「ドラゲナイ」に見る、ブレずに表現し続けることの大切さ
この曲の間奏でバンジョーが入るタイミングがあります。全体的に軍楽隊の音楽で進んできて、バンジョーの音が追加されるのです。「登場の瞬間と同じリズムのまま楽しくて軟派なほんわかカントリーに変わる」と中村さんは語ります。
以前、Fukaseは、自分は音楽に対してまるで無知で、漠然とプロモビデオみたいなものをイメージし、その抽象的なものをメンバーに処理してもらっていると、曲作りについて語っています。そういった抽象的なものをFukase以外のメンバー、特にギター担当のNakajinが理論的に組み上げるのです。
Nakajinは、理系の大学院の研究者にまでなろうとする智慧者。ロジカルに曲作りをするNakajinと、自由に発想するFukaseの絶妙なバランスが、このバンドの曲の魅力となっています。
また、歌詞についても見てみましょう。こちらも何かと中二的と揶揄されがちな『Dragon Night』です。「今宵は百万年に一度太陽が沈んで夜が訪れる日 終わりの来ないような戦いも今宵は休戦して祝杯をあげる」というものがあります。同曲の冒頭の部分ですね。
「昔のロックもけっこう単純なことを歌っていたが、時代とともに次第にややこしい文学的なことを歌うようになって、言い訳がましい曲折だらけの歌詞が多くなった。そんな中でこれだけ単純なことを歌ってのけるのは、なかなか挑戦的である」(同書より)
中村さんが言うようにシンプルな歌詞だからこそ聴視者に刺さり、また、そのわかりやすさが幼稚さにも見えるのでしょう。とはいえ、歌詞がややこしくなる中で、これだけ無駄を削って、強い言葉を並べることができるのは、歌詞を担当するFukaseの力だと言えます。
中二的と言われることがわかっていながらも、自身の世界観を表現し続けるセカオワ。その姿は、価値観が多様になった現代、正反対の価値観を持つ人がいることも理解した上で、ブレずに自身を表現し続けることの大切さを、私たちに教えてくれているよう。
これだけ熱狂的なファンとアンチが存在するバンドも珍しいですよね。どちらの層も激しく刺激する同バンドは、やはり魅力的だと言わざるを得ないのではないでしょうか。皆さんは、SEKAI NO OWARIをどう評価しますか?
【書籍情報】『SEKAI NO OWARIの世界』中村圭志著 サンガ