(左から)市川團十郎、市川新之助 (C)エンタメOVO

 十三代目市川團十郎白猿の襲名と八代目新之助の初舞台を正面から捉えた、三池崇史監督のドキュメンタリー映画『襲名』が、9月25日から全国公開される。映画の公開を前に、團十郎、新之助親子に話を聞いた。


-まず、映画を見て感じたことから伺います。


新之助 見る前は、映画を見てもあまり感動しないかなと思っていましたが、感動するところがたくさんありましたし、自分の中での成長を感じるところもありましたので、見られてよかったと思いました。


團十郎 歌舞伎の記録としての残し方には、昔から写真や映像がありましたが、襲名を映画で撮るというのは多分初めてだったと思います。本来ですと1年ちょっとで終わる予定でしたが、コロナの影響で3年以上かかってしまいました。特に新之助の場合は、6歳ぐらいでやる予定だったのが、9歳でやることになったので、やはり3年たつと随分と変わるもので、襲名が決まった時の彼の映像と、大阪の松竹座での「連獅子」の映像との間では、成長があったので、こういう形で記録に残せたのは非常によかったと思います。自分の芝居や舞台を見るのはあまり得意ではありませんが、日々進化しているつもりです。4年前の自分はまだ海老蔵から團十郎になったばかりだったので、やはり反省点が多くて。そういう目で見てしまったので、自分の至らなさを強く感じました。


-これまで伝統を大切にしながら、新しいことにも挑戦してきたと思いますが。


團十郎 團十郎という名跡はやはり重いと思いますが、その呪縛を背負い続けることが正義ではない。その呪縛を全部自分自身で了承して消化して生きることが、ある意味新しいことではあるのです。皆さまが見て新しいと思うことに挑戦してきたのが海老蔵の時代でしたが、團十郎としての新しいことは、今までやってきたこととイコールにはならないかと。歌舞伎という一つの演劇の中に、日本人が長い時間をかけて培い、大事にしてきたけれど、今われわれが忘れ去ってしまったことがあります。それを、私自身が見つけ出し、感じ直して、古典として形ややり方をなるべく変えずに体現していくことが新しいことだと考えるようになってきました。ですから、奇をてらった面白いことが新しいことではない。今はあらゆるコンテンツがどんどん進化していて、われわれの速度で新しいと思うことは、もはや新しくはない。今日は新しいことも、明日になればもう古いですよね。ですから、古き良きものの中に新しいものがあるというふうに切り替えて、やりたいと思っています。


-本作の構成に関して團十郎さんから提案したことはありましたか。


團十郎 三池崇史監督とは何度か一緒にお仕事をさせていただきました。舞台はある意味役者のものだけれど、映画は俳優や監督のものだと思っているので、監督にお任せして、何の注文もしませんでした。三池さんは、團十郎の家のことや、歌舞伎に関するさまざまなことを、血まなこになって探してくれました。そこに愛を感じました。ですから、やはり何も言わなかったことが正解だったと思います。


-新之助さん、今回襲名披露興行の時の「外郎売(ういろううり)」が出てきますが、今それを見て、改めてどう感じましたか。


新之助 やはり今と比べると至らないところもありますが、あの時は、自分なりに必死にやっていたと思います。今見返してみて、嫌だと思うことはありませんでしたが、ちょっと恥ずかしいなとは思いました。でも、あの状況でやったことは、普通にやる時よりもよく見えると思うので、自分ではいいか悪いかはよく分かりません。

-クライマックスの「勧進帳」で、歴代の團十郎さんによる弁慶と富樫が重なって映るシーンも、三池監督の発案でしょうか。


團十郎 私からは何も言っていません。三池さんが一生懸命にお作りになって、ああいう形になってよかったと思います。父(十二代目)とパリのオペラ座でフランス語で口上をして、「勧進帳」をした時のことや、父の病気のことや舞台のことで大げんかをしたことも思い出しました。そうした思い出深いものを、また改めてああいう形で見られたことは、うれしいというか、ぐっときましたね。


-新之助さんは、歴代の團十郎さんによる「勧進帳」を見てどのように感じましたか。


新之助 十一代目さんと十二代目さんと十三代目の「勧進帳」を見て、やっぱり歌舞伎ってすごいんだなって改めて実感しました。何か言葉では表せないような奥深さがあった気がしました。自分もやってみたいという気持ちになりました。


-歌舞伎と映画との関わりについてはどう思いますか。


團十郎 私は、演劇を映画として残すことに関してはあまり賛成しません。例えば、歌舞伎の25日公演のうちの2日間だけを撮って、それを歌舞伎として見せるというのは、個人的にはあまり美しくないと思います。25日間の公演中、カメラをちゃんと客席に置いて、千秋楽の後に、大変な作業ですけど、もう1回映像用に作り直して、別事業としてきちんとやっていくのであれば賛成します。ただ、今回のように、海老蔵が團十郎になるのを、リアルに、同じ時間軸で起こっていることとして見せる。そういうものが記録として残っていくのはいいと思います。要は、歴代の團十郎には写真集などがありますが、残していく形を新しく模索する中で作ったものです。また、それとは別に、歌舞伎をより多くの人に知っていただくきっかけを作ることが大事だと思います。そういう意味では、多くの方々に見てもらえるドキュメンタリー映画という形はよかったと思います。


-三池監督について印象に残っていることは。


團十郎 監督が楽屋にカメラを持ってくることがありました。でもお互いにプロだから、無駄な会話はゼロでした。そういうのは篠山紀信さん以来かな。私の楽屋ではどなたともお会いしないようにしていますが、そんな中で楽屋にすっと入ってきて一番スマートだったのが紀信さん。音がしないわけではないけれど、まるで忍びのように。三池さんも、今思えばどこにいたのかなというぐらいでした。そういう意味では、襲名のタイミングでいろいろと撮影が難しいこともあったと思いますが、私は舞台に集中できた。これは素晴らしいことで、これが本当に大事なことだと思います。劇映画の撮影の時も、三池さんが監督だと、カメラに向かって芝居をすることが全くなかったです。


-新之助さん、少し前の自分を見て、どう思いましたか。


新之助 あまり成長していないかもしれないです。昔の僕の方がちゃんとしていたなと感じます。昔の僕が、お父さんがいない中、急に「外郎売」をするのはすごいなと。今の僕だったら絶対に無理だと思うんですけど、昔は何であんなにすんなりやっていたんだろうと思いました。


團十郎 一番泣けたのは、私が「素襖落(すおうおとし)」をして、その後にこの人(新之助)と一緒に「外郎売」をして、その後夜の部で「星合世十三團(ほしあわせじゅうさんだん)」「義経千本桜」を自分でこしらえて13役をやった月だったのですが、病原菌が喉について声が出なくなって、休演しました。その時に、今のこの人からは考えられないと思うのですが、「自分一人でやる」みたいなことを言って舞台に立った。あの時、私は病院で管がつながった状態で、歌舞伎座の状態が把握できない3日間でした。その3日間でこの人がすごく頑張ったあの映像には泣けました。本能的に危機であることを感じている生物の動きをしていて、ああ無理をさせたなと思い、あそこで一番泣きました。涙が止まらなかったです。


(取材・文・写真/田中雄二)

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