シンデレラって、こんなに魅力的な物語だったろうか?
複雑な心境のまま、先日、メディア向けの『シンデレラ』試写会に参加させてもらった。
端的に言えば、ディズニーは、神業を成し遂げていた。素晴らしい、としか言いようがない。
ストーリーは、誰もが知っている、“ディズニーのシンデレラ” だ。小手先の変化球は一切ない、直球勝負だと思ってもらっていい。
まず私が驚かされたのは、「シンデレラって、こんなに魅力的な物語だったろうか?」ということだ。
誰もが魅了される、シンデレラの人物像。どこか抜けていて、コミカルですらある、フェアリー・ゴッド・マザー。“魔法” というものが本来的に持つワクワク感や、豪華絢爛な舞踏会のシーン。
誰もが知る、シンデレラの物語の魅力を、私たちが忘れてしまっているところまで、余すところなく表現していた。
実写でなければならなかった
“このリメイク作品が、実写映画であること” への評価にも、触れておかなければならない。
シンデレラ役のリリー・ジェームズを始めとする役者陣の魅力、シンデレラのドレスや、かぼちゃの馬車といった、舞台美術の美しさなど、実写映画でなければ、絶対に表現できなかったものだ。
『シンデレラ』は実写映画用に創作された物語なのではないか……とさえ、思いたくなるほどに、文句の付けようのない出来だった。
あれだけの映像を見せつけられたら、いったい、ディズニーのアニメーション部門は何を描けばいいかわからなくなるのではないか……と、いらぬ心配までしてしまったくらいだ。
1950年公開のアニメーション『シンデレラ』を描き直すにあたって、ディズニーが、なぜ実写を選択したのか? 充分すぎる回答が、ここにあるように思う。
共感を呼ぶ、新しい “シンデレラ” 像
そして、現代に生きる私たちが共感できる、新しい “シンデレラ” 像が描き出されている。
ラストの描き方は、特に秀逸だった。シンデレラも、王子も、自ら道を切り開く。
幸運をただひたすら待つ、受け身の物語ではない。魔法がすべてを助けてくれる物語でもない。
むしろ魔法は、映画を彩るための小道具、あるいは脇役に過ぎなかった印象すらある。
私たちは、ディズニーが新時代に突入した事実に、気づき始めている。
アニメーションでは、2年連続でオスカーを獲得した『アナと雪の女王』に『ベイマックス』。実写では『マレフィセント』。
単に大ヒットしただけでなく、多くの人々の共感を生んだ。
新生ディズニーを印象づけるマイルストーンとして、ディズニーは、ディズニー・ラブストーリーの原点である『シンデレラ』を、描き直す必要があった。