まさに巨星堕つ。立川談志師匠のご逝去の噺である。
過去に何度も師匠の高座は拝見させていただいたものである。
仕事的には、いまを去ること20年ほど前、銀座ガス・ホールにて“談志ワイルダーを語る”と銘打ち、『お熱いのがお好き』の上映と談志師匠のトークーショーという、なんとも贅沢なイベントにご出演していただいたことがある。
『立川談志~「落語のピン」セレクション~DVD-BOX Vol.1』より
また、雑誌のインタビュー企画で中村勘三郎さんと芸について対談を組んだこともあった。
その際、勘三郎さんの『談志師匠、芸とは誰のためにやるもんなんです?』との問いに、『それは、世のため人のためってことだな』。そう断言されたのがとても印象に残った。師匠の答えを聞いた勘三郎さんが、深く目を閉じ合掌されたその姿を、今でも鮮明に覚えている。忘れようにも忘れられない。傲慢、奔放、わがまま……。中傷めいた評価は多々あれども、少なくともその瞬間の立川談志師匠の佇まいからは、芸人の真摯な、極めて真摯な姿を見せ付けられた。
素人の私ですらそうである。芸人・勘三郎さんは、あのとき、何を感じられていたのだろうか……。
談志師匠の訃報は知ってのとおり、各メディアでは大々的に報じられた。スポーツ新聞では6紙中4紙が一面トップ。
また情報番組、ニュース番組もトップニュース扱いであった。おそらく週明け発売となる、多くの週刊誌が多くの誌面を談志師匠の訃報に割くことになるだろう。
『立川談志~「落語のピン」セレクション~DVD-BOX Vol.3』より
さて、人々に愛された談志師匠の訃報報道を見て、ふと感じたことがある。
これだけ多くの報道がなされてはいるが、もしかしたら談志師匠の高座をナマで見た人は、実はほんのひと握りしかいないのではないか? ということである。
高座はおろか、テレビ中継、DVD、CD、はたまた速記本でも一席まるごと、きっちり鑑賞した人は意外と少ないのかもしれない、そう思ったのである。
間違ってたら、ごめんなさい。
なにも、談志師匠の存在価値を貶めようとしているわけではないことは、理解していただきたい。
つまりこの世は、本質ではなく、その人の表層に食いつくマスメディア、や世間一般の人々がほとんどであるということを言いたいのだ。派手なパフォーマンスばかり取り上げて、その人が積み重ねてきた本質であり本業に対しては、まるで触れないことが、多々あるということである。
一方、談志師匠が亡くなられたことで、これから談志師匠の噺を聴いてみたいと思った人、これもかなりいるだろう。
だから、今回この場を借りて、立川談志師匠の本質であり本業である落語について語りたい。
といっても仰々しいことではない、仰々しいレベルのことはプロの演芸評論家がすればいい。
いま伝えたいことは、談志師匠は、こんな噺家で、こんな噺をしていた人だよ、と伝えることだ。
つまりは、こんなCDやDVDや書籍がおススメですよ、と伝えるにすぎない。
なにも小難しい、談志論を振りかざすわけではないのだ。
さて、そんなワケで、談志師匠の数多ある噺の中でおススめはなにか?
個人的には『ねずみ穴』『らくだ』『芝浜』『粗忽長屋』『二階ぞめき』『やかん』あたり、にハマった口である。これはぜひともおススめしたい。
それらの演目を、どのCD、どのDVDで観るか聴くかというと、これがなかなが難しい。
なにしろDVDだけで300品近くもあるからである。
そこでまずはBOX、つまりは大人買いをおススめしたい。
理由はある。もちろん、値段は張るがそれなりの理由はあるのだ。
まず、十八番が満載されている。よってハズレなし。その上、サブの噺も聴ける。
さらに、そのことは必然的に十八番から通好みのネタまで包括して聴けることを意味する。つまりは、談志ワールドを一挙に把握できる。まぁ、そんなところだ。ハズレなしってのが、大きいでしょ?