ASUSシステム部門のサッシャ・クローン テクニカルマーケティングディレクター

自分好みの音楽を見つける、というのは、実はなかなか難しい。世界中にあふれる、ありとあらゆる音楽の中から、自分好みの楽曲やアーティストに出会うというのは、ほとんど「運」次第だ。例えば私は、アイルランドの歌手、エンヤが大好きなのだが、出会いは「ジャケ買い」だった。今ではほぼ死語になった「レコード屋」でジャケットのデザインだけを頼りにレコードやCDを買う。私の場合、基本、試聴もしない。これが意外に当たったりする。エンヤは「大当たり」だった。とは言え、自分好みの楽曲に出会える確率はやっぱり低い。ストリーミング全盛の今なら、昔より確率は高まっているかもしれない。それでも、自分好みの「音楽そのもの」を検索することは、今でもできない。世界のどこかに自分が大好きな楽曲を、創り奏でるアーティストが存在するかもしれないのに、一生出会うことはない……。そんな状態は、この地球上に音楽が生まれてからずっと続いてきたのだ。

もしかすると、これを解決するのがAIなのかもしれない。先日台湾を訪れた際、ASUSの技術者と話していてそう感じた。台北市北投区に本社を構えるPCメーカー、ASUS。システム部門のテクニカルマーケティングディレクター、サッシャ・クローン氏とAI PCについて話す機会があったのだ。サッシャは、Foxconn、AMD、CoolerMasterなどなど、名だたるIT企業を経て2015年にASUSに入社。現在は、ASUSとROG両ブランドのノートPC開発に携わっている。時あたかも、COMPUTEX TAIPEIの開催期間中。展示会はいわばAI一色。世界屈指のIT展示会で、地元企業ともいえるASUSも数多くのAI PCを発表した。ようやく見えてきたAIの役割と機能。しかし、まだまだうすぼんやりとしたものにすぎない。第一線で活躍するサッシャに、一体AIに何ができるのか、率直に投げかけてみた。

「AIの現状は、山登りで言えばまだ中腹ぐらい。頂上にはいったい何があって、そこから何が見えるかは、まだよくわからないんだ」。サッシャは素直に語り始めた。「5月、アメリカのシアトルでマイクロソフトのCEOサティア・ナデラから聞いた言葉が印象的だった。『テクノロジーの最終目的は、我々が理解する必要のないもの。テクノロジーの方が我々を理解することだ』。これを実現するのがAIだと思う」。なるほど。確かにその通りだ。コンピュータが誕生してから、人間との「間合い」は、徐々に変化してきた。その際たるものが言語だ。機械語からアセンブラ、FORTRAN、Cなどと言語が高度化するにつれ、コンピュータ言語は徐々に人間の言葉に近づいてきた。しかしいずれも人間の方が、なんとかテクノロジーを理解し、活用してきたことには変わりない。距離感の違いはあれど、人間がテクノロジーに歩み寄って成り立ってきた。それが、AIによって、テクノロジーが人間に歩み寄る次代が到来しようとしているわけだ。

AIの役割としてサッシャは「例えば、普段やっている仕事なら、AIの助けで、より短時間で効率的に処理できるようになる。逆に、楽器の演奏みたいに、やったことがない初めてのことでも、AIの手助けで、簡単にできるようになるんじゃないかな。絵なんかでも同じ。マイクロソフトペイントのイメージ クリエーターを使えば、いたずら書きがきれいな絵になったりするのがいい例だよ。フリーのオーディオエディターAudacityにも最近、プラグインでAI機能が追加されたんだ。全く新しい音楽を生成できるようになったのも、いい例だね」と話す。彼が例に挙げたイメージ クリエーターは、確かに子どもの落書きのような感じで絵を描くと、ちゃんとした絵に仕上げてくれる。Audacityでは、オーディオエディターの定番機能であるノイズ除去から、楽器やボーカルを分離、独立させて調整できるようにする機能もあり実用的だ。全くのゼロから音楽を生成することもできるが、このクオリティーは、いまのところまだ微妙だけど。

AIの問題点として、必ずしも正しい答えを返してくれるとは限らないというものがある。今後どんどん精度が上がり、正答率は高まっていくだろう。しかし、すべてが正しいかどうかの保証はどこにもない。まあ、人間でも同じことだ。であれば、正答がない分野ならどうだろう。AIは心置きなく使えるんじゃないのか。先ほどの、絵や音楽への応用はいい例だ。サッシャも「クリエイティブの分野で、AIはとても大きな助けになると思う」と語る。「実際、NVIDIAが開発したDLSS(Deep Learning Super Sampling)は、ゲーミング業界になくてはならない技術になったんだ。ディープラーニングを使って、高い解像度の画像を容易に描画する技術。それ以前はゲーミングの世界にAIは不要という声もあったぐらいだけどね。多分、同じことが多くの分野で、特にクリエイティブの分野で起こると思う」。例えば、スターウオーズの登場人物を侍にして黒沢映画風にしたらどうなるか、といった動画もすでにYouTubeに上がっている。そんなバリエーションをどんどん作れるのもAIならではだろう。

クリエイティブ分野で、AIが多用されるようになると、そのアウトプットはいったい誰のものか? という問題は常に付きまとう。現状では、まだその答えはない。サッシャは「著作権の問題に対する答えはまだ出ていない。個人的には、AIは単なるツールに過ぎないから、AIを使って作った人のもの、ということになるとは思う」と話す。「ただ、音楽のリミックスやカバーみたいなアプローチもあるんじゃないかな。ベースになった作品の作者とAIを使って作品を作った作者で、収益を分ける仕組みがあればいいかもしれないね」とも。それこそ、AIをうまく活用して、収益分配の仕組みを作れば、もしかすると、新たな著作権のエコシステムを生み出すことができるかもしれない。

ASUSは、今回のCOMPUTEX TAIPEIで、AIエンジンを内蔵するCopilot+対応のPCを数多く発表した。QualcommのSnapdragon X シリーズプロセッサ搭載のASUS Vivobook S15を筆頭に、AMDのRyzen AI プロセッサを搭載した、ASUS Vivobook S14、クリエイター向けのASUS ProArt PX16などなど、まさにAI PC一色。これはASUSに限らず、他のPCメーカーも同様、業界を挙げてAI PC激押しという状況だった。しかし、わざわざ自分のPCにAIチップを載せるメリットは何なのか? 別にクラウドのAIサービスを使えばいいじゃないか? という疑問もある。サッシャはこの問いに「まず、プライバシーを守った状態で安全にAI処理ができるという点は大きいよね。セキュリティーの問題を気にせずにAIを活用できるんだ。誰もが、クラウドには置きたくない個人情報があるはず。それを、自分のPCだけで処理できるんだよ」と答えた。

PCを使っていて、かなりの時間を費やすのが検索だ。しかも自分のPCの中の。あのファイルはどこに置いたっけ? AI PCの特徴をまとめたファイルを作ったはずだけど、そこで見つけた3つの重要な要素はなんだっけ? みたいなことは頻繁に起こる。自分のPCの中にあるファイルを丸ごとAIに食わせて、作成したり集めたりしてきたファイルから、必要な情報を即座にコンパクトにまとめて引き出す、みたいなことができるようになるだろう。こんな使い方をクラウドAIでやるには、全部のデータを一旦クラウドに上げる必要がある。それなら、自分のPCでAI処理ができれば、安心だし早い。

サッシャはこんなメリットも挙げた。「今、無料で使えているクラウドのAIサービスはたくさんあるけど、いつまでも無料というわけにはいかないだろう? いずれは何らかの形で料金を払うことになる。自分のPCにAI機能がついていれば、少なくとも、AIクラウドサービスの使用料を払うことはないよね」。AIを使い始めると便利で手放せなくなる、という話もちょこちょこ耳にするようになった。がっつり自分のライフスタイルに無料のAIが浸透したとたん、有償化されて、以後、多額の利用料を請求されるようになるかもしれない。それは困る。しかし、自分のPCにAIが載っていれば、少なくともそこで処理する分には無料で使えるというわけだ。サッシャは最後にこんなことも言った。「さっきの音楽のリミックスの話だけど、もしかすると、AIが自分好みの音楽を自動で生成してくれるようになるかもしれないね」。

例えば、普段ストリーミングサービスで音楽を楽しんでいるとすると、聞いた楽曲のジャンルやアーティスト名、聴取時間などを取り込んで、自分の好みをAIが判断できるようになる。そうすれば、世界中に溢れる、一生で会うはずのなかった、自分が好きな楽曲に出会えるチャンスは格段に広がるだろう。楽曲の要素をもっと詳細に分析して、使用されている楽器やボーカルの声の調子、曲調やテンポなども学習して、究極の自分好みの曲を、AIが自動生成してくれるようにもなるかもしれない。そこへ、AI時代の収益分配システムが上手く組み合わされれば、大勢のアーティストたちが「食える」ようになるかもしれない。しかし分配システムが機能しなければ、アーティストの大失業時代を招きかねない危うさもあるけれど……。いずれにせよ、AIで生活が一変するのはもう目前に迫っている。サッシャと話してそう確信した。(BCN・道越一郎)