日本時間3月13日に行われた第95回アカデミー賞授賞式は、最多ノミネートの『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』(略称『エブエブ』)が、作品賞やアジア系俳優初となるミシェル・ヨーの主演女優賞など7部門で受賞し、話題を独占した。
当日の主役となった『エブエブ』だが、その中で筆者が注目したのは、ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートが受賞した監督賞だ。これについて、アカデミー賞の行方を占う“前哨戦”と呼ばれる映画賞の結果を検証する中で、一つ気付いたことがある。有力な前哨戦であるゴールデン・グローブ賞監督賞と全米監督組合賞の結果が、8年ぶりに割れていたのだ。
ゴールデン・グローブ賞監督賞を受賞したのは、『フェイブルマンズ』のスティーブン・スピルバーグ。全米監督組合賞を受賞したのが、『エブエブ』のクワン&シャイナート。この二つの賞は、過去10年、2015年を除いて常に一致し、そのうち7度はアカデミー賞監督賞とも重なってきた。
一致する傾向の高いゴールデン・グローブ賞監督賞と全米監督組合賞の結果が割れ、アカデミー賞監督賞が『エブエブ』に渡ったことには、どんな意味があるのか。
この2作は、どちらも「家族」をテーマにしながらも、その内容はきわめて対照的だ。70代の巨匠スピルバーグが、自らの過去を投影した自伝的映画『フェイブルマンズ』は、家族との関わりの中で映画に目覚めていく少年の成長を描いた物語。舞台設定が1950~60年代ということもあり、どちらかというとノスタルジックな内容で、登場するのは白人ばかりだ。
これに対して、30代の新鋭クワン&シャイナートが監督した『エブエブ』は、中国系アメリカ人の平凡な主婦が、世界の救世主となって悪と戦うファンタジー。“マルチバース”というはやりの設定を取り入れた奇想天外な物語ながら、アジア系移民(クワン自身も中国系移民の息子)やLGBTQ+の要素も取り込んだ現代的な内容となっている。
演出的にも、熟練の技で深みのある物語をじっくりと味わわせてくれる『フェイブルマンズ』に対して、荒い部分はあるが、有無を言わせぬ勢いと疾走感にあふれた『エブエブ』はあまりにも対照的だ。
この2作を比べると、作品の評価とは関係なく、どうしても『フェイブルマンズ』は懐古的かつ保守的で、『エブエブ』の方が未来志向で先進的な印象を受ける。
一昔前のアカデミー賞だったら、『フェイブルマンズ』が監督賞を受賞してもおかしくなかっただろう。だが、演技部門の候補者が全員白人で占められ、「白すぎるオスカー」と問題視された7年前の第88回以来、アカデミー賞は投票権を持つアカデミー会員を米国内に限らず、世界的に拡大してきた。
未来志向で多様性にスポットを当てた『エブエブ』が監督賞を受賞したのは、その変化を象徴する出来事の一つで、アカデミー会員も所属する全米監督組合が『エブエブ』に賞を贈ったのは、その伏線だったようにも思える。
一方、結果が割れたゴールデン・グローブ賞を振り返ってみると、こちらはアカデミー賞に遅れること数年、21年に選者(当時は、ハリウッド外国記者協会に所属するジャーナリストのみ)に黒人が一人もいないことが問題視された。
これをきっかけに、アカデミー賞同様、選者の世界的な拡大(アカデミー会員は含まない)に取り組むようになったと聞く。そのため、今後は傾向が変わってくると予想されるが、今年の監督賞は、過渡期としてアカデミー賞や監督組合賞との認識の違いが表面化した結果といえるかもしれない。
そして、アカデミー賞の変化という点で振り返っておきたい出来事が、もう一つある。前回この二つの賞が割れた15年は、ゴールデン・グローブ賞監督賞を『6才のボクが、大人になるまで。』のリチャード・リンクレイター、全米監督組合賞を『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』のアレハンドロ・G・イニャリトゥがそれぞれ受賞している。その結果、アカデミー賞監督賞は、今回と同じく全米監督組合賞を制したイニャリトゥが受賞した。
当時はちょうど、イニャリトゥを含むメキシコ出身者が3年連続でアカデミー賞監督賞を受賞し、メキシコの映画人に注目が集まった時期だった。ここからも、この二つの賞が割れるのは、アカデミー賞の変化の兆しと捉えてみたい気がする。
これらを踏まえると、ハリウッドの映画賞から世界の映画賞へと変わりつつあるアカデミー賞は、また新たな変革の時期に差し掛かっているのかもしれない。『エブエブ』の監督賞受賞は、そんなことを考えさせられる出来事だった。来年のアカデミー賞がどうなるのか、今から楽しみだ。
(井上健一)