2023.11.11/東京都渋谷区の國學院大學にて

【東京・渋谷発】今回の対談のメインテーマは「暦の2033年問題」。もちろん、この「千人回峰」のバックボーンにあるのは「人とは何ぞや」という根源的な問いかけだから、渡辺先生の人物像に迫りながら、暦の話をうかがうことになる。もともと神道や暦は私のホームグラウンドのテーマだから、話が深まるほど楽しくなってくる。しかし同行の取材クルーたちは、聞き慣れない用語の頻出に頭の中を整理するだけで精一杯の様子。ちょっと飛ばしすぎたか。だけど、これもまた取材の醍醐味なのだ。

(創刊編集長・奥田喜久男)

「閏月」をどこに入れるかが大問題に

「2033年問題」によって、このままでは大安も仏滅も決められなくなるというお話でしたが、どうしてそんなことが起きるのか、やさしく説明していただけますか。

現在、私たちが使っているカレンダーは、太陽暦(グレゴリオ暦)で、1年は12カ月365日で、4年に1度の閏年があることはご存じのとおりです。でも、このカレンダーに印刷される、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口という「六曜」は、旧暦、つまり太陰太陽暦(天保暦)に基づいたものなのです。

使っているカレンダーは新暦だけど、結婚式や葬式などの日取りに影響する六曜は旧暦によるものなのですね。

はい。そして、公的機関(国立天文台)が毎年2月に発表する翌年の「暦要項」は太陽暦に基づいたもので、その内容は国民の祝日、日曜表(日曜日をまとめた表)、二十四節気(春分、秋分など)および雑節(土用、彼岸など)、朔弦望(月の満ち欠け)、東京の日出入時刻などですが、六曜のような旧暦に基づいた情報は含まれません。

国の立場としては、公的な暦でない旧暦については一切コミットしないと。

そうですね。暦要項が発表されると、それをベースにして民間の業者が暦を組み、カレンダーや手帳に六曜を印刷するという形になります。

それで2033年問題ですが、なぜそんなことになってしまったのでしょうか。

太陰太陽暦は、太陽の位置に基づく二十四節気と月の満ち欠けに従う暦ですが、複雑な月の周期(約29.5日)と太陽の1年(365.24日)による季節の変化を一致させるため、19年に約7回の閏月を入れることになっています。つまり、19年は228カ月ではなく235カ月となるのです。

閏月のある年は、12カ月ではなく13カ月なのですね。

この閏月をどこに配するかが問題なのですが、閏月は通常、二十四節気により定められます。二十四節気は、中気(冬至・春分・夏至・秋分など)と節気(立春・立夏・立秋・立冬など)が交互に繰り返すもので、中気の位置によって月名が決まります。

冬至は旧暦の11月とか、春分は旧暦2月といった感じですか。

そういうことです。でも、天保暦の場合は中気の間隔が変化するため、2033年には、二つの中気が入る月がある一方、中気のない月が三つも生じてしまうのです。通常は、中気のない月を閏月にすれば問題ないのですが、2033年は複数の閏月候補が生じてしまうため、関係者が頭を痛めているのです。

閏月が決まらないと、六曜も決まらないのですか。

六曜の決め方そのものはとても単純で、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の順に並び、それを繰り返していくだけです。

ただし、毎月の朔(新月の日)には先頭が変わり、正月と7月は先勝、2月と8月は友引、3月と9月は先負、4月と10月は仏滅、6月と12月は赤口からそれぞれ始まります。閏月の場合は、直前の月と同じ数え方になるため、閏月がどこに来るか決まらないと、年間を通じて六曜が決められないことになります。

まだ9年あるとはいえ、もうそんなにのんびりしていられない問題ですね。

国がコミットしない旧暦については

伊勢神宮に委ねるべき

国立天文台では、2033年に天保暦のルールでは閏月の入る時期が決められないとわかってから、ウェブサイトでこの問題について解説しています。そこにはこの問題を解決するための3通りの案が提示されているのですが、「公的機関がどの案を採用するか決定することはない」としています。

国は、あくまで旧暦には口を出さないスタンスなのですね。

そのため、この問題については民間サイドで決めなければならないのですが、内容が統一されなければさらなる混乱を招きます。

カレンダーによって大安や仏滅の日が違っていたら、たいへんなことになってしまいますよね。

実は、神社界隈ではこの問題に対する認識が薄かったため、私が『神社新報』や『時空旅人』の別冊(宇宙開発史)に寄稿したという経緯があったのですが、私は神宮暦をつくっている伊勢神宮にリーダーシップをとっていただくしかないと考えているのです。

ところで、先生は少女時代から暦や占いがお好きだったということですが、最初にそういうものを意識したのはいつ頃ですか。

先日、実家の本棚を片づけていたら、私が幼稚園に通っている頃につくった絵本(前号のコラム参照)が出てきたんです。自分のぬいぐるみを主人公にした誕生日のストーリーで、そのなかに日にちのことやお祭りのことを書いていました。だから幼稚園の年長のときには、もう暦のことが好きだったんですね(笑)。

そんなに小さいときから!

ヨーロッパでは昔から、誕生日の太陽系の惑星の配置によって、その人の運命を占うことが行われていました。私は、そうした誕生日と惑星の動き、人の性格や季節の循環などの関係を考えることが、小学生の頃から大好きでした。そんなことから、高学年になると宇宙に対する興味が高まって、宇宙と命の関わりについて知りたいと思うようになったんです。

それが長じて、国立天文台の先生との共同研究につながっているわけですね。ところで、先生は実にいきいきと暦や占いのお話をしてくださいましたが、それは学問的な解説なのか、ご自身の趣味について語られているのか、どちらなのでしょうか(笑)。

両方だと思います(笑)。大学では神道学と宗教学を教えていますが、皇室の伝統などについても話すことはありますね。

これから10年ほど先を見据えると、どんなものが見えてきそうですか。

10年後というと、まさに2033年問題の時期であり、この年は伊勢神宮の式年遷宮の年にあたります。ですから、暦の問題が解決し、遷宮が滞りなく行われているようにということが、心からの願いですね。

今日は、とても興味深い話をお聞きできました。これからのご活躍も期待しております。

こぼれ話

「2033年問題」と神社――。神社界の業界紙『神社新報』を読んでいて、この記事に目が止まった。「2033年問題」の見出しをみて、コンピューターが誤作動するかつての2000年問題をとっさに思い出した。が、神社新報に掲載された記事なのだから、まずは的を外している。よく読むと「暦」の話題だった。暦といえば、冲方丁の著作『天地明察』を思い浮かべる。この小説は暦に関わる限られた人たちの話題だ。今も時の刻みを管理する専門家たちがいる。子どもの頃、時は誰が決めているのか、暦は何をもって決められているのか。不思議に思った。それだけに神社新報の記事を興味深く読んだ。署名記事だったので、執筆者の渡辺瑞穂子先生に連絡を入れた。すぐにお会いすることになり、國學院大学のキャンパスまで出かけた。神社界には神職を養成する大学は二つある。私の母校の伊勢神宮系の皇學館大学と出雲大社系の國學院大学だ。当日は、ニコニコと優しい笑顔で出迎えていただいた。暦は社会活動の時間軸となっている。暦は宇宙の運行をもとに定まっている。この目線で世の中の出来事を俯瞰すると、「宇宙の刻み」であることに気づく。そうなんだ、と。

中国・山東省に出向いた折り、『泰山』を見たいと思い、中国の友人に同行してもらった。済南市からクルマを飛ばして、麓の公園に着いた。日本の感覚では、けっこう遠いと感じる距離だ。指された山を見る。見上げながら「あれが泰山か」。初めて見る山なのに、懐かしく思えた。麓から1545mの頂上は高い。あの山で『封禅(ほうぜん)の儀』が執り行われたのだ。この山で中国歴代の皇帝が天空に向かって即位を告げたのだ。歴史の空間に思いを馳せた。胸が広がる感じがした。別の機会に北京を訪ねた折り、紫禁城から南の方向に位置する『天壇』を訪ねた。円形のドームのような建物に入って、天井を見上げた。けっこう大きな空間だ。代々の皇帝はこの場所からこうして天空を見上げ、祈りを捧げたのだ、と思った。俺は皇帝だ、と言い聞かせ、次代の皇帝に思いを馳せた。何を祈ったのだろうか。何を天に告げたのだろうか。空には無数の星がある。夜にはその星々が輝く。その中に動かない星がある。北極星だ。その動かぬ星を七つの星が取り囲むように、自転公転しながら永遠の時を紡いでいる。それが『北斗七星』だ。

宇宙の出来事はすべて「暦」で動いている。「暦」を初めて意識した瞬間だ。脇道の話題だが『北斗七星』は週刊BCNの留め記事(コラム)のタイトルである。週刊BCNを創刊して43年になる。留め記事は新聞の顔となる記事だ。その記事のタイトル決めには苦吟した。ふと思いついたのが、『北斗七星』だ。コンピューター業界を周回しながら、折々の出来事を記事として発信する。そんな思いから命名した。このタイトルは気に入っている。だからなのだろうか、毎号この記事は苦吟しながらベストな記事を読者に届けてきた。現在もその思いで編集長らが記事を紡いでいる。創刊当時の思い出は山のようにある。その一つに『北斗七星』というタイトルがふと頭に浮かんだ瞬間がある。その時、週刊BCNの“息吹き”を肌で感じた。新しく生まれる媒体の宿命のようなものを意識した。すべての出来事は宇宙の運行に基づいている。何とも不思議に思っている。(直)

心に響く人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。