俳優の豊原功補と小泉今日子が、日本映画界に新風を吹き込もうと自らプロデューサーを務めた意欲作『ソワレ』が8月28日から、テアトル新宿、テアトル梅田、シネ・リーブル神戸ほか全国公開となる。本作は、日常に鬱屈(うっくつ)した思いを抱える青年・翔太と、介護施設で働く薄幸の女性タカラが、ある事件をきっかけに出会い、警察に追われながら逃避行を繰り広げる鮮烈なロードムービー。公開を前に、翔太役の村上虹郎と、オーディションでタカラ役に抜てきされた期待の新星・芋生悠が作品に込めた思いを語ってくれた。
-劇中では翔太とタカラは終始行動を共にしますが、お二人は現場ではあえてコミュニケーションを取らなかったと聞きます。翔太とタカラの距離感はどんなふうに作り上げていったのでしょうか。
村上 意識して距離感を話し合ったことはないんです。脚本通り生きればいいのかな…と思っていたので。でも、2人の関係って不思議な距離感ですよね。運命的な出会いというわけでもなく、お互いの抱えた葛藤がたまたま共鳴したという、ほんの衝動的なものから始まっている。
-タカラが遭遇する事件の現場を翔太が目撃し、そこから連れ出したことが2人の逃避行のきっかけとなります。そのとき、翔太の中にはあった思いとは?
村上 「タカラを救い出したい」とか「どうにかしてあげたい」という気持ちはうそじゃなかったと思うんです。だからといって、それが本意でもない。結局は自分のためなんですよね。満たされない思いを抱える翔太にとっては「1人で逃げるのはちょっと怖いけど、2人だったら逃げられるんじゃない?」という感じで。翔太は自覚していなかったかもしれませんが。
-芋生さんは、タカラと翔太の距離感をどんなふうに捉えていましたか。
芋生 タカラは、小さい頃からずっと自分の足で歩いてきて、誰かのせいにすることをしてこなかった人です。そんな彼女が、初めて突き動かされるような感覚に陥ったのが、翔太との出会いだった。だから、その瞬間から体が勝手に動いている…みたいな感覚でした。それまでは、怒りや悲しみすら湧かないほど空っぽだったけど、翔太が手を握って、連れ出してくれたときから、腹を立てたり、笑ったり、どんどん感情を取り戻していく。ただ、それがずっと続くわけじゃないということも感じていて…。そういう意味では、一緒にいる楽しい時間が、ものすごく尊く感じられたんだろうな…と。
-それぞれ、役に対してはどんなふうにアプローチをしていったのでしょうか。
村上 翔太は僕と同じ役者だったので、難しかったです。一口に役者と言っても、いろんな人がいますから。自分と近過ぎず、遠過ぎず…という感じで。台本自体も、役者次第でどうにでもなるように書かれていたので、責任重大だな…と思っていました。
-映画を見ていると、「これが翔太」という感じで、違和感はありませんね。
村上 そういう意味では、僕は形から入るタイプなので、普段からビジュアルを大事にしています。外見にはその人の内面が最も端的に現れるので、形から作っていくのは大事。ただ今回は、その形を決める衣装合わせが大変で、かなり時間がかかりました。あれこれ悩んだ末、僕が「短パンでいいんじゃない?」と提案したら、周りが「え?」となって。そこでもう一押し「いや、短パンだと思うんですよね…」と言って、ようやく短パンに柄シャツという、ちょっとうさんくさい感じに決まりました(笑)。僕の中では珍しいケースでした。
-芋生さんはいかがですか。
芋生 村上さんと同じく外見に関して言えば、私は髪をベリーショートにしていた時期があるんです。そうしたら、外山(文治)監督がそれをイメージしていたらしく「切ってくれない?」と何度も言われて…(笑)。でも、私の中では、タカラはショートじゃないな…と。日々、介護施設で働き、疲れ切っているタカラには、身だしなみを気にする余裕はないはず。だったら、いちいち手入れをする必要がなく、とにかく束ねられればいい、ぐらいが合っているんじゃないかと。むしろ、伸びて、毛先がちょっとパサついているぐらいの方が、タカラが歩んできたものが感じられるのでは…と思っていました。
-その意見に監督は納得してくれましたか。
芋生 どうでしょう…? でも、『ソワレ』の直後に別の仕事で髪を切ったら、「なぜ切ってくれなかったの!?」みたいなことは言われました。単純にショートが好きだっただけかもしれません(笑)。
村上 ただのフェチですよね(笑)。
芋生 ショートフェチですね(笑)。
-翔太とタカラの行動の根底には、「生きづらさ」があるように感じます。今の世の中に生きづらさを感じている人は多いと思いますが、お二人はその点で翔太やタカラに共感する部分はありましたか。
村上 みんな感じていそうですよね。その理由はそれぞれ違うでしょうけど。僕の場合、人生に対する美意識とか、理想みたいなものが自分を一番縛っている気がします。ただ、翔太が感じている生きづらさは、明らかにタカラとは違います。タカラから見たら、翔太は「そんな甘いこと言ってんじゃないよ」という世界で生きている。だから、お客さんには翔太が駄目なやつに見えるかもしれません。とはいえ、それがこの映画の中での翔太の存在意義かな…と。
芋生 社会のことを言い出すと切りがありませんが、私もタカラのように自分のことが嫌いになる瞬間がたくさんあります。それでも、たとえ少なくても、お芝居をする私を見て勇気づけられる人や、応援してくれる両親がいることに励まされて、役者を続けている。そういう意味では、私自身も含めて、みんながもっと「自分のことを好きって言っていいんだよ」と言える雰囲気になったらいいな…とすごく思います。
-それは、タカラにも通じるものがありそうですね。
芋生 そうですね。強そうに見える人でも弱い部分はあるし、助けを求められる人もいれば、自分からSOSを出すことが苦手な人もいます。だから、いろんな悩みを抱えている人に対して「そんなの大したことないでしょ」と突き放すようなことはしたくないな…と。「生きづらさ」はみんなが感じていることなので、メンタルケアをしてくれる場所がもっとたくさんあればいいな…とも思いますし。私自身も、これからは自分のことをもっと愛していきたいですし、この映画を見た皆さんもそう感じてくれたらうれしいです。
(取材・文・写真/井上健一)