――夜勤は夜だけ働けばよい。当直は朝から働いて夜もそのまま働かなければならない。のみならず、当直制度の非人間的なところは、ようやく朝を迎えれば、そのままその日も夜まで働くという点にある。つまりは徹夜明けで朝から胃カメラをやるというのが、前提の制度なのである。もちろん、徹夜で検査をして小病変を見落とせば、その責任は、医療制度ではなく医師個人に帰せられる。

――要するに「先生、先生」と言葉だけは持ち上げておきながら、背後に拳を握りしめ、いつ殴り倒してやろうかと窺っているのが今の医療現場ということなのだ。

医師が苛酷な職業だということは、頭では理解していてもなかなか生の感覚では受け止めにくい。だが、こうした言葉で語られると、それも心に響くのではないか。

2009年に『神様のカルテ』で第10回小学館文庫小説賞を受賞し、デビューを果たした夏川草介は長野県で地域医療に従事する現役の医師でもある。『神様のカルテ』の主人公・栗原一止は、大学の医学部を出ながらその医局に戻らず本庄病院という地域の総合病院で働き続けている内科医だ。一止の人物像がどの程度夏川本人のそれを反映しているのかは定かではない。なにしろ一止は夏目漱石を敬愛し『草枕』を座右の書として、日々の言動までそれに倣っているという変人なのだから。しかし医師としては誠に良心的な人物だ。

本庄病院は「24時間365日対応」を標榜する地域の医療拠点である。当然救急病院であり、当直の夜ともなれば無数といっていいほどの患者を診ることになる。また一止は「ヒキのいい」医師でもあるのだ。彼が担当した夜には、いつも以上に救急の連絡が入ってくる。医師とて人間である。そんな激務をいったいどうやってこなせばいいのか。「がんばるしかない」が現場の解答なのだろう。では「がんばってもこなせない」量の患者が来たらどうするのか。「さらにがんばるしかない」がその答えのはずだ。

冒頭の一止の述懐を読み直してもらいたい。慢性的な人手不足、診療件数に対する医師数の不均衡という状況がある。最前線で医師は疲弊しきっている。経営不振に陥って閉院する地方病院も続出しており医療制度は崩壊しかけているが、その中で制度を支えるべき医師そのものが限界を迎えている。

この絶望的な状況を正面から描くという難事に夏川は挑戦した。しかも栗原一止という奥行きのある人物を設定し、彼のユーモアの助けを借りて、どんな読者でも物語に入れるように工夫したのである。一止のキャラクターが秀逸であるために、その味に頼った作品と受け止める人もあるかもしれないが、誤解である。彼は喉越しを和らげるためのフィルターなのである。一止なしでも作品中で起きたような事態を小説にすることは可能かもしれないが、そこには大事なものが欠けてしまうはずだ。