東京湾の水が多摩川に大逆流するポロロッカ現象が起きる。そうなったら下町一帯は高波に呑まれて壊滅する――。
そんな噂がどこからともなく流れ、住民の心を蚕食していく。もちろん根拠など特にない話である。おそらくはデマだ。しかしデマであるかもしれない話であっても、そのことによって不安にさせられてしまう人はいるのである。
「でも南米や中国では大逆流してるらしいすよね。それが地球の異常気象のせいで大潮が狂いはじめて多摩川にも襲いかかってくるって話で」
そんな風に畳み掛けられると、嘘だと思っていても不安になるんじゃないですか? 「地球の異常気象のせいで」って、なんだか便利な説得文句だ。

   

 

 

東京ポロロッカ
原宏一
光文社
1,680円

 

 

 

 

 原宏一『東京ポロロッカ』は、そんな噂が流れ始めた街の人々が登場する連作小説である。七篇が収録されており、多摩川流域に住むさまざまな職業・立場の人々が主役を務める。
第一話「大田区糀谷 居酒屋 河ちゃん」は、東京の鉱工業を支える町のお話だ。町居酒屋にやってくる金型屋の社長、矢野倉には悩み事がある。次男の憲二が矢野倉製作所の従業員となって働き始めたのだが、その態度がどうにも気にくわないのである。店にやってきた矢野倉はさんざんそのことをこぼした後で、町工場経営もそろそろ潮時か、という意味のことを言って去っていった。「河ちゃん」の主である河嶋は、その様子が心配になって矢野倉のことを気にかけ始める。そして矢野倉製作所に、経営の危機の噂があることを知るのだ。そのことを知ってか知らずか、矢野倉の長男の悠一は工場を売却して移転することを主張しているという。なぜならば、間もなくポロロッカがやってきて、この町を飲みこんでしまうからだ。

 この世に生を受け、暮しているからには誰も無傷で日常をやり過ごすことはできない。みんなどこかで無理をして、歯を食いしばりながら生きているのだ。だから心のどこかに必ず弱い部分がある。よくない噂はそこに入りこんでくるのである。入りこんできて、あたかもそれが唯一の助け舟であるかのように装い、とんでもない泥舟を差し出してくる。第二話「大田区田園調布 徳大寺家」は、豪邸に一人で暮す老婦人と(彼女の伴侶は脳梗塞のために入院中なのだ)、奥様を心配するお手伝いさん・芳江の話だ。孤独に暮す奥様が、最近になっておかしなそぶりをし始めたことに気づいた芳江は、それとなく観察を始める。そしてある人物と出会うのである。

 第一話では町工場の苦境、第二話では老いとそれに伴う孤独、第三話ではシングルマザーの心労といった具合に現代人が直面している諸問題が人物素描の形でさらりと示され、さらにそこに小説ならではの小事件が絡んでくる。描写と出来事とで小説が立体的にくみ上げられている形だ。そこにポロロッカの話題が絡む。ぞわぞわとした不安を後押しするために、悪い噂が人々の背中にすり寄ってくるのである。
おそらく本書は、山田太一原作・脚本のドラマ「岸辺のアルバム」を念頭に置いて書かれた小説だ。1970年代に放映されたあの作品では、中流家庭の平和が内部から噴出してきた問題によって崩れ去っていくさまが描かれた。多摩川の氾濫という出来事(1974年に実際に起きた)が、家庭の崩壊を象徴的に表すものとして用いられたのである。人々の幸せを壊すものは外からやってくるのではなく、内側から現れる。原はそうした真実に『東京ポロロッカ』で再び向き合ったのである。「岸辺のアルバム」のように家が流されてしまうのかどうかは、読者の知る楽しみを奪わないためにここでは書かずにおこう。

 なお、本書は「小説宝石」に2010年11月号から2011年4月号まで連載され、書き下ろしを1話追加して書籍化されたものだ。ポロロッカの描写に東日本大震災を思わせるものがあるが、偶然の一致である。しかし、ここで扱われているデマの問題は、大震災直後に現れたさまざまな状況を連想させる。人の心が弱いほうに流れるという真実を、原は震災前から予見していたということもできるのだ。
人の心は弱い。だから絶えずつっかい棒になるものが必要なのだ。さもないと空いた戸の隙間から、よくないものが入りこんでくるから。

すぎえ・まつこい 1968年、東京都生まれ。前世紀最後の10年間に商業原稿を書き始め、今世紀最初の10年間に専業となる。書籍に関するレビューを中心としてライター活動中。連載中の媒体に、「ミステリマガジン」「週刊SPA!」「本の雑誌」「ミステリーズ!」などなど。もっとも多くレビューを書くジャンルはミステリーですが、ノンフィクションだろうが実用書だろうがなんでも読みます。本以外に関心があるものは格闘技と巨大建築と地下、そして東方Project。ブログ「杉江松恋は反省しる!