撮影:源賀津己

ドキュメンタリー映画『バケモン』で、裏の裏までさらけ出した笑福亭鶴瓶。同作の重要な縦軸として描かれていた古典落語「らくだ」には、現代にも通じるエッセンスが隠されている。たとえば〝幸せってなんだっけ?〟という問いかけ。笑福亭鶴瓶に今年の落語会の見どころと幸福論について聞いた。

「『らくだ』の主人公は、幸せだったかもしれないと思うんです。長屋の連中みんなから嫌われていたけど、そんなの関係なく人生をやり切った幸せというか。そもそも、幸せの形なんて人それぞれですけど、僕の場合なら17年間も追いかけてくれる人がいてくれたのが幸せでした。その人の映画のおかげで〝舞台での生の『らくだ』が観たい〟という声が届くんですけど、今年の落語会では『死神』をやろうかなぁと考えています。いろんな落語家がそれぞれのサゲ(※オチ)で演じてる噺なんですけど、米津玄師さんの曲が話題にもなってるでしょ? 『アジャラカモクレン、テケレッツのパー』という呪文までもが歌詞になっててめっちゃおもろい。僕の『死神』はサゲはもちろん設定にも独自の解釈があるから、いま『死神』をやるのはおもしろそうやなぁと。そのうえで、昨年のツアーで行けなかったところでは、映画で届いた声にこたえるじゃないですけど、『らくだ』をやる予定です」

次回公演への全方位的なサービス精神を、自身が感じた幸せエピソードを交えて語ってくれた鶴瓶だが、より大上段に構えての〝幸福論〟ならばどうか。

「もうすぐ70歳なんですけど〝次、なにしよう?〟と思える幸せってあるんやなぁって。毎年の落語会にしても、あれやろう、これやりたいと思える幸せ。10代の人のなかには〝やりたいことがわからない〟という子もいるんでしょうけど、いろんなことをやってみればいいのにと思うんです。〝これも違う、あれも違う、違う違う違う〟となってもいいから、とにかくスタートしてみる。そしたらね、自分で決めるのか人が決めてくれるのかはわからないけど〝これだ!〟というものに巡り会えるはずですから。そういう意味では、僕にとっての幸せを遠ざけるものって動かないことかもしれない。僕は死ぬのは怖くない。それよりも、動かず、なにもしないことのほうが怖いんです」

映画『バケモン』での鶴瓶は言った。「なにもしなければ道に迷わないけれど、なにもしなければ石になってしまう」。こんな時代だからこそ、笑福亭鶴瓶は止まらない。

取材・文:唐澤和也