2024.8.8/東京都港区の紀文食品日の出オフィスにて

【浜松町発】堤さんは、これからの食品企業は“もの”だけでなく、サービスや食シーンのエンターテインメントにつなげていかなければならないと話してくれた。具体的にどんな取り組みをしているのか尋ねると、たとえば、『食堂のおばちゃん』シリーズの著者、山口恵以子さんとコンタクトをとり、その作品の中の築地におでん種の仕入れに行くくだりで数多くのお店の名前が出てくるのに、まだ「紀文」の名前が出てこないと伝えたりしたそうだ。今後の登場予定は未定だが、こうした努力もBtoC企業にとって大切なのだ。

(本紙主幹・奥田芳恵)

社長の逆鱗に触れた硬いはんぺんの品質

沖縄赴任中に、ご自身の生き方を本に求めるきっかけとなる出来事が起きたとのことですが、それはどんなことだったのでしょうか。

当時はまだ携帯電話も使っておらず、紀文本社と連絡を取り合う機会はあまりありませんでした。東京に行くのは年1回の決算報告くらいで、ふだんは東京で何をやっているのかよく理解していなかったんですね。

ちょうど2000年問題で各企業が対策に追われている頃、本社では当時の社長の肝いりで、テレビコマーシャルなどで大々的にはんぺんのプロモーションをかけていた時期で、社員総出で店頭でのデモンストレーション販売をしたりしていたんです。そういう施策を実施していることはもちろん知っていましたが、「たいへんだな」という感想を抱くにとどまっていました。

あまり自分事と捉えず、遠くから眺めている感じでしょうか。

ところが、2000年問題をクリアした頃、社長が3日間の予定で沖縄に視察に来ました。1日目は「堤君、頑張っているな」と声をかけてくださったのですが、2日目にスーパーの店頭で紀文のはんぺんを手にした途端、表情が一変してしまったのです。

それはどうしてですか。

全国的なはんぺんプロモーションをかけている真っ最中に、この沖縄のはんぺんだけ、品質がまったく異なっていたからです。実は1日に100枚ほどしか売れない商品で、ロットが小さく、機械にかけられないため、昔ながらの手作業でつくっていました。そのため、ふんわりとしたはんぺんではなく、かまぼこを少し柔らかくしたくらいの硬さで、当社が注力するはんぺんとは似て非なるものだったのです。でも、パッケージには紀文のマークがついている。社長は、口もきいてくれなくなりました。

それは厳しい状況ですね。

自分としては出向先である海洋食品のために少しでも利益になればいいと思っていたのですが、紀文からの出向者であることを忘れていると後に指摘されました。

あくまで、紀文の人間としてその品質やブランドを守らなければならないと。

結局、その2カ月後には東京に呼び戻されてしまいました。それまでの私は自分の信念に基づいて突き進むタイプで、周りを見ながら仕事をすることがあまり得意ではなかったのですが、この機会に自分の状況を振り返り、どうしてこうなってしまったのか、その解を本に求めるようになったのです。自分を支え、自分を律してくれるものを欲したんですね。

そこで、どんなことに気づかれましたか。

同じ一生懸命やるにしろ、自分がやりたいことをやるのではなく、自分に期待された役割をまっとうするということですね。それから、ついていないときに、どう身を処すればいいのかということについても考えました。

どうすればいいのでしょうか。

ついていないときは逆風が吹いているということですから、しっかりと身をかがめて、自分の強みややるべきことを見つめ直すことですね。そうするうちに、必ず風向きが変わるはずです。

社会や個人のライフスタイルの変化が

“食”のシーンも変えていく

伝統ある食品会社のトップとして、“食”に対してどのような思いを抱いておられますか。

社長になってもうだいぶ経ちますが、“食”に携わることが、自分の人生なんだろうと思うようになりました。当社は、かまぼこやさつま揚げなどの練り製品を中心に提供していますが、今後はそうした“もの”だけでなく、それをサービスや食シーンのエンターテインメントにつなげ、広げていかなければならないと思っています。

食品に限りませんが、メーカーは一つのものをこつこつ丁寧につくっていくことを強みにして、「これについては誰にも負けない」というレベルを目指します。ただ、深掘りするあまり、周りが見えなくなって「これだけやっていればいい」ということになりがちです。でも、世の中は常に変わっており、その変化に対応する必要もあるわけですね。

食をめぐる時代の変化ですか。

食の歴史を自分なりに勉強してみると、それがよくわかります。かつては専業主婦がいて三世代同居が普通だった家庭のかたちが、戦後、集団就職などによって子ども世代が都市に移り住み、やがて家庭をつくるかたちとなります。でも、この時点では外で働く女性はまだ少なく、専業主婦が多いことに変わりはありません。ただし、前の世代と異なるのは洋風の味付けがここに加わることです。

ライフスタイルの変化が、食の変化につながるのですね。

そういうことです。そして時代が下って、男女雇用機会均等法ができると男女とも外に出て働くようになり、買い物に行く時間も料理をつくる時間も限られてきます。その結果、素材から料理をすることが減り、総菜を買ってきたり冷凍食品を利用したりするケースが増えてきました。食べるという行為や食べる楽しみという部分は変わらないものの、そこに登場するものが変わってくるということですね。

おそらくこれからも変わり続けるのでしょうが、その変化にどう対応していこうとしておられますか。

当社は2038年に創業100年を迎えますが、それまでの間にも食のシーンは変化していくでしょう。それに対応するには、ものから考えるのではなく、食のシーンに私たちの商品を登場させるにはどうしたらいいかを考えることが大事になってくると思います。

もう少し具体的に言えば、今後、外食の比率がますます高まっていくと考えられますが、当社の商品は家庭内食品であり、外食をターゲットとしていませんでした。でもこれからは、家で調理しなくても召し上がっていただけるような機会を多くつくっていくことが必要です。そのためには、外食の中に食材として私たちの商品を登場させなければならないと考えています。

食品会社と切っても切れない問題の一つに「食の安全・安心」があると思いますが、この点についてはどうお考えですか。

それは、私たちの“紀文ものづくり理念”にある「疑わしきは仕入れせず、製造せず、出荷せず、販売せず」という言葉に凝縮されています。食の楽しみは、安全・安心の前提の下に成り立ちます。組織の規律を弛緩させることなく、定期的に警鐘を鳴らしながら製造にあたり、安全な商品を提供し続けます。

ますますおいしくて便利な商品の登場を、一消費者としても期待しております。本日はありがとうございました。

こぼれ話

猛暑のピークがすぎ、秋に向けて季節が移り変わり始める立秋。紀文食品の日の出オフィスを訪問すると、何やら大きな荷物がいくつも運び込まれ、朝から活気に満ちている。聞けば、店頭でおでん汁の素を陳列するための器具を準備しているとのこと。おでんシーズン到来に備えてのことらしい。「あぁ、赤いパッケージですよね」「そうです、そうです!」と会話しながら、堤裕さんとしばし作業を見守る。毎日暑く、秋の気配は感じないけれど、どうやら確実に旬のシーズンに向かっているようだ。

ふんわりした触感のはんぺんは、子どもが食べやすく手軽にたんぱく質を摂取できるので、わが家でとても重宝している。あと一品欲しい時も、紀文製品の「チーちく」が大活躍。強力な助っ人である商品群が、いつもバタバタしている私の日常を支えてくれている。社長相手に、思わず主婦モード全開で熱弁してしまう。

堤さんは、紀文入社後、さまざまな部署で若くして重要なポジションに就き、多様な経験を積んでこられた。若いうちから重要なポジションを任せる紀文の度量に少し驚く。「任せてもらえたというか、やらざるを得なかったんです」と堤さんは謙遜しておられた。名刺交換をするたびに、「よく知っていますよ」「食べてます」と言っていただけることが、本当にありがたいと微笑む。紀文というブランドが、販売促進の後押しをしてくれているのは間違いない。紀文が培ってきた信頼と信用をしっかりとつないでいかなければならないという重さが、堤さんのひと言ひと言からひしひしと伝わってくる。

「さつま揚げかな?かまぼこかな?」そんなことを思いながら、紀文の三つの赤いマークは何を表しているのですかと聞くと、つくり手と流通と消費者をハートで表現しているとのことであった。なんと、千人回峰の「ものづくりの環」と同じ! いやはや、マークの意味を勘違いしたのはなんとも恥ずかしい。さつま揚げでもかまぼこでもなかったけれど、もはや食べ物に見えるのは、紀文の認知度の凄さではないか!?(奥田芳恵)

心にく人生の匠たち

「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。

「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。

奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)

※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。