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 クリント・イーストウッドの『運び屋』、ロバート・レッドフォードの俳優引退作『さらば愛しきアウトロー』に続いて、今度はマッチョスターとして一世を風靡(ふうび)したバート・レイノルズの遺作となった『ラスト・ムービースター』が公開された。彼らは1970年代に全盛を誇った映画スターという点で共通するだけに、彼らの映画を見ながら育った者としては、やれ引退作だ、遺作だとなると、時の流れを感じて感慨深いものがある。

 この映画でレイノルズが演じているのは、自身をモデルにした映画スター役。友人役で、こちらもすっかり太って白髪になったコメディー俳優のチェビー・チェイスも出てくる。

 ストーリーは、かつての大スター、ヴィック・エドワーズ(レイノルズ)に「国際ナッシュビル映画祭」から特別功労賞贈呈の知らせが届く。ところが、行ってみると、映画祭とは名ばかりの、映画マニアによる自主上映的なものだった。憤慨したヴィックは帰宅するために空港に向うが、途中で故郷のノックスビルに立ち寄り、自らの人生を振り返ることになる、というもの。

 大学時代はフットボールの選手として鳴らしたがけがで断念、スタントマン出身、『コスモポリタン』誌でのヌード披露、華麗なる女性遍歴、というレイノルズの経歴が、そのままエドワーズに移植されている。

 そして、レイノルズの出演作『脱出』(72)『トランザム7000』(77)のワンシーンで、エドワーズと若き日のレイノルズが共演する(もちろん合成だが)など、まさにセルフパロディーの連続。浮き沈みが激しかった映画人生という点でも、どこまでがレイノルズでどこからがエドワーズなのか…という感じになる。

 つまり、監督のアダム・リフキンの演出は、自身の出演作を冒頭に挿入したジョン・ウェインの『ラスト・シューティスト』(76)同様、役と本人を一体化させることに腐心しているのである。

 当然そこには、残酷さと優しさ、悲哀とユーモアが入り混じり、見ていて複雑な心境を抱かされるのだが、オープニングの悲しそうなエドワーズ=レイノルズのアップが、紆余(うよ)曲折を経たラストでは実にいい笑顔に変わるところがこの映画の真骨頂。

 出演予定だったクエンティン・タランティーノ監督の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の撮影前に亡くなったことが惜しまれるが、欲を言えば切りがない。本人が納得して老いた自分をさらけ出し、最後は笑顔で終わることができたのだから、レイノルズにとっては立派な遺作になったと思う。(田中雄二)