‘87年、シングル『パヤパヤ』でメジャー・デビューを果たしたLÄ-PPISCH。日本初のミクスチャー・ロック・バンドとしてシーンを切り開き、牽引した、偉大なオリジネイターである。そのVo&Tp.のMAGUMIは現在、MAGUMI & The Breathless、G&Vo.の恭一は、ソロ活動及びプロデュース等、 B,のTATSUはGANGA ZUMBAを始め数々のバンドやプロデュースを務めるなど、各々の活動を続けてきた。'08年3月、Key&Sax.の上田現を亡くして以来、年に1度LÄ-PPISCHとしてのライブを披露してきた彼等だが、デビュー25周年を迎える今年、彼等は久しぶりにLÄ-PPISCHとしての本格的なアクションを見せてくれるという。いったい、どんな計画が待っているのか? MAGUMIに聞く!

 

――デビュー25周年イヤーにあたる本年、レピッシュは久々に、本格的な、がっつりとした活動をすると聞いています。ということで、まず始めにこの計画のそもそもの発端から伺いたいのですが。
「最初は、1年ちょっと前かな? 一昨年の12月、恭一(杉本恭一、G)から『25周年は、ちゃんとやらんね?』みたいな話があって」

 ――その頃、恭一さんは活発なソロ活動をされていましたし、またマグミさんも、マグミ&ザ・ブレスレスでの活動が本格的になってきた時分でしたよね。
「そうだね。丁度ブレスレスでのレコーディングが終わって、さて出そうかっていうタイミングだった」

――で、もちろんタツさんもガンガ・ズンバをはじめに数々のバンドやプロデュース等を行っており、つまり各々が忙しく動いていた状況があった。だからこそこれまでは、レピッシュとしては年に1回か2回ほどのペースで動くに留まってきたわけですが、しかし2012年、本格的にやるぞ! となっていったその決め手はなんだったのでしょう?
「あんまり深くは考えてなかったな。恭一からその話をふられた時も、即『ええよ』って返事したし。『やろうよ、25周年!』って。それに、毎年現ちゃん(上田現、Key)の追悼ライブだけで集まるのもどこか寂しい感じがあったし。もちろん現ちゃんの追悼は追悼でこれからもやっていくけど、それとは別に、レピッシュとしての新しいものもお客さんに見せたいなっていう気持ちが、どこかにずっとあったんだよね。レピッシュは、解散とか再結成とか明言するようなことはなかったけど……それは、いちいちそんなことを言うのはイヤだったからね。それに、一生レピッシュとしてライブやんないんだったら解散でよかったんだろうけど、休止しても何かのタイミングで絶対またやるだろうと思ってたし(笑)」

――その通りになりましたしね(笑)。
「うん。とにかく、そんな流れの中での感じかな」

――ちなみに言いだしっぺの恭一さんには、何かアイデアはあったんでしょうか?
「頭の中であったと思うよ。ここ数年、追悼ライブをやってきて、しかもその前に20周年の時の活動もあった中で、やっぱここは、これまでやってきたものをステップアップさせて、何かしらの形にして、それをお客さんに見せないといけないって考えたんじゃないかと思う、たぶんね。それに、今のレピッシュはレピッシュで、これまでとはまた違うものができるっていう手応えもあったと思うし。例えば、ドラムの矢野くん。彼は恭一とずっとバンドをやってきたわけだけど、レピッシュとしても随分馴染んできてたし」

――ですね。で、具体的にはどんな話になっていったんでしょう?
「恭一が言ったのは『アルバム、作ってみらん?』って。で俺は『うん、いいんじゃない?』って」

――おおー! 新曲? 新曲!!
「カッカッカッカ(注:笑い声)」