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 NHKの大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」。“江戸のメディア王”と呼ばれた“蔦重”こと蔦屋重三郎(横浜流星)の波乱万丈の生涯を描く物語は、12月14日放送の最終回「蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)」を持ってついに完結した。人を食ったような蔦重や一橋治済(生田斗真)の最期を始め、さまざまなサプライズがあった最終回の舞台裏を、本作のチーフ演出で、最終回の演出を担当した大原拓氏が明かしてくれた。


-蔦重の最期をみんなで屁踊りしながら看取るという、まさに“べらぼう”な結末でした。脚本家の森下佳子さんのお話では、最終回の脚本は、宿屋飯盛が書き残した蔦重の臨終の様子を基に執筆されたそうですが、どのようにしてあのラストシーンが誕生したのでしょうか。


 弱った蔦重の枕元でみんなが屁踊りするのは創作です。最後は蔦重にかかわる人を集められるだけ集め、屁踊りで蔦重を送ろうということで、ああいうシーンになりました。劇中、これまで何度か屁踊りがあったので、今回は屁踊りのベテラン組と初参戦組がいて、「やりたかった」という風間(俊介/鶴屋喜右衛門役)さんたち初参戦組と、「何でも聞いて」という桐谷(健太/大田南畝役)さんたちベテラン組が、一丸となって取り組んでくれました。飯島(直子/ふじ役)さんなどは「どうやるの?」と心配されていましたが、特に振り付けを合わせることもなく、ベテラン組を参考に、皆さんに勢いで踊っていただきました。


-今まで見たことのない賑やかな主人公の最期になりました。


 ひとつだけ気を付けたのは、「楽しまない」ということです。今までの屁踊りは楽しく踊っていましたが、この場面では蔦重を思いながらの踊りになるので、「楽しむのではなく、本気で蔦重を呼び戻すつもりで踊ってください」とお願いしました。


-蔦重の最期は、弱っていく姿を短期間で表現する難しさもあったのではないでしょうか。


 脚気がどんな病気で、どう弱っていくのかは、医師に取材したメモを横浜さんと共有し、表現の仕方を話し合いました。精神的な部分では、寝たきりにするのかどうかなど、体勢についても医師の方と相談しながら作っています。撮影では、1~2週間程度で弱っていく姿を表現する必要がありましたが、横浜さんは限られた時間の中、肉体的にも作り込んでくださって。最終的には、食事と水を絶ち、ボクサーのように体重を落としていました。だからよく見ると、あごのラインや胸元の様子がだいぶ変わっているはずです。逆に元気な蔦重を演じる際は、食事量を増やしていましたから。


-冒頭では、前回、流刑になった一橋治済が落雷で命を落とす展開にも驚かされました。


 治済は決して諦めない男なので、最終的に天罰が下る形になりました。あのシーンでは、視界を奪われ、猿ぐつわをして、手足も縛られているという身動きが一切取れない状況で、いかに逃げるのか、生田さんや殺陣師の方と相談しながら作っていきました。治済は、追い込まれるほどその状況を楽しんでしまう人間ですし、史実ではその後も生き続けるので、「ここから復讐(ふくしゅう)が始まるのかな?」と視聴者に思わせた上で、最終的にどうカタルシスを感じてもらおうかと。

-治済役が大きな話題となった生田さんについて、撮影を通じて感じた俳優としての魅力を教えてください。


 生田さんで印象に残っているのが、何事にも動じないことです。常に泰然自若として、変なクセを出さない。ある意味、視聴者に想像させるようなキャラクター作りをしてくださったなと。例えば、治済がたびたび手にしていた能面。一橋家には立派な能舞台があり、治済が能を好んだという史実も残っているので、森下さんとも相談の上で小道具として使っています。といっても、一見意味深な能面を見ている姿も、治済にとっては能が好きだから、というだけ。それでも、視聴者やそれを見た登場人物がそこからいろんな想像をして、勝手に忖度(そんたく)し、動いていく。生田さんは、そういう部分の作り込みがとても上手で。それが、治済のキャラクターが膨らんでいった大きな要因だと思います。


-終始、不気味な存在感を放っていましたね。


 そこが、生田さんのうまさであり、表現力の豊かさです。治済を単に「怖い」ではなく、「不気味だ」と視聴者が感じられたのは、森下さんの脚本の妙に加え、せりふの「…」を表現する生田さんの巧みなお芝居による部分も大きかったと思います。芋を食べるだけで悪そうに見える人なんて、そうはいませんよね。


-最終回のもうひとつの見どころとして、第14回で蔦重の元を去り、多くの視聴者がその後を気にしていたであろう瀬川(小芝風花)の健在を匂わせる場面もありました。ただし、後姿だけで顔は見せませんでしたが、その狙いを教えてください。


 蔦重と長谷川平蔵(中村隼人)の最後でもあり、2人の共通項である吉原を今後どうしていくかを考えるシーンもある中で、蔦重と瀬川が交わした約束を忘れてはいけないだろうと。そこから、あのシーンが生まれました。あそこでは、彼女を見た蔦重と平蔵の“今”を表現したかったので、あの“瀬川らしき人”は、後ろ姿のみ。視聴者の皆さんには、2人の表情から、彼女がどんな暮らしを送っているのか、感じ取っていただければと考えました。


-1年間、語りを務めてきた九郎助稲荷役の綾瀬はるかさんが、劇中に三度目の登場を果たしたのも見どころでした。


 綾瀬さんはこれまで2度劇中に登場しましたが、横浜さんとのお芝居は初めてだったので、お二人とも楽しんでいました。綾瀬さんには今回、神の使いということで巫女の格好をしてもらいましたが、これまで同様に尻尾をつけています。ただ、今まで常にぶら下げていた携帯は、今回はありません。クランクインした2024年は、世間でそういうはやりがありましたが、今はもうその流行は過ぎたという事で。九郎助稲荷は、現代も生きていますから。


-最終回では、戯作者たちのその後を語る蔦重と妻てい(橋本愛)の会話の中に、「皆さま、生きにくい中でも、道を見つけておられるのですね」というていのせりふがありました。この言葉が象徴するように、蔦重を始め、平賀源内(安田顕)や小田新之助(井之脇海)など、苦難に直面しながらも人生を全うする登場人物たちのドラマは、現代を生きる私たちに通じるものがあり、200年以上前の江戸時代を身近に感じることができました。


 戦国時代などに比べ、常に生死を身近に感じることがなかった分、江戸時代は今の我々に近い暮らしだった気がします。その中でどう生きるのか。それは、今を生きる我々にも通じる問いかけです。そんなふうに、江戸時代を知れば知るほど、今の我々にフィットしてくることを、この1年で痛感しました。また、大きなエピソードや事件だけが歴史になるのではなく、何もなくても歴史は作られていく。そういった何でもない日常を大河ドラマとして描くことができたのは大きな一歩で、視聴者の皆さんがそれを「面白い」と言ってくださったことは、僕たちにとっても大きな励みになりました。


-最後に、1年間、蔦重を演じ切った横浜流星さんの印象を教えてください。


 ストイックな姿勢は変わりませんが、一人の人物を長く演じるのは初めてだったので、その責任感や表現に取り組む様子は大きく変わったと思います。蔦重が年を取るにつれ、若い絵師や狂歌師、戯作者たちをどう受け止めていったらいいのか。後半は特に、そういう受けの演技が磨かれていった気がします。さらに、横浜さんと話していたのは、成功者ゆえの傲慢さやある種の老害感をどう表現していくのかということです。その点は苦労した分、さまざまな答えを見つけたのではないでしょうか。そういうものをひとつひとつ咀嚼(そしゃく)していったことが、最終回につながっていったのだと思います。


(取材・文/井上健一)