(C)2023「愛にイナズマ」製作委員会

 26歳の折村花子(松岡茉優)は、理不尽な理由で映画監督のデビュー作から降ろされる。泣き寝入りはしないことを決意した花子は、10年以上音信不通だった“どうしようもない家族”のもとを訪れ、父と2人の兄にカメラを向けて夢を取り戻すべく反撃を開始する。石井裕也監督がオリジナル脚本で家族を描いたドラマ『愛にイナズマ』が10月27日から全国公開される。公開に先立ち、花子の父の治を演じた佐藤浩市、長兄の誠一を演じた池松壮亮、次兄の雄二を演じた若葉竜也に話を聞いた。

-最初にこの映画の脚本を読んだ印象と、実際に演じてみてどう思ったかをお話しください。

佐藤 脚本を読んで勢いを感じました。物語の進め方や扱っている題材や素材とかではなくて脚本自体に勢いがあった。それをすごく感じたので、この勢いにみんなで乗っかって芝居をすると面白いんじゃないかと。キャスティングは最初からある程度決まっていたので、みんなでそういうことができるよなという感じがプンプンにおっていた脚本でした。カメラは当然何方向からも撮っているし、ワンシーン、ワンカットでもいけてる。そういう芝居というか、そういう絵をいくつも重ねながら、その中で、ちょっとお客さんに対する丁寧さも含めて、編集しながらカッティングをして見せていくというような作品だと思いました。

若葉 先ほど浩市さんがおっしゃったみたいに、この船に乗られなかったら後悔するだろうなと思ったし、ただでは帰らないぞっていう思いもありました。現場ではほとんどの皆さんが初共演の方でしたが、日に日に現場で過ごすことが好きになっていくのが実感できました。

池松 勢いとエネルギーがあって、繊細かつ大胆な構成で書き殴られた力強い脚本でした。石井さんの脚本はこれまでもたくさん読ませてもらってきましたが、中でも異様なエネルギーとポップさ、さらに形容しようのないエモーションがありました。世間はもうコロナがあったあの頃のことなんて忘れて、とっとと新しい時代に向かいたいのかもしれません。ですが、自分たちがあの時確かに感じたこと、悲しさや悔しさややるせなさ、これまで受けた理不尽なこと、そしてこれまで生きてきたこと。あらゆる欺瞞(ぎまん)を捨ててマスクと共にはがし、カメラで暴き、イナズマによって照らす。本当に大切なものをなんとか取り返そうと、必死に守ろうと奮闘するこの主人公をはじめとした登場人物たちの心の叫びに賛同し、何とか後押ししたいと思いました。

-「カメラを向けられると、人は演技をするという」せりふがとても印象的でした。花子にカメラを向けられた時の三者三様の反応が面白かったのですが、あのせりふとシーンについて感じたことがあれば教えてください。

佐藤 僕も昔から言っていたんだけど、本当にその通りですよね。それこそドキュメンタリーの名作と言われている作品を見てもそうだけど、やっぱりカメラを向けられた瞬間に人は演じてしまうんです。自意識過剰になってしまって感情をコントロールできなくなる。それがあるということは前々から自分でも思っていました。だから、その通りのことだと思ったし、そういうことが改めて表現できたのはよかったです。

若葉 本当にその通りだと思います。僕も俳優であるという意識がなくてカメラを向けられたら、あのぐらい挙動不審になってしまうかもしれません(笑)。それを解放したというか、そういう仮面を全部取ったという感じでした。

佐藤 いや、難しいんだけど、演者だから逆に行こうとするんだよね。カメラを向けられた時に。そうじゃない普通の演技経験がない人がカメラを向けられると、よりそうではなくなる。『ゆきゆきて、神軍』(87)なんてまさに明らかに意図がそこにあるわけだし。

池松 その通りだと思います。普段からカメラを向けられていることに慣れているどんな俳優であっても、カメラを向けられることでそこに意識が生まれます。カメラというのは視線であって時に暴力を伴うものでもあります。そのことを俳優は人よりもより知っているものだと思います。カメラを向けられることで、本来意識的にも無意識的にも演じる生き物である人は、より何かを演じるものだと思います。とあるシーンで、浩市さん演じるおやじが、カメラをチラチラ見ながら自意識と戦っている姿には最高に笑わせてもらいました(笑)。それを見た花子からは「駄目だ!全然駄目!クソ!」とか言いたい放題言われて(笑)。浩市さんに向かってそんなこと言っちゃ駄目だよと思いながら隣で聞いていました(笑)。

-この映画は、前半と後半の構成が全く違います。撮影中、皆さんは前半部分を見ていないわけですが、完成作を見た時はどんな印象でしたか。

佐藤 後半は、家族の手応えがすごく良かったから、逆に前半部分は大丈夫かなと途中で心配になっちゃいました。でも全く違う味わいの中でそれがちゃんと成立しているのを見て、「さすが石井だな」というのは思ったし、逆に言うと、家族の時とはまたちょっと違うニュアンスの中で2人(松岡と窪田正孝)が頑張ってうまい具合にやっていたし、(仲野)太賀たちもうまく絡んでいたから、そういうのを見て、「あー、これはうまくできているな」と思いました。

若葉 僕もこの映画の持つ力を感じました。今は整理整頓されて、1回見たらいいやと思う映画が多い中で、この手触りというか、ザラザラした感じは唯一無二な気がしました。だから、個人的には何回も見たくなる映画になったんじゃないかなと思います。

池松 ジャンル分けできませんよね。「明日への逆境反逆アフターコロナファミリーラブコメディー」みたいな感じでしょうか。強いて言えば、私たち自身についての映画だと思っています。終末観すら漂っていたあの時を舞台に、この世界の寂しさや未練について、そしてこれからの時代に残された人間の可能性についての映画になっています。主人公が恋人に出会い、駄目な家族を巻き込んで行う、自分を取り巻く世界への反逆、明日への逆転劇。誰かの人生を後押しする力のある物語で、自分自身もこの映画に強く励まされました。

-最後に、映画の見どころも含めて、観客に向けて一言お願いします。

佐藤 いろいろな登場人物が出てきますが、誰もが何らかの形で、見る側の人たちのふに落ちる部分を持っている。無理して、わざわざかき回すためだけに出てくる人は1人もいなくて、何となく「あっ、いるよね」という人たちが出てくる中で、それがうまい具合に重なっているところが、この映画の魅力でもあるし、面白さでもある。肩肘張らずに見ながら、でも、ちゃんといろんなものを感じてもらえる映画にはなったと思います。

若葉 僕が「このシーンが好きだ」と言ったりすると、そこにばかり注目して見られるのもあれなんで。見た人が「私はこのシーンが好きだ」というシーンを一つ見つけてくれると、とってもうれしいです。そういう見方も楽しんでみてください。

池松 先ほども話しましたが、この映画はどこかのおとぎ話でも、客席から遠い映画の中の物語でもなく、自分たちがこの世界で生きていること、生活していることと地続きにある物語です。そして、愛と勇気と優しさをもらえる“アンパンマンみたいな映画”になっていると思います。コロナを共に経験し、共にマスクを付けた全ての人に見てもらえたらと思います。このゆがんだ世界でそれでも人として正しくありたいと願い続ける憎まれっ子が世にはばかります。ぜひ、花子と変な彼氏と駄目な家族に会いに来てください。

(取材・文/田中雄二)