「どうする家康」(C)NHK

 NHKで好評放送中の大河ドラマ「どうする家康」。10月22日放送の第40回「天下人家康」では、豊臣秀吉(ムロツヨシ)亡き後の豊臣政権を支えてきた石田三成(中村七之助)が失脚し、ついに主人公・徳川家康(松本潤)が、武士の頂点に立った。

 振り返ってみると、今現在の家康の姿は、放送が始まった当初は全く予想できなかったものだ。「どうすりゃええんじゃ!」とことあるごとに狼狽えていた若い頃のひ弱さは消え、年齢相応の貫禄と落ち着き、老獪(ろうかい)さを身につけた家康の変貌ぶりに驚くばかりだ。だが同時に、強欲な秀吉などと比べると、人間としての素直さや真っすぐな性格は、その奥にまだ残っている印象も受ける。言ってみれば、その両方が絶妙なあんばいで共存し、本性が見えにくい、まさに“狸(たぬき)”と呼ぶにふさわしい存在感を放っている。

 この回を見てうなったのは、そんな家康の“狸”ぶりが絶妙なバランスで醸し出されていたことだ。

 例えば序盤、三成ら五奉行と家康ら有力大名たち(五大老)が合議制で政治を進めることに合意したくだり。その会議の終了後、家康は三成に「治部、そなたの役目、難儀なものとなろう。だが、そなたならきっとやれると信じる」と、親しく言葉を掛ける。これまでと変わらぬ2人の絆を感じさせるやり取りだ。

 だがその直後、家康と家臣の本多忠勝(山田裕貴)や本多正信(松山ケンイチ)らの間で、こんな会話が繰り広げられる。

忠勝「天下は、力ある者の持ち回り。あんな連中に任せず、殿が天下人となればよい話。覚悟を決めておられるので?」

家康「まだその時ではなかろう」

正信「その通り。このめちゃくちゃな戦(朝鮮出兵)の後始末、買って出ていいことはひとつもない。逃げられるなら、逃げておいたほうが良い。今は、息を潜めることでござる」

忠勝「卑劣な考えじゃ」

家康「治部がうまく収めてくれるなら、それが一番良いことじゃ」

 ここから、家康の内に少なからず天下を狙う野心があるように感じられないだろうか。しかもそれを家康自身が口にするのではなく、忠勝や正信に言わせるあたりが、脚本の妙。すると、三成を信頼しているように思えた先ほどの言葉に、かすかな疑問が湧いてくる。とはいえ、この回を通して見ると、そう感じさせないせりふも多い。ゆえに、自分の中にある野心を、家康自身が意識しているのかどうかもわからない…。そんな微妙なニュアンスが漂ってくる。

 そしてその微妙なニュアンスが、この回を大きく左右することになる。後半、三成の誤解を解こうと2人だけで対面した家康は、政局の混乱を収めるため、「あくまでも一時のことじゃ。一時の間、豊臣家から政務を預かりたい。共にやらんか、治部」と提案。展開次第では、これを言葉通り受け取ることができたかもしれない。だが、前述した家康の野心をにおわせるやり取りがあることで、「天下簒奪の野心あり、と見てようございますな」と答える三成の疑惑や怒りももっともだと感じられてくる。それが同時に、家康の狸ぶりを際立たせる…という寸法だ。

 そんな家康の微妙な心理を表現した松本の演技も見事だった。ゆっくりした一つ一つの動きやしゃべりからは、数々の戦をくぐり抜けてきた大物らしい余裕や貫禄が感じられ、真っすぐすぎる三成との対比でも、その狸ぶりは際立っていた。演じる松本と七之助が、高校の同級生であることを忘れそうになるほどだ(劇中で、三成が生まれたのは、桶狭間の合戦の年だと説明があったように、実際の家康と三成は20歳近く離れている)。また近年は、晩年を演じる際、メイクで老け具合をさほど強調しないことも多いが、今回は年齢を重ねた家康の顔のしみをメイクで強調。そこからも老獪(ろうかい)さが漂ってくる。

 もちろんこれは、筆者の考えに過ぎない。おそらく、見ている人それぞれ受け取り方は違うはずだが、そんなふうにさまざまな印象を与えている時点で、作り手の術中にはまっているともいえる。すでに松本のクランクアップも公式に報告されたが、物語はこれから大詰めを迎える。この先、どんな家康を見せてくれるのか。まだまだ楽しみは尽きない。

(井上健一)