今やすっかり全国区の顔になった落語家・立川志らく。月曜日から金曜日まで全国放送されている朝の情報番組のメインMC、そして続く番組のコメンテーターとして、落語界を見渡しても、これだけの露出がある演者は、まず見当たらない。1年数ヵ月は、激忙にして激動の月日だっただろう。
この落語家が、これまで10年間にわたって、「その年の自分の落語の語り納めの場」と決めてきた特別な会が、12月のよみうりホール公演である。
落語家と落語ファンにとって、12月は「芝浜」の月とも言えるが、意外なことに、立川志らくにとって、長い間、「芝浜」は、愛着のある噺ではなかったと話す。
「もともとはあまり好きな噺ではなかったです。うちの師匠、立川談志が演じているのを聴いていても、他に、もっと面白い噺があるのにな、って思っていた。「芝浜」は、自分の中では、最近やっと好きになってきた噺なんです」
それはまたなぜですか、と、誰でも当然問いたくなる。
「あまりにも美談だから。美談は恥ずかしいもんだ、落語で美談をやるべきではない、っていう洗脳教育を談志から受けてきたから。ところが、談志はそれを高座でやっていた。その矛盾が自分の中ではわからなかった」
あるまじき美談の「芝浜」は、されど「芝浜」だった。落語家は、自分がこの噺を演じる価値を、ついに発見する。
「わたしの中では、一番遊べる落語なんです、「芝浜」は。どういうことかと言うと、その場でアドリブができるということ。登場人物が、基本ふたりっきゃいないから、そのときの気分で、アドリブが本当にやりやすい。
高座に上がったそのときの気分と、観客席の雰囲気と、自分が思っていることとが、ピタッと合ったとき、いいものになる。アドリブの「芝浜」をやり続けることで、自分の変化や進化もわかる。
今年なんか特に、1年間、これだけ自分がいろんなものを仕入れたわけだから、こんな「芝浜」になりました、という、自分のバロメーターにもなる。そう気づいたことで、「芝浜」が好きになっていった。師匠が亡くなってから後のことです」