おそらく本作を読んだ現場の医師たちは、一止がどんな場合でも人としての優しさを失わない主人公であることに安堵の気持ちを覚えるのではないか。人らしい感覚を持ち続けることが難しいほどに厳しい職場環境、時には人間らしい感情を捨てて事に望まなければならないことさえある医師という職業を、できるかぎり「人間らしく」描こうというのが作者である夏川草介の執筆意図だったはずである。だが、それには困難がつきまとう。栗原一止という人間の容量は、どこまで医師の職業の苛烈さに耐えられるものなのか。
これまでのシリーズ作品では、さまざまな形で「医師が人間らしくあり続けること」の可能性について突き詰められてきた。第一作『神様のカルテ』は、日本の医療システムを支えてきた医局制度から自らの意志で離れた主人公が、そのことの是非を問われることになったのである。小説は、彼がある意志表示をすることで終わる。
実はこの作品には仕掛けがある。一止には彼の疲れた心を包みこんでくれる優しい妻・榛名がいて、住居である御嶽荘の友人たちがいる。一止の周囲にいるのは、彼と同じく前を向いて進もうとする人々、疲れた人を見ればそっと手を差しのべてくれるような仲間ばかりなのだ。その存在がなければ一止が前向きに医師という仕事に取り組むことも不可能だっただろう。「人間らしい医師」という主人公の造形を成立させるためには、若干のファンタジー的な要素が入りこんだとしてもやむをえない、という作者の判断だったのである。
第二作『神様のカルテ2』は、第一作よりは現実の側に舵を切った作品である。作者は、一止の大学時代の親友である進藤辰也を登場させた。進藤は、医師である自分と人の親であり、家族の一員である自分との間で引き裂かれてしまった人物なのである。「さらにがんばる」には「限界があった」のだ。進藤との対比で、一生を現場の医療に捧げたある医師の肖像が描かれる。その老医師の生きてきたありようが、進藤、そして一止のそれと重ね合わされるのである。