NHKで放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。激動する時代に翻弄(ほんろう)され、数々の人物が散っていく中、第1回から最終回まで生き抜いた数少ない人物の1人が、主人公・北条義時(小栗旬)の盟友・三浦義村だ。物語はいよいよ大詰めを迎えるが、無事に三浦義村を演じ切った山本耕史が、一足先に作品を振り返った。
-長期間の撮影お疲れさまでした。ここまで無事に義村を演じ切った感想を聞かせてください。
すごく気持ちよかったです。義村は、義時と違って、言っていることが第1回から全く変わらないんですよね。のらりくらりといろんなところに行くんですけど、そういう生き方に迷いがない。よくいえば真っすぐで、ブレがない。しかも、北条だけでなく、和田からも比企からも頼られるわけですから。つまり、それぐらいの実力者だったということで、三浦が味方した方が生き残ったというのは、史実からも明らかですし。だから、この大河ドラマの中では、真っすぐに生き抜いたな、というのが率直な感想です。
-本心を巧みに隠して、さまざまな人物の間を渡り歩く義村の処世術は見事でした。
少しでも重心を崩したら落ちてしまいそうな危ない橋を、絶妙なバランスで渡り切るような勘と判断力の見事さは爽快でした。僕自身、台本を読んでいても「なるほど、こっちに付くのか」と思ってページをめくってみたら、「やつは話に乗ってきたぞ」みたいなことを言っていたりするので、「どっちなんだ?」とよく分からないときがあったぐらいで(笑)。
-そこまでとは(笑)。
追い詰められたときの言い逃れも巧みでしたし。義時に向かって「俺を信じるか信じないかはそっちの勝手だ。俺を信じておまえは死ぬかもしれないし、信じて助かるかもしれない。だが、俺を信じなければ、おまえは間違いなく死ぬ」と言う場面(第41回)も、すごく義村らしくて好きなせりふです。「ゼロか100かじゃないんだ」と思って(笑)。小栗くんも、「いいな、義村は楽しそうで」と言っていましたけど、正直、義時よりずっと楽しく演じられたと思います(笑)。
-最後まで共に生き抜いた小栗さん演じる義時との関係についてはいかがでしょうか。
今回は僕自身も非常にいい距離感でやれました。義村と義時って、すごく近いようで、お互い腹の底を探り合っているのも否めない関係性だったんですけど、小栗旬と山本耕史の関係性においても、お互い、思うことはあるんだろうけど、語らずとも通じ合っている、みたいなところがあったんです。1年半もやっていると、義村が言っているのか、自分が言っているのか、分からなくなるときもあったりして。
-まさに役と一体化したような感じですね。では、座長としての小栗さんはいかがでしたか。
小栗くんは、本当にタフな精神力と肉体の持ち主です。大河ドラマの主役は1年半、48回にわたって同じ役を演じ続けなければならないので、精神的にも体力的にも、本当に大変なんです。それなのに、最初の頃はたくさんの先輩方にきちんと気遣いをして、先輩方が去っていくのを見届けた後は、新しく入ってきた同世代や後輩の俳優たちにも目を向けて。自分が一番、気を使われるべき立場なのに、「そんなことまで?」というぐらい、周りに気を使っているんです。その点は、最初の頃の義時みたいだなと。それでいて、後半の義時のような強さも持っている。そういうことも含めて、義時には小栗くんのいろんな人間性を見たような気がします。
-ところで、山本さんは三谷幸喜さんが脚本を手掛けた大河ドラマ3作全てに出演していますが、本作で改めて感じた三谷脚本の魅力を教えてください。
僕が言うのもせんえつですけど、大河という世界の中で、確実に磨きがかかってきています。スピード感や、エピソードを省略する際の切れ味とか。いい意味で「視聴者の期待を裏切っていく斬新さ」というか、大河ドラマだったら絶対に描くような史実や表舞台を、三谷さんは描かなかったりするじゃないですか。普通だったら、「弁慶の仁王立ち」のような名場面は見たいはずなんです。でも、そこは描かず、お堂にこもっている義経(菅田将暉)の姿を見せて、「そのとき、彼らは何をやっていたんだろう?」ということを、それ以上に面白く描く。こういうのは、三谷さん以外ではあまり見たことがありません。
-確かにそうですね。
最初の「新選組!」(04)のときは、池田屋事件など、有名な出来事は基本的に全部描いていたと思うんです。次の「真田丸」(16)では、有名な出来事を描きつつも、関ケ原の合戦を飛ばしたかと思えば、「そこを描くんだ!?」という驚きがありました。今回の「鎌倉殿」では、そういう部分がより斬新になり、磨きがかかっていたと思います。「なぜこれが起きたのか?」ということを、内側からひも解いていくとでも言えばいいのかな。そこに、三谷さんらしいちょっとしたおとぼけやコメディー的な要素を織り交ぜて。本当に素晴らしかったです。
-ものすごくシビアな場面に笑いを盛り込むのも、本作の特徴です。
恐らく、三谷さんにとっては、ああいうシーンこそ「もってこい」の瞬間なんだと思います。普通のドラマだったら、ちょっとシリアスなところからよりシリアスに持って行くのに、三谷さんは「え?」という感じでいったん外して、緊張を緩める。そうかと思えば、「そんなところで?」みたいなときに緊張させ続けたり…。その辺がすごいです。
-おっしゃる通りです。
八重(新垣結衣)さんが川で亡くなったときも、僕が上半身裸になったんですけど、「これ僕、脱ぐ必要あります?」と聞いたんです。川に入るだけなら上はぬれないんだから、どちらかといえば、はかまを脱ぐか、まくり上げた方がいい。そうしたら、「重たくなり過ぎるシーンなので、義村の裸体で、見ている人の気をちょっとそらしたいんだ」って。「そこまで計算しているのか」と驚きました。
-確かに、それは驚きですね。そんな三谷さんが今回、どんな最終回を書いたのかが気になるところです。
僕も「どんなふうに終わるんだろう?」と思っていたんですけど、最終回で義村と義時の関係について言えるのは、非常に面白い形で幕を閉じるということです。2人の関係性がきちんと見えて、お互いふに落ちるようなすごく爽快ですてきなシーンになっています。三谷さんらしいテイストもあり、難易度の高いシーンだと思ったので、演じるに当たっては、普段あまりやらないんですけど、「この辺でこのぐらいのトーンでせりふを言って、ここでもう一個上げて」みたいな感じで、事前に演技を組み立てて臨みました。だから、僕自身も放送が楽しみです。
(取材・文/井上健一)