菅田将暉(左)とヤン・イクチュン

 2021年、新宿。かつて自分を裏切った仲間への復讐(ふくしゅう)を誓う新次と、吃音(きつおん)と赤面対人恐怖症に悩みながら理髪店で働く青年“バリカン”こと建二は、元ボクサーの堀口(ユースケ・サンタマリア)に誘われ、ボクシングを始める。共に競い合いながら実力をつけた2人は、やがてプロデビューを果たすが…。1960~80年代にかけて演劇、映画、評論など幅広い分野で活躍した才人・寺山修司。その唯一の長編小説の舞台を現代に置き換えて映画化した『あゝ、荒野』が、10月7日に前篇、10月21日に後篇と、二部作連続公開される。公開を前に、新次を演じた菅田将暉とバリカン役のヤン・イクチュンが、撮影の舞台裏を語った。

-前篇、後篇を通して、画面から伝わるものすごい熱量に圧倒されました。お二人が演じる上で、最も大事にしたことは何でしょうか。

菅田 やっぱり、ボクシングのトレーニングを半年やらせてもらったのが大きかったです。体を鍛えることが、この作品のベースになりました。試合シーンの撮影も後半の方だったので、撮影しながらずっとトレーニングをしていたんです。撮影でも、シャドーボクシングのシーンなんかは、今日はシャドーを何時間やっているんだろうというぐらいやる。そうすると、自然とたぎるものがいっぱいあって…。ウエートトレーニングも、持ち上がるようになったらうれしくなってモチベーションが上がるので、そういう「もっと!もっと!」と高ぶる気持ちを大事にしていました。

ヤン 一番気を使ったのは、バリカンとしての姿を見せるということです。ヤン・イクチュンが演技をしているんですけど、映画の中では、バリカンが存在しているように見せなければいけません。だから、その点に最も気を使いました。

-具体的にはどんなところでしょうか。

ヤン 今回は、準備することがたくさんありました。ボクサーの役なので、体を作るだけでなく、そのテクニックも覚えなければいけません。その上、バリカンは理容師ですから、髪を刈る技術を身に付ける必要もあります。私は日本語が得意ではありませんが、せりふは日本語の上に、普通に話すのではなく吃音です。実際に吃音の方とも何人かお会いしたんですけど、どう演じたらいいか分からず、パニックになりました。宿題が山積みで、本当に大変でした。また、新次との感情の触れ合いについても、表には描かれていない隠れた部分を大切にしながら演じていました。

-演じる中で、お互いに刺激を受けた部分はありますか。

菅田 お芝居に触発されるようなことは全シーンでありました。ライブ感のある現場ですごく楽しかったし、それを求めていたこともあって、とても安心できたんです。でも、それ以上にびっくりしたのは、劇中でバリカンが描く新次の絵。あれは全部ヤンさんが描いているんです。しかも早いんですよ。現場で「寝てて」って言われて、その姿を描くんですけど、下書きなしであっという間。ヤンさんのその芸術的感性に驚いて、「ああ、この人は本当にものを作る人なんだな」と感動しました。

ヤン 私たちは、人前でズボンを脱ぐとなると、どうしてもためらいますよね。でも、菅田さんは、まったくちゅうちょせずにパンツ一丁になって、すぐにボクシングを始めるんです。そのためらいのなさがうらやましかったです。新次は人前で恥ずかしがったりしない人物なので、菅田さんはどんな時も自分を投げ出せる人なんだなと。私がズボンを脱げと言われたら、パンツに何かついていないか気になってしまうでしょう(笑)。

菅田 いや、僕も普段からパンツ一丁にはならないですよ。でも確かにこの現場、ずっとパンツ一丁でしたね(笑)。

-撮影は役者が自由に動き、それをカメラが追うという方法で行われましたが、感想はいかがでしょうか。

菅田 僕は同じことが何回もできるタイプではありませんが、ヤンさんも本番になると全然違うことが生まれてくるんです。しかも、その度に笑いも起きる。でもそれは、僕自身も望んでいたことでした。そういう時間の方がより、新次とバリカンになれますから。例えば、2人でシャワーを浴びているシーンや、夜中に起きた2人が勝手にボクシングを始めるシーンなんかがそうです。撮影の時の記憶としてパッと思い出されるのは、やっぱりそういうシーンなんです。

ヤン いい記憶しか残っていません。監督が周りの人に対して気遣いをして下さって、とても繊細に現場を動かしてくれました。現場にいる人たちも上下関係ではなく、同じ目線で撮影をしている同僚だという雰囲気があり、とても健全な姿で皆さんが撮影に臨んでいたような気がします。だから、大好きな現場になりました。

-お客さんには、この映画をどう受け止めてもらいたいですか。

ヤン 最近、昔の大きなレコード盤を聴く方が増えているように、今、私たちは新しいものに疲れているような気がします。文明が発達した現代は何でも自動になり、自分の手で何かをすることが減っています。どこかに出掛ける時、エスカレーターやエレベーターを使うことは当たり前。でもそうではなく、しっかり自分の足で歩いて行って、自動ドアではなく自分の手でドアを開ける。私たちは今、そんな生き方を求めているのではないでしょうか。この映画は、そういうふうに自分の力でしっかり生きている人たちの物語になっているので、共感してもらえたらいいですね。

菅田 ヤンさんがおっしゃった通りです。でも、もしかしたらそういった生き方が忘れられていることや、人とのつながりが薄くなっていることにすら気付いていない人もいるかもしれない。僕がお芝居をするのは、そういうことに対するどこか使命感みたいなものもあります。ヤンさんとお芝居をする中で、人と人がぶつかった時にしか生まれない熱や美しい瞬間みたいなものがありました。僕はそこに心から感動したんです。今はそういうものを目にする機会が減っていると思うので、この映画が、見た人に何かを喚起する作品になってくれるとうれしいです。

(取材・文・写真/井上健一)

『あゝ、荒野』
10月7日(土)前篇、10月21日(土)後篇 新宿ピカデリー他2部作連続公開
制作・配給:スターサンス
出演:菅田将暉、ヤン・イクチュン、ユースケ・サンタマリア 他
原作:「あゝ、荒野」寺山修司(角川文庫)
監督:岸善幸