(左から)橋口亮輔監督、江口のりこ (C)エンタメOVO

 親孝行のつもりで母親を温泉旅行に連れてきた長女・弥生(江口のりこ)、次女・愛美(内田慈)、三女・清美(古川琴音)の三姉妹。3人が宿の一室で母親への愚痴を爆発させているうちにエスカレート。互いをののしり合う修羅場へと発展する。そこへ清美がサプライズで呼んだ恋人のタカヒロ(青山フォール勝ち)が現れ、事態は思わぬ方向へと展開していく。橋口亮輔監督の9年ぶりの新作となるホームドラマ『お母さんが一緒』が、7月12日から全国公開される。橋口監督と本作で長女・弥生を演じた江口に話を聞いた。



-まず、監督には今回江口さんを起用した理由を。江口さんは「橋口監督の作品なら二つ返事で」と資料に書いてありましたが、その理由をお願いします。


橋口 長女の弥生役は一重まぶたという設定がどうしても外せない。なので、最初から江口さんで…と思いましたけど、ご存じのように超売れっ子で忙しい方なので、そんなお願いができるとは思っていませんでした。だから「駄目元で江口さんに聞いてみてください」と。そうしたら去年の9月はたまたまスケジュールがぽこっと空いていて、江口さんも受けてくれた。全てはそこからですね。


江口 私は、もともと橋口監督の映画がすごく好きでした。『ぐるりのこと。』(08)で一度ご一緒させてもらいましたが、その時は撮影が1日だけで終わってしまったんです。なので、また機会があったらぜひご一緒にと思っていました。そうしたら、今回まさかのオファーが来て。「絶対にやります」って言いました。


-この映画のキャッチコピーは「家族ってわずらわしくてやっかいで、それでもやっぱりいとおしい」ですが、今回、家族を撮る上で意識した映画はありましたか。


橋口 最初はドラマとして作って、ずっとつまらないことで三姉妹がけんかをしている話だったので、ドラマと映画の両方をちゃんと成立させるにはどうしたらいいかと考えました。その時浮かんだのが、例えば映画だと、成瀬巳喜男監督の『あにいもうと』(53)です。あの映画も森雅之さんと京マチ子さんの兄妹が、愛し合っているくせにずっと激しいけんかをして罵倒し合っている。でも、見終わった後に嫌な感じは残らない。そういうものにしよう、きれいなものが最後に残っているものにしようと思いました。


 ドラマでも、映画とは撮り方や作り方は違いますが、NHKの「ドラマ人間模様」の向田邦子さんの「阿修羅のごとく」や、先日お亡くなりになった山田太一さんの「岸辺のアルバム」などは家族のドラマや感情がちゃんと描かれていた。そういうことを考えながら作ったので、今回はドラマでも映画でも成立するようなハイブリッドの要素が入っていると思います。混ぜこぜになって出来上がったような、発想したような感じがありました。三姉妹のけんかのシーンを撮りながら、一線を超えても、それを受け止めて、翌日にはケロッとしているという弾力みたいなものが家族にはあるんだなって、何か不思議な感じがしました。


-江口さんは、『あまろっく』(24)に続いて親に振り回される役でしたけど、こういう役は演じていてどういう感じなのでしょうか。親に対する感情という部分では共感できたりするのでしょうか。


江口 今言われて初めて気付きました。二つは全く別物でした。この物語の中のお母さんと弥生の関係と私自身の母との関係は本当に真逆です。うちの母は「ああしなさい、こうしなさい」とは一切言わなかったので、そこが一番の違いでした。でも、妹に対して何か余計なことを言ってしまうところはすごく共感できました。


-今回の三姉妹のキャスティングは、監督が選んだのでしょうか。


 江口さんは先ほども言ったように、江口さんしかいないということで、駄目元でお願いして。(内田)慈ちゃんにもどうしても出てもらいたかった。古川さんは紹介です。マネジャーさんが脚本を読んで「面白い。古川にやらせたい」ということで。青山くんだけは僕の指名です。

-それはなぜですか。


 タカヒロは今時のキャスティングだとイケメンばっかりなんです。「EXILEでどうですか」って写真まで見せられました(笑)。でも、タカヒロはちょっと天然で、救いになるような役です。ちゃんと生きた男の人にしたかったんです。だから天然でぼーっとしているように見えるけど、実はちゃんと常識的なことが分かっていて、物の道理も分かっている。そういうところも納得させられる人じゃないと駄目なんです。だから演じる人の人柄が出ればと思いました。


 YouTubeで見た時に、青山くんはまさにこのポスターの笑顔そのままに、屈託なく笑っていました。僕はそれを見て「こいつ、いいやつだな」と。真っすぐな屈託のない感じが本当にいいやつだと思ったので出演をお願いしました。


江口 三姉妹だけでずっと同じ部屋でやっていて大変でした。だから、青山さんが来てくれるだけで、何か晴れたみたいな感じがしました。


-江口さん、今回演じる上で気を付けたことや心掛けたことはありましたか。


江口 まず、橋口監督の映画に出るというのはすごく怖いことなんです。それは私だけじゃなくて、内田さんも古川さんもそうだったと思います。だから、リハーサルの時から一生懸命自分に取り入れるものを探して、監督から「こんな人間がいたんだよ」みたいないろんなお話を聞いた時に、その人間を私たちはこれからやろうとしているんだ、大変なことだという意識が湧きました。


 でも、いざ現場に入ってやるとなると、何かを気を付けるとか、もうそういうことではなく、その日に撮る量もたくさんあるし、本当にただ一生懸命にやらなければという感じになります。だから、リハーサルで感じて、心の中にぎゅっと入り込んだものがすごく財産になっていました。


 監督は具体的に「こんなふうにして」とかは言わないんです。だから、本当にリハーサルが役立ったといいますか、現場に入ったら、あとはもう集中してやるだけみたいな感じで、本当に3人で頑張りました。3人が同じ方向を向いていました。それはどこかというと監督の方向です。


-怖いというのは、具体的には監督の何が怖いんですか。


江口 監督が作る映画って面白いでしょう。それってやっぱり、厳しい目で物事や人間を見ているということだと思うんです。私たちは、ジャッジされているって思ってしまうから、それは俳優にとってすごく怖いことです。そういう怖さだと思います。


-弥生が眼鏡の跡が付かないように鼻根にティッシュを付けていたり、弥生は一重まぶたのコンプレックスがあるから、江口さんがずっとつけまつげを付けていたり…。ディテールが面白かったです。ああいうのは、もともとの舞台からあった設定なのですか。それとも監督が考えたものですか。


橋口 つけまつげはオリジナルの舞台でもそうだったので、メークの打ち合わせをして、江口さんに一番合うのでやりました。鼻根にティッシュを付けているところは、実際にそういう女性を見て、この人はこんなふうにして、日常の仕事をしているんだろうなと思ったら、ちょっと寂しい気持ちになったというようなことをリハーサルの時に話しました。それが僕が弥生をつかめたと思った瞬間だったんです。


 その女性を思い浮かべた時に、「これを映画の冒頭で弥生がやったらどうかと思うんだけど」と言ったら、江口さんが「やらせてください。やりたいです」って。主演女優が最初だけ鼻に白い物を付けていたら、どうかとも思いましたが、じゃあちょっとやってみようかと。あれは、何やってるんだろうこの人って思いますよね。妙に気になりますもんね。


(取材・文・写真/田中雄二)