本当の『トイ・ストーリー』=“おもちゃの物語”とは?
おもちゃにとっての幸せって…?
観る前から、“あなたはまだ、本当の『トイ・ストーリー』を知らない”というコピーが、印象深かった本作。
「そもそも『トイ・ストーリー』って、何をテーマにしたどんな作品だっけ? 」
「おもちゃの物語…そもそも“おもちゃ”って何だろう? 存在意義は? 」
と言った本質に疑問を向けさせ、そこを突いた作品だった気がします。
ウッディの揺ぎ無い信念
ウッディは、1人の子供のそばで見守り、一緒に遊ぶ事こそが、おもちゃの役割だという信念を持っています。
でも、子どもが成長し大人になった、その後は?もしも飽きられてしまったら?
これまでも、ウッディはもちろん、ジェシーやロッツォなど様々な問題を抱えるおもちゃを通して、その答えを模索してきた本シリーズ。
実は値打ちのあるアンティーク人形だったウッディには、かつて博物館に展示されることで、名誉ある称号を得るという選択肢もありました。
しかし「子どもに遊んでもらえてこそ“おもちゃ”なんだ」と言う信念のもと、アンディのところへ帰っています。
保育園で、絶えず色んな子供と遊ぶことが出来る状況になった際も、「たとえ屋根裏部屋に置かれても、持ち主の元で、仲間はいつも一緒にいるべき」という理由で、再びアンディの元へ。
持ち主がボニーに代わっても、その信念を貫いて来ました。
まだ見たことのない、新しい世界へ
ボーや新たなおもちゃに出会い、全く知らなかった新しい世界、これまでにない大きな変化を経験して行くウッディ。
例えば、自分をゴミだと思い込み、場違いだと感じているフォーキー。
製品不良で出荷もされず、1度で良いから子供に愛されたいと願うアンティーク人形、ギャビー・ギャビー。
そして、自らの手で運命を切り開き、移動遊園地や公園で毎回違う子供と遊び、生き生きと自由に生きるボー。
それぞれが抱える問題や信念も全く違い、今の人間社会と同じように、多様性にあふれています。
1人の子供のそばにいると言う信念を貫くウッディには、衝撃の連続。
何が幸せか?のいうのは人(おもちゃ)によって本当にさまざま。
それを模索しながら自分で道を切り拓き、決断して行くことを描く本作は、人生で変化の時に直面した事のある、多くの人の共感を呼ぶはずです。