1981年のロンドンでの初演以来、世界中で上演されているミュージカル劇「キャッツ」が映画化され、1月24日から全国公開となる。公開を前に来日したトム・フーパー監督と、主役のヴィクトリアを演じたバレリーナのフランチェスカ・ヘイワードに、映画製作の舞台裏などの話を聞いた。 -舞台劇として有名なこの題材を、なぜ今映画化しようと考えたのでしょうか。
フーパー 2012年から着手したので、改めて、なぜ今なのかと聞かれると…(笑)。ちょうど『レ・ミゼラブル』(12)が完成する頃だったので、「これが最後のミュージカル体験になるのではもったいない」と思いました。では、何を映画化するのかと考えたときに、子どもの頃から大好きだった「キャッツ」だと思いました。まだ映画化されたことがなく、初めての挑戦になることにもやりがいを感じました。ただ、どのように“猫たち”を表現するのかが問題でしたが、今はデジタル技術が進歩しているので、そこに答えがあって、観客にもワクワクしてもらえるような表現ができるのではないかと思いました。 -はっきりとしたストーリーがないものを映画として描くのは大変だったのではないですか。
フーパー もともとが、T・S・エリオットのタイプの異なる複数の詩を基にして作られたものなので、内省的な物語性という意味では、『レ・ミゼラブル』に比べれば弱いのかもしれません。でも、自分が選ばれし者になりたいと望んでいる猫たちが、タレントショーのように自分の才能を表現する中に、いろいろなことがほのめかされていると思います。 もともと「キャッツ」の舞台は、演者である猫たちが、人間である観客に向かって表現をするわけです。ところが、カメラに向かってずっと歌うのでは映画としては成立しません。なので、ヴィクトリアの視点で観客に提示し、それに付いてきてもらう、という構造を考えました。それによって、観客もヴィクトリアと共に、猫たちのコミュニティーのことや、特別な夜であることを知っていけるのではないか、と考えました。それと、ヴィクトリアは捨て猫です。つまりコミュニティーではアウトサイダーなのです。彼女の成長を描くことで、コミュニティーの大切さを訴え、アウトサイダーによって、ものの見方が変えられるということを描いた作品になったと思います。 -『レ・ミゼラブル』もそうでしたが、舞台などで観客の中にすでにイメージがあるものを映画化する難しさは?
フーパー 今回は、運よく、もともとのクリエーターである(製作総指揮の)アンドリュー(・ロイド・ウェバー)と一緒に仕事ができたので、「キャッツ」たらしめている、エッセンスや伝統を守ることができたと思います。ですから、舞台版のファンの方には、アンドリューとのコラボレーションで、音楽的にはオリジナルに忠実に作っていることを承知してから見ていただきたいと思います。 『レ・ミゼラブル』を作っているときに思ったのは、「ミュージカルはその構造の中に隠れた力を持っている」ということでした。『レ・ミゼラブル』の場合は、オリジナルのフォルムを追うことで成功したと思います。今回は物語的には少し変えたりもしましたが、音楽的には忠実に作っていると思います。 -フランチェスカさんはその点をどう思いますか。
ヘイワード 今回、私にとって大きかったことは、映画化するに当たって、ヴィクトリアというキャラクターを一から作り直したことです。それによって、役柄が拡大され、彼女はどういうキャラクターなのか、人間に捨てられるまでに一体何があったのかという、彼女のバックストーリーや本質を、監督と一緒に考えることができました。とても興味深い役作りができたと思います。 -バレエと映画の違いは? 歌は相当訓練されたのでしょうか。
ヘイワード ダンスに関しては、それほど大きな違いはありませんでした。でも、歌は大変でした。これまで人前で歌ったことなどなかったのに、最初のオーディションのときに、一人のキャスティングディレクターの前でいきなり歌わされました。普段は、ロイヤルオペラハウスで何千人という観客を前にして踊っていても、一度も緊張したことがないのに、あのときは、全身が震えるほど緊張しました(笑)。 それから特訓を重ねて、徐々に自信はついてきましたが、目の前にたくさんのスタッフがいて、なおかつ、私の歌をテイラー・スウィフトやジェニファー・ハドソン!(笑)、そしてトム・フーパー監督やアンドリュー・ロイド・ウェバーも聴いているという、恐ろしい環境の中で歌わなければならなかったので、今考えれば、よくやったと自分を褒めてあげたい気持ちです。あとは、カメラの存在を意識しながら踊ることも含めて、カメラの前でどのように動くのかを一から学ばなければなりませんでした。それも新たな挑戦でした。
-では、実際に猫を演じた感想は?
ヘイワード キャストの全員が、事前にキャットスクールに行って猫の動作を学びました。私はバレリーナですから、初めからかなりのアドバンテージがありました。バレエは普通にジャンプをしてしなやかに着地をするというのが基本だからです。それはすでに自分の体がマスターしていたので、猫の動きは割と覚えやすかったのです。ただ、歌う場面になると、猫の動きや姿勢のままで歌うのはとても難しかったので、どうしても人間らしい方に偏ってしまいました。そのさじ加減が大変でした。また、耳や尻尾が付いていて、常にそれが動いていることを念頭に置いて、猫らしく演じることも心掛けました。あとは、100パーセント猫に見えないように、人間らしさも残しながら踊ることも難しかったです。 -そのヘイワードさんや、ジュディ・デンチをはじめとする、そうそうたるメンバーを猫にする作業は楽しかったですか。
フーパー とても楽しかったです(笑)。 -猫たちを、舞台を見ているような形で表現したのは、オリジナルへのリスペクトの気持ちからでしょうか。
フーパー 舞台版の伝統を大切にするためにも、人間=俳優に演じてほしいと思いました。例えば『ライオン・キング』(19)のような写実的なもの、あるいはアニメ的な形でこの物語を作るとすると、そもそも舞台版が持っている大切な部分が損なわれると感じました。僕は、「キャッツ」はダンスミュージカルとして素晴らしいと思っています。人間が踊りを通じてこれだけのことができるということを見せる作品だと思います。ですから、ライブのダンスシーンがなければ、「キャッツ」が本来持っている力が失われてしまうと考えました。
また、そもそもエリオットは猫について書いたわけではなく、人間についての考察をしたのです。ですから、人間と猫のハイブリッドを絵で見せることによって、エリオットが示したダブルミーニングを表現することができると思いましたし、舞台の伝統を重んじることもできると考えました。僕にとってのデジタルの毛皮は次世代のメークや衣装なのです。舞台版のように演者の体にぴったりと張り付いたレオタードを、普通の映像で仕立てることはできません。それができるのがデジタル技術なのだと思いました。 (取材・文/田中雄二)