お店に現れたAは2ヶ月前に会ったときとまったく違う雰囲気で、明るい色のシャツもそうだけど何より印象的だったのがその笑顔です。
『先月から家を出てね、今は実家に戻って両親と暮らしているの。離婚したいって言ったら夫には大反対されたけど、別居の期間が長くなったらそれを離婚の理由にできるってわかったから、強行突破した感じ』
はずんだ声で話すAは『やっと逃げられた』と大きく息をついて、状況を説明していなかったことを謝りました。
息子さんが関東の会社に就職が決まったのは聞いていたけれど、それまでAは水面下で離婚の準備を進めていたそうです。
正直に言えば、私はAが本当に離婚するとは思っていなくて、話題にすると追い詰める気がしたからこちらから尋ねるようなことはしていなかったのですね。
それをAも気づいていて、『別居ができてから報告しようと思っていたの』と、ひとりで現実と向き合っていたことを話してくれました。
ご両親はAの生活の状況を知っていて別居に反対することはなく、生活費を折半する条件で実家に戻ることを許してくれたそうで、その説得や息子に打ち明けたときのことなど、いろいろと聞きました。
『もう家には十分尽くしました、子どもへの責任も果たしましたって、夫にも息子にもはっきりと言ったわ。息子は私がつらい思いをしているのを知っていたけれど自分は家を出るからもう関係ないって感じで、薄情だなと思ったけどこんなものかしらね』
と、寂しそうに笑うときもあったけれど、Aが夫のいない生活を楽しんでいるのは伝わってきて、『羨ましい』と強く思いましたね……。
そのとき、『こんな道もあるのだ』とハッとして。
今まで、どこかで離婚は他人がすること、自分はずっとこのままなのだろうなとぼんやり思っていて、別居や離婚で家庭から自由になるなんて想像もしていなかったのですね。
でも、実際に行動して晴れやかな笑顔を見せるAを見ていたら、『不可能ではない』と初めて自分の身に置き換えて考えました。
それからは、娘たちはともかく私の気持ちをまったく尊重しない夫との老後を具体的に想像するようになって、自分がつらくなる一方の生活しか思い描けなくて、何とかしなくてはと思っています。
熟年離婚なんて自分には関係ないと思っていたけれど、身近で幸せになった人を見ると現実感が湧いてきます」(48歳/小売業)
離婚そのものが自分にはピンとこない、という人も多いですが、それが間近になるのは実際に離婚で変わった人を目の当たりにしたときです。
今の生活に不満を覚えながらも離婚を「できないもの」としているのは、自分を諦めているからともいえます。
実際にするかどうかは別として、離婚の選択肢を自分に用意するのは、広い視野で人生を考えるきっかけです。
自分の納得できる道を選ぶことは、責めを負うものではありません。