2022.12.7/東京都千代田区のサードウェーブ本社にて

【東京・外神田発】前田さんは60歳の頃、自身の仕事や生き方への疑問をともなうストレスにさいなまれた。「本来は40歳くらいで感じるものでしょうが」と前田さんは笑うが、それを機に自分の人生を振り返り、少しは人の役に立つことをやりたいと考えるようになったという。そして、その数年後、現在取り組んでいるeスポーツ普及の仕事に出会う。「ひどい人生を送ってきたので、その借りを返してせめてイーブンにしたい」。もちろん謙遜も多分にあろうが、そうしたモチベーションがこの事業を意義あるものとし、企業の枠にとどまらない社会的な貢献に結びつけるのだと思う。

(創刊編集長・奥田喜久男)

映画は「ストーリー」であり

ゲームは「ルール」である

前田さんは、大学卒業後、京都の茶器メーカーに就職された後、得意の英語を生かして英会話教室の先生や責任者を務められます。

そうですね。英語関係の仕事を約10年、その後の30年近くはゲームの世界に身を置くことになります。

セガに入社されたのは、何歳のときですか。

1991年、36歳のときです。

そこでは、どんなお仕事を任されたのでしょうか。

開発状況を見ながらリリースするゲームのラインアップを決めたり、他社製作のゲームをセガのプラットフォームで販売するためのライセンス契約の仕事などですね。

ゲーム製作そのものではなく、交渉事のほうが主となるのですか。

そうですね。ただ、製作現場と近いところにいましたから、現場の人間と話しながらいろいろな交渉をするという形でした。

前田さんは、ゲームというものをどう捉えていましたか。また、ゲームそのものはお好きでしたか。

嫌いではありませんが、それほど好きというわけではありませんでした。というのは、本当にゲームが好きという方の中には、ゲームに感動して泣いてしまうという人もいるんです。ゲームで泣ける人というのは、相当なテクニックを持っており、最終ステージまで進んで最後の映像まで見ることのできるレベルなんですね。そういう意味では、「本当に好き」とは言えないですね。

そうか、すごく上手でないと感動するレベルにまでたどり着かないと……。

そうですね。それで、私から見るとゲームと映画はどんどん似てきている半面、まったく別のものであると思うんです。

そこに、どんな違いがあるのですか。

映画というものはストーリーであり、ゲームはルールなんです。つまり、ゲームの場合は、「これをやったら、こういうことが起こる」というルールがあり、そこにキャラクターや世界観を付与することで、プレイする人ができるだけその世界に没入できるようにつくられているのです。

ハードやソフトの進化により、いまのゲームは実写に近い映像を実現しています。だから、ゲームと映画は似てきていると申し上げたのですが、ゲームをプレイする人は、ストーリーを追うのではなく、主人公として自らその世界を体験するわけです。ゲームはその没入感に優れている一方、ストーリーはぶつ切りになってしまう。つまり、テンポよくストーリーを提示する映画とは、その本質においてまったく異なるんです。

学生時代から映画に耽溺していた前田さん個人としての思いは?

自分としては、どちらかと言うとストーリーのほうが好きですね。映画といっても商業色の強いものもあれば、魂を揺さぶられて生き方を変えるきっかけになるような作品もあります。ゲームでは、そこまでの感動は得られないと思うのですが、もしかするとそれは偏見かもしれません。それは、ゲームで泣けるレベルにある人は、私には見えない風景を見ているかもしれないからです。

得意とする仕事が

向こうからやってきた

前田さんは映像の仕事にも携わっておられましたが、その世界に入られたのはいつですか。

セガグループでのキャリアの最後に、その子会社であるマーザ・アニメーションプラネットというCGの映画製作会社の社長を務めたのが最初ですね。57歳のときに就任し、6年間、そこで映像の仕事をしたんです。

学生時代は毎日のように映画を見て、当時、映像の世界もいいなと考えていましたが、実際に携わることになるとは思ってもいませんでした。

そして現在、サードウェーブでご活躍ですが、どんな経緯でこちらに参画されたのですか。

64歳でセガグループを退任し、次の仕事探しをしていました。そんなとき、セガで大変お世話になった方から連絡があり、サードウェーブの尾崎健介社長と仕事をしないかと声がかかりました。そのころ、サードウェーブは映像の仕事に精通している人材を探していて、私に声がかかったのだと思います。

得意な仕事と人の縁がつながったのですね。

また、ちょうどそのころ、サードウェーブではeスポーツのさらなる発展を目指して、米NASEF(ナセフ:北米教育eスポーツ連盟)と提携しようというタイミングでした。

ようやく、eスポーツの話にたどり着きました(笑)。

NASEFとの提携にあたっては、英文での契約を取り交わす必要がありますが、それは一番の得意分野ですし、eスポーツといってもゲームであることに変わりないですから、この分野にも明るい。自然と向こうから得意な仕事がやってきた感じがしましたね。

現在、前田さんはeスポーツ推進本部の責任者ということですが、具体的にはどんなことをしていらっしゃるのですか。

まず、全国高校eスポーツ選手権の企画運営があります。現在、第5回大会を開催中です。

そして、NASEFと一緒にeスポーツを使って教育を行う試みに取り組んでいます。先日も米国アトランタに行き、現地の高校でどのように行われているか視察してきました。そのなかで、日本でもできるものがあれば取り入れて、それを広げていきたいと考えています。

さらに、企業版ふるさと納税(寄付)を行うことにより、自治体とともにeスポーツの普及を図っていきたいと考えています。その一例を挙げれば、茨城県や群馬県に寄付を行ってeスポーツで地域活性化を推進するとともに、eスポーツイベントを生徒自身が企画運営することで生徒のITC習得と地域企業との関係構築に活用していただいています。

この事業のゴールは、どこにあるのでしょうか。

野球やテニスやバスケットと同じように、eスポーツも当たり前にプレイするものにしていくことですね。そして、その経験やスキルが就職に結びついたり、ひいては地方の活性化につながったりすればいいと考えています。

お話を聞いているとワクワクしてきますね。これからもさらなるご活躍を期待しています。

こぼれ話

子どもの頃だ。神社の南側に覆い茂っている竹藪の中に迷い込んだことがある。その中は枯れた竹が縦横無尽に横たわっていて、とても歩きにくかった。小学生の頃って、探検が好きじゃないですか(いや今でもかな)。でも、うっそうとした藪に不安だったな。風が吹くと、竹藪全体が“ザワッ”と揺れるんですよ。恐る恐る上を見上げると、その中の一本がとてもしなやかに揺れているんです。これが、風の流れを身体が感じた瞬間でした。前田雅尚さんとの初対面では、しなやかな竹を思い出した。プロフィールには京都で学生時代を過ごし、社会人のスタートも京都で茶器を扱っていたとある。なるほどと納得する。言葉の滑らかさからも、確かに、そんな雰囲気が漂っている。

よし、たずねてみよう。「出身地は?」。「高知」とおっしゃる。変だなー、私の知ってる高知出身の方はガシッとした筋肉質の体型だし、むか~しの力士の荒勢(あらせ)もそうだったし。でも、しなやかな雅尚さんは雰囲気に似合わず、ゴーイングマイウェイな生き方をしておられる。大学の4年間は読書とジャズと映画鑑賞三昧。さらに2年間は卒業の単位取得のために英語三昧。京都はよほど居心地がよかったのだろう。さて、読書の仕方は半端ない。1週間、本を読み続け、この間ひと声も発しなかったので、心配になって「あー」と発声してみたらしい。そういえば、歴史学者の磯田道史さんは学生時代に図書館で古文書を読み続けて意識を失い、病院に運ばれたという。雅尚さんは言う。「一人で何かをずーっとし続けることは苦にならないんです」と。

声が出ないかもしれないと心配になって、発声してみたって、カッコイイですよね。

雅尚さんは今、映画づくりに没頭しておられる。幾つになっても夢中になるものがあるって、幸せだと思う。映画づくりには学生の頃の読書とジャズと映画鑑賞で蓄積した知識が独特の味わいを醸し出している。それはコーヒーをいれる時にドリッパーの中に入れる豆の種類と同じだ。雅尚さんは社会人のスタートが2年ほど遅れたが、その間に得た知識、感覚、所作、英語は骨身に染み込み、いつの間にか、生き方として体内に宿った。これが雅尚さんが大切にしている「摂理」なのかな…。

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。