撮影:稲澤 朝博

シリーズ累計100万部突破し、第8回〈大学読書人大賞〉を受賞、〈読書メーター〉読みたい本ランキング第1位に輝いた同名ベストセラーを映画化した新感覚の青春ファンタジー『いなくなれ、群青』(監督:柳明菜)が9月6日(金)から公開!

謎だらけの島が舞台の本作で、悲観的な主人公・七草を演じた横浜流星、物語の鍵を握る真辺由宇役の飯豊まりえのクラスメイトのひとり・佐々岡を演じ、観る者の心を揺さぶる狂おしい青春を体現した松岡広大。

不思議な世界観の中で展開するこの作品を彼はどう生きたのか? 撮影秘話を聞いた。

『いなくなれ、群青』9 月 6 日(金)全国ロードショー KADOKAWA/エイベックス・ピクチャーズ ©河野裕/新潮社 ©2019 映画「いなくなれ、群青」製作委員会

映画の舞台「階段島」は捨てられた人たちの島

映画の舞台「階段島」は捨てられた人たちの島。

2000人の住民はなぜ自分がこの島に来たのか分からないが、島を出るためには自分が失くしたものを見つけなければいけない。

そんな謎が多い島に突然やってきた高校生・七草(横浜流星)は再会した幼馴染みの真辺(飯豊まりえ)と島の謎を解き明かそうとし、彼らの仲間である佐々岡も想いを寄せる女性のために奔走するが……。

松岡広大はムードメーカーで明るい、佐々岡にどう臨んだのか? 柔らかな物腰と親しみやすい笑顔から浮かび上がるその素顔と信念とは?

ミュージカル『テニスの王子様』(13~14)で注目され、劇団☆新感線『髑髏城の七人』Season月(17~18)など舞台を中心に活躍してきた彼が映画の現場では何を感じ、つかんだのか?

――『いなくなれ、群青』はとても不思議な世界の物語ですけど、松岡さんは台本を最初に読んだときにどんな印象を持たれましたか?

僕は原作に目を通してから台本を読んだのですが、不思議な世界で生きている人物を演じるのだとしても、ただのファンタジーにしたら説得力がないし、どこかにリアリティを感じさせないと意味がないと思いました。

でも、そのファンタジーとリアリティとのバランスをとるのが難しくて。

しかも、僕達の話すセリフが耳にあまり馴染みのない口語体に近いものだったので、普段の日常会話とのズレを埋めるのがちょっと大変でした。

――実際にはどんな工夫をされたんですか?

どんなお芝居でもセリフに意味を持たせるように心がけているんですけど、それと同時に、今回は言い慣れている感じを意識して、例えば耳に入ってきやすいような音色を作ったりしながら、不自然にならないようにしました。

あと、これは私見ですけど、芝居でそこも埋められると思ったので、表情や目線などにもこだわりました。

――松岡さんが今作で演じられた佐々岡はとても“いい奴”だなと思ったんですけど、彼のキャラクターに関してはどんなことを考えて臨まれました?

佐々岡はすごく元気で、常にみんなの輪の中心にいるような人間ですけど、僕は原作や台本を読んだときに彼は元気なふりをしていると言うか、エネルギーを消費するために無理矢理元気になっているのかなという印象を少し持ったので、“陽”だけでは終わらせたくなかったんです。

それこそ、彼の“陰”と“陽”の両面を出せたらいいなと思ったし、どちらかと言うと、“陰”の部分が強くなるように演じたかったんです。

明るい人間がずっと明るくしているよりも、明るい人間が何かの瞬間に落ちて、陰の顔が見えた方が人間性が出ると思うんです。

そこは柳明菜監督とも話しましたけど、現場で監督から「何も考えなくていいよ」と言われたので、基本的には何も考えてなくて。

「何も考えないで、心の底から本当に出た言葉と相手の芝居を受けたものでやってみてください」と言われたのは初めてだったんですけど、その言葉を信じなかったら、たぶんこの作品はやれていないです。

僕はすぐ頭で考えてしまいますから。

『いなくなれ、群青』9 月 6 日(金)全国ロードショー KADOKAWA/エイベックス・ピクチャーズ ©河野裕/新潮社 ©2019 映画「いなくなれ、群青」製作委員会

――階段島で暮らしている人たちは、みんな何かを失くして、その島に来たわけですけど、佐々岡に関してはそこが明確に描かれてないですよね。

そうですね。この映画では描かれていないです。

ただ、原作にその答えがあるので、その答えをお客さんに感じてもらったり、“この人は何を失くしたんだろう?”と考えてもらいたくて。

そこは先ほどお話しした“陰”の芝居のときにより顕著に表れると思ったので、監督とも綿密に話しました。

――具体的にはどのあたりのお芝居ですか?

佐々岡が「魔女に会いに行く」と言って、階段を上りかけるシーンです。

――委員長の水谷(松本妃代)に止められるシーンですね。

はい、委員長に止められて、佐々岡が自分の気持ちをすべて玉砕されてしまうシーンです。

あそこは彼女が放った言葉によって、佐々岡がそれまでやってきたことが無になって、それが自己満足だったり、自分を肯定するためにやっていた行為に過ぎないという事実が決定的になるところ。

彼が何にこだわっているのかが分かるシーンでもあるので、そこが強く出るお芝居にしました。

僕自身は、明るい性格ではないですから(笑)。

――そういうシーンのお芝居は、演じている松岡さんも苦しいですか? それともその状況を考えながら芝居を作り上げることに楽しさを感じるのでしょうか?

芝居自体は楽しいです。ただ、佐々岡としてセリフを言ったり、ほかの人たちの芝居を受けるのは苦しかったです。

それこそ佐々岡のように何かを抑圧している人を演じるのは大変だし、あの階段のシーンは佐々岡が初めて人に対して怒りの感情を持つシーンでもあったのですが、そこは普段の明るい彼とのコントラストを出すのが難しかった。

僕自身は、佐々岡みたいに明るい性格ではないですから(笑)。

――そうなんですか?

そこが不自然にならないように演じたんですけど、そこで投げたり、受けたりする日本語はすごく美しいものの、刺さるものばかりで。

聞き慣れない言葉というのもポイントで、だからこそグサッとくるのかもしれない。

例えば七草(横浜流星)が真辺(飯豊まりえ)に言う、「君は正しいことの正しさを信じ過ぎている」というセリフも言ってもらわないと分からないものだし、「正しいことの正しさ」という言葉の重みも耳で聞いて考えないと実感が伴わないと思うんです。

そういう言葉も本作の中には点在していたので、演じているときは本当に苦しかったですね。