【メイカーズを追う・4】 今回登場するのは、世界中の風景を4K映像で映し出すことのできる窓型スマートディスプレイ「Atmoph Window」を開発したアトモフの姜京日社長。アメリカ留学時代、研究生活で壁にぶつかっていた姜社長の抱いたある思いからこの製品は生まれた。京都・烏丸を拠点とする同社で実物を見ながら、製品の特色や優位性、そしてこれからの展開について聞いた。
取材/エルステッドインターナショナル代表 永守 知博・BCN+R編集長 細田 立圭志 文/小林 茂樹 写真/松嶋 優子
隣のビルの壁しか見えない「窓」を何とかしたかった
私は今回はじめてAtmoph Windowを実際に見たのですが、思った以上に映像が美しいですね。
ありがとうございます。Atmoph Windowに映し出される映像は、すべて自社制作しているんです。窓の外に見える景色ということで、テレビの素材のようにズームしたりパンしたりせず、定点にカメラを設置して撮影しています。
世界の約3000カ所で4K撮影を行い、現在リリースしている映像は1200本です。自社のカメラマンに加え、海外では7人の提携カメラマンが撮影にあたっています。自然の風景以外では、ディズニーと提携して、ディズニーやスターウォーズの画像を基に製作したCG映像もリリースしています。
スタートアップベンチャーが、いきなりディズニーと提携とはすごいですね。それだけ新奇性が認められたということだと思いますが、そもそも姜さんはどんな経緯でこの製品を開発されたのですか。
私は小さい頃からガンプラやラジコンが好きで、学生時代はロボットの研究者になりたいと考えていました。青山学院大学で機械工学を専攻した後、南カリフォルニア大学で博士号をとって研究者になろうと考えていたのですが、周りに天才がゴロゴロいてとても彼らに太刀打ちできないと、独り暮らしのアパートで悶々とした気持ちで過ごしていたんです。
外に出ればカリフォルニアらしい爽やかな風景が見られるものの、自室の窓からは隣りのビルの壁しか見えません。これではストレスがたまる一方です。その状況を何とかできないかと、ずっと模索してきたことがAtmoph Windowの開発につながりました。
部屋にいながら美しい景色で気分をリフレッシュしたいという思いが、新たな製品のニーズに結びついたわけですね。
そうですね。博士号をあきらめたことの引き換えに、このアイデアが浮かんだのかもしれません。帰国後は、NHN Japanを経て任天堂でソフトウェアエンジニアを務めていたのですが、2014年に任天堂の同僚だった天才プログラマーの中野恭兵を誘い、デザイナーの垂井洋子とともに、この会社を設立しました。
サブスクリプションで収益が安定
ということは設立7年目ですね。業績はいかがですか。
これまで大変な時期は何度かありましたが、今は上向いています。販売台数は累計で1万台を超えました。現在は国内9割、海外1割で購入者の9割は個人客です。個人にターゲットを絞ったためその点は狙いどおりですが、今後は海外比率を高めていきたいと考えています。
個人をターゲットにしているとのことですが、どのような価格設定になっているのですか。
本体は4万5000~7万円です。価格差はフレームの材質の違いで、ディスプレイ部分に変わりはありません。コンテンツについては、月額980円で1200本が見放題というサブスクリプションシステムを導入しており、これにより収益の安定を図れるようになりました。
やはりハードウェアをただ売るだけでなく、そうした形でソフトとあわせて売っていく必要があると。
おっしゃるとおりですね。ハードの売り切りだけではなかなか利益が出ないというのが正直なところです。
3台並べて大きな「窓」にすることもできるのですね。
今は3台までですが、将来的には10台つなげることができるようにしたいと思っています。そのためには解像度を高める必要があるため、これまでは4Kで撮影していましたが、現在は6Kで撮影しており、いずれは8Kに切り替えていく予定です。
ハードウェアのスタートアップはハードルが高く、生き残っていくことは容易ではありませんが、姜さんには、何かサバイブするための秘訣はあったのですか。
うーん、どうでしょうか。始めるときは他に似たような製品があるのではないかとか、つくってもすぐに真似されてしまうのではないかとか、新しい概念の製品だけに買ってくれる人がいるのか、といった不安はありました。でも、デジタルサイネージで映像を映し出しているのは、駅や大きなオフィスビルなど法人需要がほとんどで、Atmoph Windowのように個人向けのものは世の中にありません。
また、家にいながらにして旅行気分を味わうという、新たなライフスタイルも浸透していくのではないかと思いました。製品のリリース前にクラウドファンディングを行ったのですが、そこで一定のニーズが見込めたため、なんとか生き残ってきたというところですね。
なぜVRではなく「窓」だったのか
競合対策としては、どんなことを意識していますか。
先ほどお話ししたように、定点から撮影した映像はすべて自社制作です。15分間も一定の場所から撮影した映像は既製品がないため、それが一つの強みとなり、このコンテンツをどんどん増やしていくことが重要だと考えています。
また、ネットワーク配信のシステムについてもすべて自社で開発しています。さらに、ディスプレイについても自社で設計し、台湾のメーカーに生産を委託しています。このようにコンテンツもシステムもハードもすべて自社で開発できることが、競合対策になると考えています。
ところで、気分をリフレッシュしたり旅行気分を味わうためにはVRなどの活用も考えられると思うのですが、なぜ「窓」だったのですか。
VRですと、その風景を楽しめるのは1人だけで、その間、別のことはできません。そして、ゴーグルを外した途端、現実に戻ってしまいます。それが「窓」であれば、常にそこにあるものとして生活を豊かにすることができます。
今はコロナ禍で在宅ワークをされている方も多いと思いますが、仕事をしながらでも、時折美しい風景で心を癒すこともできるわけです。実際、この一年、多くのお客様から「外出や旅行ができないストレスがAtmoph Windowによって緩和された」という声が届いています。そうした方々の生活に貢献できたことは、とてもうれしいですね。
3年後に年間10万台の販売目指す
今後の製品展開についてはどう考えていますか。
Atmoph Windowが部屋にあることが当たり前になり、いつか「Atmoph Window10」が出せるようにしたいですね。また、「風景と旅行」「風景とEC」といった相関を充実させていきたいと思っています。例えば、カリフォルニアのワイナリーの風景動画が表示されると、その場所の地図が表示されたり、ワインのECサイトに飛ぶことができたりという機能によって、新たな収益源の可能性が広がるわけです。
ということは、Atmoph Windowをとことん深掘りして、圧倒的なシェアをとっていくということですね。数値的な目標を教えていただけますか。
3年後には年間10万台を目標にし、近い将来、累計で100万台を目指したいですね。もちろん、そのためには常に進化させていくことが必要です。そして、プロモーションについては、現在は口コミやインフルエンサーによるものが中心となっていますが、これを新たな販路の開拓とともに、海外にも波及させる体制を整えていきたいと思っています。
世界に出たとき、ビッグプレーヤーが立ちはだかる可能性もありますが、その場合どう対抗しますか。
より速くコンテンツを増やしていくことと、より速く風景に関連するユーザーコミュニティをつくることですね。ユーザー自身が撮影した風景をアップロードできるようにする予定ですし、ライブカメラを設置したユーザーが収益化できる仕組みもつくっていきたいと思います。「風景といったらアトモフ」という立場を確立することが大事だと思います。
上場を目指すとうかがっていますが、そのために必要な要素はなんでしょうか。
やはり、開発力とコンテンツ制作力が二つの柱になると思います。それに加え、人材をさらに充実させていくことが必要です。
もともとの強みである自社開発・自社制作がカギになるわけですね。人材という面では、今はどのような状況なのでしょうか。
現在は総勢20名で、男女比は半々です。全体の3分の1は外国出身で、多様で優秀な人材がそろっています。
まさにダイバーシティですね。
グローバル展開を目指す上でも、多様性は必要だと思いますね。また、ここ京都には芸術系を含め優秀な大学が多く、新たなチャレンジを求める人がたくさん集まってくるというメリットもあります。もちろん、神社仏閣や自然豊かな風景にも恵まれているため、コンテンツ撮影の面でも有利なんです。外国からのお客様も、京都というだけで喜んでいらっしゃいますし(笑)。
なるほど、京都にはそうした地の利もあるのですね。今日は、興味深いお話を聞かせていただきました。今後のご成功を心より期待しております。
姜 京日 (かん・きょうひ)
アトモフ共同創業者・代表取締役。ロボット工学を専門に、青山学院大学で機械工学の学士、南カリフォルニア大学(USC)でコンピュータサイエンスの修士を取得。その後NHN JapanでUser Interface Technology室を率い、任天堂でゲーム機器のオンライン関連UIの開発を行う。東京生まれ、ブラジル音楽が大好き。