年生の女の子からも、島津久光を夏休みの自由研究のテーマに選んだという手紙を頂きました。僕の演技がそういうきっかけになったのなら、うれしいです。
(取材・文/井上健一)