鶴田義行役の大東駿介

 1932(昭和7)年のロサンゼルスオリンピックで、メダルラッシュの快進撃を続けた日本水泳チーム。その最後を飾ったのが、鶴田義行の200メートル平泳ぎ2連覇だった。ドラマとは言え、その力強い泳ぎに手に汗握った視聴者は多いに違いない。ところが、演じた大東駿介は、今まで全く泳ぐことができなかったのだという。撮影までの間、強い意志を持って練習を積み重ねたことが、あの見事な泳ぎを生んだ。「人生の幅が広がる演劇体験」と語るその舞台裏を聞いた。

-ロス五輪での2大会連続金メダルは、鶴田にとってのクライマックスだったと思います。演じたときのお気持ちは?

 「ここまでやってきたことを、自信を持ってやろう」という気持ちになれたという意味で、自分の中でも大きなハイライトでした。恥ずかしい話ですが、実は僕、今まで全く泳げなかったんです。水が怖くて、入っただけで溺れると思っていたぐらいで…。それが、ごまかすことなく、胸を張って泳げたことがうれしかった。大根(仁)監督も、撮った直後の映像を僕に見せて、「これをDVDにして持ち歩いて、みんなに見せなさい」と。それほどカッコよく撮ってもらったということで、「胸を張っていいよ」と後押ししてくれたんだと思っています。

-泳げなかったとは思えないほど見事でした。改めて、金メダリストの水泳選手という鶴田役のオファーが来たときのお気持ちは?

 以前の僕だったら「演じる以上は責任があるので、水泳ができる人がやった方がいいのでは…」と、断っていたかもしれません。でも、オリンピックという挑戦を題材にしたこの作品で、「できないからやらない」とは言いたくなかった。初めての大河ドラマ(「平清盛」12)のとき、ご一緒した中井貴一さんから聞いた「大河ドラマは、役者人生のターニングポイントに訪れる」という話も頭にありました。だから、「いだてん」も、ただ自分のもとに訪れたものではなく、自ら役者人生のターニングポイントにするという意識で臨みたいと。

-役作りで心掛けたことは?

 実際に写真が残っている人物を演じるのは初めてだったので、せっかくだから、鶴田選手に近づけることを意識して体作りをしてみようと。ただそれは、役作りというよりも、自分が作品に携わるモチベーションとして、できるところまでやってみようという気持ちから出たものです。具体的には、クランクインの2カ月ほど前から、1日7食ぐらい食事を取り、夜中にステーキを食べたり、ご飯を毎回2~3合食べたりしていました。そうやって体重を10キロ以上増やした後、週7回のペースでジムに通ってトレーニングを積んで…。結果的に、タンクトップのシーンがものすごく増えて、家にある服も着られなくなりましたが(笑)。

-水泳のトレーニングはどのように?

 「時間はあるから、大丈夫」と言われたのですが、最初の練習のとき、全く前に進まない僕の平泳ぎを見て、ディレクター陣が顔を見合わせるような状況で…(苦笑)。でも、鶴田選手も、水泳を始めて3年でオリンピックに行ったと聞いていたので、もちろん比較するのはおかしいですが、なら闘おう…と思っていました。覚悟を持って、自分の可能性を信じて、「やってやろう」という気持ちさえ誰にも負けなければ、大河ドラマにオリンピック選手として立ってもいいのではないか…と。そこで、用意された分だけでなく、その3倍ぐらいは練習しました。個人的に先生を頼んで練習してから全体練習に行き、それが終わってからまた1人で復習する…。そんなことを3カ月ぐらい続けました。

-その間、心が折れそうになることはありませんでしたか。

 最初のうちは、ずっと折れていました(笑)。プールに行くのが本当に嫌だったし、言われていることを体で表現できない自分が情けなくて…。でも、降りるわけにはいかない…と。僕が初めてフルマラソンを走ったとき、「歩かないこと」を目標にしたんです。苦しくなって歩きたくなることは山ほどあったけど、そこで歩いたら、人生でも苦しいときに諦めてしまうのではないかと。今回もそのときと同じような気持ちでした。だから、はっきりとした手応えは何もないけど、昨日よりほんの少し水をかくことができるようになった…というかすかな実感を信じて続けました。

-その積み重ねで泳げるように?

 そうやって10日たつと、小さくとも確かな進歩に変わっていき、2カ月ぐらいしたら、本当に前に進むようになったんです。そのうち、みんなと競争できるようになり…。頭の中の苦手意識は、意外と体が解決してくれるものなんだな…と実感しました。ものすごく自分と向き合った期間でもあり、いい経験になりました。

-その後も水泳は続けているのでしょうか。

 続けています。これまで、休日の過ごし方に、水泳という選択肢はありませんでした。でも、今はそれが自分の息抜きになっている。それも一つの人生観の変化だな…と。水泳は1年も続けたわけではありませんが、その程度の短期間でも、人生を前に進めることはできる。僕は、学生時代からずっと「水泳も球技も苦手」と言っていましたが、今は「どんなものでも、1カ月もらえたら、スタートラインには立てる」という気持ちになっています。そういう意味で、かなり人生の幅が広がる演劇体験をさせてもらっています。

-そんな大東さんから見た「いだてん」の魅力とは?

 あるとき、監督から「このドラマは、みんなが失敗していく。挫折したり、失敗したりしながら、それでも前に進んでいく」という話を伺ったんです。それが、僕にとっても、今の日本にとっても、必要なものではないかな…と。今は失敗にとても厳しい時代です。でも、時代というものは、失敗が築いてきたのではないでしょうか。失敗を繰り返した人たちの残した大きな功績が、今の日本につながっている。だから、「失敗を恐れる選択をしたくない」という気持ちが僕にもあり、今回はいろいろと思い切った決断ができました。人見絹枝さんがオリンピックに出場する回(第26回)は、僕も号泣しましたし…。本当に素晴らしい作品に携わらせてもらったと思っています。

(取材・文/井上健一)