今回は、どちらも9月23日に公開される、実話を基にした、まさに「事実は小説より奇なり」の2本を紹介する。
水俣病の存在『MINAMATA-ミナマタ-』
1971年、ニューヨーク。かつてアメリカを代表する写真家とたたえられたユージン(ジョニー・デップ)は、今は酒に溺れる日々を送っていた。
ある日ユージンは、アイリーン(美波)と名乗る女性から、日本の熊本県水俣市のチッソ工場が海に流す有害物質によって苦しんでいる人々を撮影してほしいと頼まれる。
ユージンが水俣で見たのは、水銀に侵され、体が不自由になった人々の姿や、激化する抗議運動とそれを力で押さえ込もうとする工場側、という驚きの光景だった。最初は、乗り気ではなかったユージンだが、患者やその家族と触れ合う中で、次第に撮影の意義を見いだしていく。
水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集『MINAMATA』の製作過程を、事実に基づいて描く。監督はアンドリュー・レビタス。音楽は坂本龍一。
少々意地悪な見方をすれば、このところ、私生活のスキャンダルなどで精彩を欠くデップにとっては、自分と似たような性癖を持った男の再生の物語であり、公害の告発という社会性もあるこの映画の主演とプロデュースは、起死回生の一策として必然だったとも考えられる。
そして、きれいに描かれ過ぎたていたり、ご都合主義と思えるところもなくはないのだが、決して興味本位ではなく、デップも、レビタス監督も、真田広之をはじめとする日本人キャストも、この問題と真摯(しんし)に向き合っているところには好感が持てる。
何より、これはドキュメンタリーではなく、事実を基にしたドラマなのだから、そこに“真実”を求めても仕方がないのだ。この映画が、水俣病や公害、引いては原発の問題などを考えるきっかけになれば、それはそれでいいと思う。
デップは、いよいよ怪優として“マーロン・ブランド化”してきた感もあるが、その横で、ユージンを手助けする『LIFE』編集長役のビル・ナイ、反対派のリーダー役の真田、チッソ社長役の國村隼が好演を見せる。
キューバ危機の舞台裏『クーリエ:最高機密の運び屋』
1962年10月、アメリカとソ連の対立が激化し、キューバ危機が勃発する。世界を震撼させたこの危機に際し、戦争回避に決定的な役割を果たしたのは、実在の英国人セールスマン、グレビル・ウィン(ベネディクト・カンバーバッチ)だった。
スパイの経験など一切ないにも関わらず、CIA(アメリカ中央情報局)とMI6(英国秘密情報部)の依頼を受けてモスクワに飛んだウィンは、平和を願って国に背いたGRU(ソ連軍参謀本部情報総局)の高官ペンコフスキー(メラーブ・ニニッゼ)と接触を重ね、そこで得た機密情報を西側に運び続けるが…。
キューバ危機の舞台裏で繰り広げられた知られざる実話を基に、戦争回避のために命を懸けた男たちの葛藤と決断、友情をスリリングに描いたスパイ・サスペンス。監督はドミニク・クック。設定や背景は異なるが、同じ時代を背景にしたスティーブン・スピルバーグ監督の『ブリッジ・オブ・スパイ』(15)のことを思い出した。
サーカスのジンタを思わせるような、ユーモアともの悲しさを併せ持ったアベル・コジェニオウスキの音楽が象徴するかのように、前半は素人スパイとなったウィンの困惑と高揚、ペンコフスキーとの友情が築かれていく様子が、時折ユーモアも交えながら描かれるが、後半はがらりと雰囲気が変わり、捕らわれた2人の悲劇が重厚に描かれる。
実話の映画化だから、史実は動かせないのだろうが、あまりにも落差の大きい、前半から後半への変転を見るのは、正直なところつらかった。
カンバーバッチは「ウィンとペンコフスキーの関係は、ある意味、プラトニックラブ。そこに心引かれる。この作品が単なるスパイ映画を超越しているゆえんはそこにある」と語っている。確かに、そこがこの映画のユニークなところだ。そのカンバーバッチにも増して、ニニッゼが好演を見せる。(田中雄二)