遠藤周作の歴史小説『沈黙』を、マーティン・スコセッシ監督が映画化した『沈黙-サイレンス-』が公開された。
17世紀、キリスト教が禁じられた江戸時代初期の日本で、棄教したとされる師のフェレイラ(リーアム・ニーソン)の消息を探るため、若き宣教師のロドリゴ(アンドリュー・ガーフィールド)とガルペ(アダム・ドライバー)は日本を目指す。
マカオで出会ったキチジロー(窪塚洋介)を案内役に、長崎へたどり着いた2人は、激しい弾圧の中で自らの信仰心と向き合うことになる。
本作は、殉教する者たちを横目に、何度も密告や踏み絵を行ってその場を逃れるキチジローや、信仰を貫くのか、それとも棄教して信徒の命を救うのか、という厳しい選択を迫られるロドリゴの姿を通して、人間の強さと弱さ、善と悪、信仰とは、神の沈黙といった宗教の根幹に関わる問題に真正面から切り込んでいる。
また、イッセー尾形が演じた井上筑後守が「森羅万象を神仏とする日本にキリスト教は根づかない」と語るように、仏教とキリスト教の違い、あるいは日本と西洋との宗教観の違いを通して、異文化の衝突という現代にも通じる問題を提起している点も興味深い。それはどちらが正しいという話ではないのだ。
ところで「キチジローはどうしてあんなことをするのか」と問われた遠藤は「キチジローは自分自身だ」と語ったという。一方、スコセッシは、キリストを欲望に悩む一人の人間として描いた監督作『最後の誘惑』(88)が物議を醸し、悩んでいたさなかに原作と出会い、深い感銘を受けたという。
つまり本作は、敬虔(けいけん)なクリスチャンである遠藤とスコセッシ自身の苦悩や葛藤が深く反映されているのだ。「人間がこんなに苦しんでいるのに、なぜ神は黙っているのか…」、そんな答えの出ない問題と正面から向き合った力作なのである。(田中雄二)