ジャックのイメージはルーニー・テューンズから
第1作目のときジャックとこんなに長い付き合いになると思いましたか?
『パイレーツ・オブ・カリビアン』の話を最初にいただいた時、まだ脚本はありませんでした。
脚本というもの自体が存在していなかったんです。
僕はディズニーでディック・クックと会いました。
そのとき彼からアトラクションの「カリブの海賊」をベースにした映画をやってみないかと持ち掛けられ、その後、次々とつながっていったんです。
最初に脚本をいただいた時と、彼らが望んでいたキャラクターを僕はだいぶ変えました。
彼らには別の考えがあったようだけど、僕には、当時3歳だった娘と一緒に見ていたアニメーション映画やカートゥーンの数々から、あるアイデアが浮かんでいました。
バッグス・バニーとかロードランナーとかワイリー・コヨーテを見ていて僕の頭から離れなくなったことは、たとえばワイリー・コヨーテに巨大な岩が落ちてきてペシャンコになっても、次のシーンで彼は頭にバンドエイドを×印につけているだけなのは、一体どういうわけだろうということでした。
それは「不信の一時的停止」を遥かに超越したものだよ。そこで僕はそれを押し広げることができないだろうか、映画での演技でそのコンセプトの範疇やパラメータを広げることができないものだろうかと思ったんです。
そのコンセプトをキャラクターの中に吹き込むため、どのようなアプローチをしましたか?
僕の頭の中ではこういうイメージなのですが、ひらめきが飛翔して、シナプシス(対合)に火がつき、アイデアが湧いてきます。
また、僕が大好きな2人の作家が言っていた言葉をよく覚えています。
ジャック・ケルアックは、最初に浮かんだ考えこそが最高の考えだと言っていましたし、アーネスト・ヘミングウェイは小説の執筆について尋ねられたとき、真実の一文を書くことだと言っていました。
だから僕もキャプテン・ジャックについて考えたとき、その発想を考慮に入れたんです。
最初に思い浮かんだことについて、そして何が真実かということについて。
最初に思ったことは、あのカートゥーンのパラメータでした。
それをどうすれば実現できるだろうか? どうやってアプローチすればいいだろうか? 徹底的に不遜でいても受け入れられるためには、一体どうすればいいんだろう? と。