(写真左より) 横浜F・マリノスの黒澤良二社長、松田真紀さん、波戸康広アンバサダー、栗原勇蔵クラブシップ・キャプテン (C)Y.F.M.

8月3日、松田直樹さんご逝去10年を迎えるにあたって、記者会見がオンラインで行われた。会見には横浜F・マリノスの黒澤良二社長、波戸康広アンバサダー、栗原勇蔵クラブシップ・キャプテンが出席、次のようにコメントした。

黒澤社長「この10年で彼と接点を持っていない選手やスタッフ、彼を知らないファン・サポーターが増えているのも事実。松田直樹さんという偉大な選手がいたことをクラブが続く限り発信することは使命として取り組まなければならない」
波戸「彼と出会ったのは高校選抜の時。F・マリノスに復帰してから同学年ということでキャンプで同部屋になり、サッカーのこと、プライベートのことを明け方まで語った思い出がある」
栗原「マツさんは7個上。中学校からマリノスに入り、同期の榎本哲也と話していた。榎本は『俺は川口能活になる』と言い、自分は『松田直樹みたいになる』と話し合っていた」

改めて松田直樹さんの印象を問われた波戸と栗原はこのように答えた。
波戸「やっぱり、プレーとスピリット。一番すごかったのは人の心を動かすこと。彼はいるだけでみんなをまとめ上げるような存在だった」
栗原「プレーはもちろん、存在感。18年間やってきた中でも存在感は一番、あの存在感を超える人はいない。松田さんが亡くなってAEDを普及されたのも間違いないし、AEDで助かった命も数多くある。亡くなっても存在感がすごい。もし生きていたら、マリノスにいてくれたらと考えることがある」

AEDの重要性を質問されると、ふたりはこう語った。
波戸「AEDの普及が進んで本当に助かった命がある。彼のような悲劇を起こさないよう啓発活動をやってきたが、普及が進んできたのだと思う」
栗原「マツさんの時にAEDが普及していればという後悔もある。AEDで助かったというニュースを見るたびに『またやったよ、マツさん』という気持ちになる」

また直樹さんの姉・松田真紀さんもオンラインで参加し、感謝の言葉を口にした。
「毎年、松田直樹への思いを形にしてもらい、感謝しています。生前からずっと松田直樹を愛していただき、ありがとうございます。直樹のようなことを二度と起こしてはいけないと命つなぐアクションが始まりました。誰でもスポーツを安心・安全に楽しめる環境づくりができることを願っています」

クラブは命日の8月4日にふたつの取り組みを行う。松田直樹さんへの想いをツイートしてもらう#FOREVER3オンライン記帳の実施と、ご逝去後初めてとなる背番号3の1stユニフォームとプレーヤーズTシャツを販売(売上の利益全額はクラブが実施するCPR(心肺蘇生法)・AEDの普及啓発事業、子どもたちへのサッカー普及活動などの費用に充てられる)。詳しくはクラブ公式HPまで。