(C)2024「アイミタガイ」製作委員会

『アイミタガイ』(11月1日公開)


 ウエディングプランナーとして働く梓(黒木華)は、親友の叶海(藤間爽子)が事故で亡くなったことを知る。恋人の澄人(中村蒼)との結婚に踏み切れない梓は、叶海と交わしていたスマホのトーク画面にメッセージを送り続ける。


 同じ頃、叶海の両親の優作(田口トモロヲ)と朋子(西田尚美)のもとに、見知らぬ児童養護施設から娘宛のカードが届く。そして叶海の遺品のスマホには、たまっていたメッセージの存在を知らせる新たな通知が入る。


 一方、金婚式を担当することになった梓は、叔母(安藤玉恵)の紹介でピアノの演奏を依頼しに行ったこみち(草笛光子)の家で、中学時代の叶海との思い出がよみがえる。


 親友を失った女性を中心に思いがけない出会いが連鎖していく様子を描いた群像劇。中條ていの同名連作短編集を基に、市井昌秀が脚本の骨組みを作り、故佐々部清監督が温めていた企画を草野翔吾監督が引き継いで完成させた。人から人へとバトンタッチされながら出来上がった映画。そのことがすでにこの映画のテーマを象徴しているといってもいい。


 「アイミタガイ」とは「相身互い」と書き、同じ境遇にある者同士が同情し助け合うことを意味するが、この映画のキャッチコピーでは「気付かぬうちに人は触れ合い、思いは優しく巡っている」と表現されている。


 そして、全てのことは偶然ではなく必然であり、人と人との縁やつながりを深く感じさせる心温まる物語が展開していくのだが、正直なところ悪人が全く登場しないことに気恥ずかしさを覚えるところもある。


 ところが、劇中に「善人ばかりが出てくる小説は信用できないと思っていたが、それを信じたくなる」というせりふが出てくる。つまり、そうした疑問を逆手に取ってちゃんと主張している。まさにそのせりふこそがこの映画の了見なのだ。


 また、ラストシークエンスのつじつま合わせが見事だ。映画ならではのカメラワークを駆使して同じ場面を異なった視点で見せる。すると登場人物たちの絡まり方が変化し、点と点が線になってやがて円になる。途中まで別々に進んでいた話が最後に全て結びつく快感が得られるのだ。草野監督もここに一番力を入れたと語っていた。


 加えて、「遠き山に日は落ちて(家路)」「ラブ・ミー・テンダー」といった挿入曲の選曲も素晴らしい。特にエンディングロールに流れる「夜明けのマイウェイ」(歌・黒木華)は、もともとは荒木一郎作詞・作曲の「ちょっとマイウェイ」(79~80)というテレビドラマの主題歌だが、歌詞がこの映画の内容とぴったり合う。よくぞこの曲を使ったものだと感心させられた。

『十一人の賊軍』(11月1日公開)


 1868年、鳥羽・伏見の戦いを皮切りに、徳川15代将軍・慶喜を擁する旧幕府軍と、薩摩藩・長州藩を中心とする新政府軍=官軍との間で争われた戊辰戦争。その戦いの最中、新発田藩(現在の新潟県新発田市)で起きた奥羽越列藩同盟軍への裏切りのエピソードを基に、捕らえられていた罪人たちが、決死隊として砦を守る任に就いた様子を描く。


 反骨精神や都合によって変わる正義にあらがう人物を数多く描いた脚本家の笠原和夫が、1964年に執筆した幻のプロットを60年の時を経て映画化。笠原は、勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉の通り、勝った方が全て正しく、勝敗によって善悪が決まるのが当たり前の時代に「果たして勝つことだけが正義なのか?」と一石を投じるべく、憎き藩のために命を懸けて砦を守らなければならない罪人たちの葛藤を構想したが、日の目を見ることはなかった。


 今回は、企画・プロデュース紀伊宗之、白石和彌監督、脚本の池上純哉という『孤狼の血』チームが笠原のプロットを受け継ぎ、新たな集団抗争劇として完成させた。集団時代劇といえば、黒澤明監督の『七人の侍』(54)や工藤栄一監督『十三人の刺客』(63)が思い浮かぶが、東映つながりということもあり、テイストとしては『十三人の刺客』の方がこの映画に近いと感じた。


 白石監督は前作『碁盤斬り』公開の際のインタビューで、「新しい企画は時代劇しか考えていない」「復讐(ふくしゅう)の部分は西部劇を意識した」「もっとハードな時代劇を撮ってみたい。例えば、三隅研次監督の映画の、刀で人を斬ったらどうなるかということに生涯を費やした人とか、刀で斬られて真っ二つになる人とか、そういうことをやってみたい」と語っていた。


 その意味では、バイオレンス味にあふれ、勧善懲悪ではなく、サム・ペキンパーの映画やマカロニウエスタンのにおいすら感じさせるこの映画は、そうした思いを反映させたものになっている。山田孝之をはじめ、賊軍のメンバーも皆個性的で面白いが、その中でも殺陣も含めて仲野太賀が随一の活躍を見せる。対する家老役の阿部サダヲの悪辣(あくらつ)ぶりも見ものだ。


 白石監督は、時代劇の魅力について「時代劇はファンタジー。何でもできるところが魅力。無限の可能性がある」と語っている。


 その言葉を裏付けるかのように、今年はこの映画のほかにも、落語を基にした『碁盤斬り』、テレビドラマを発展させた『鬼平犯科帳 血闘』、変化球の『侍タイムスリッパー』、アイヌ問題を描いた『シサム』といった時代劇映画が製作された。


 来春公開の『雪の花 -ともに在りて-』では疫病(ウイルス)の問題を描いている。まさに多士済々のラインアップ。こうした流れは時代劇復活の兆しを象徴するかのようで喜ばしい限りだ。


(田中雄二)