アイ・オー・データ機器の細野昭雄会長

今年9月にアイ・オー・データ機器(I・Oデータ)の経営を濱田尚則社長に引き継ぎ、代表取締役会長に就任した創業者の細野昭雄氏にその経緯と今後の活動について聞いた。IoT時代のホームネットワークのセキュリティで、今こそ業界が一致団結する重要性を熱心に説く。


取材/本紙主幹 奥田 喜久男、構成・文/細田 立圭志、写真/松嶋 優子

■DLPAが家庭のIoT時代の「セキュリティセンター」に

欧米に飲み込まれる前にプラットフォームをつくる

奥田 創業41年のタイミングで社長を交代されたのはなぜですか。

細野 昨年40周年を終えたのと、昨年2月に東京証券取引市場第一部に上場して、一区切りついたので。

奥田 41年目で一部上場1年目ということですね。

細野 それと、もう少し先を考えたときに、日本はIT奴隷国家になってしまうのではないかという危機感もあり、プラットフォームをつくりたい思いがありました。今年、超小型コンピュータのRaspberry Piをリリースしたり、子どもたちのプログラミング教室活動をはじめたり、三十数年前のIT業界で行っていたようなことをはじめたこととも関係があります。Raspberry PiでAI(人工知能)を勉強するソフト開発の国内ベンチャーがいないわけではないことがわかってきたので、誰かがプラットフォームを提供しないと、その技術が埋もれたままになってしまうと考えました。欧米のAIやクラウドに頼りきりではいけないでしょう。

奥田 米国の大リーグチームを日本のチームが負かすように、年月をかけて主従関係を逆転させたいと。

細野 逆転とまではいかないかもしれませんが、少なくとも言われっぱなしではない何かを持たないと、グリップできなくなります。具体的には、インターネットでiTunesをはじめ音楽を聞き放題で楽しめる環境にありながらも、スマートフォン用アプリの「CDレコ」のようなものを粘り強く出し続けていくことです。家庭内に20枚や30枚あるCDを「CDレコ」を使って簡単にスマホで聴けるように、独自でクラウドを開発する気持ちを持ち続けたいです。

奥田 プラットフォームというステージをつくって、その周辺で事業展開するのが上手ですね。

細野 10年、20年前と違ってビジネスでは今後もライバルでありつづけながらも、各社と連携していかないと、業界をけん引する存在がいなくなってしまうのではないでしょうか。

奥田 ライバルとは、エレコムとバッファローのことだと思いますが、お互いで何をしていこうとお考えですか。

細野 3社が加盟するデジタルライフ推進協会(DLPA)で、IoT時代のホームネットワーク・セキュリティに関する情報の共有や対策方法などを、今年の春に立ち上げた「サイバーセキュリティタスクグループ」で討議を重ねています。DLPAの会員にはNECプラットフォームズさんも入っているので、4社で国内のホームネットワークのほぼ9割以上をカバーできます。DLPAの存在感や果たすべき役割はすごいんですよ。

奥田 タスクグループの具体的な活動は。

細野 家庭用IoT機器へのサイバー攻撃の脅威を指摘している横浜国立大学の吉岡克成准教授を顧問に招いた勉強会など毎月1回開催しています。各社が持つセキュリティ対策情報を集約し、情報のないところにも共有していかないとサイバー攻撃は防ぎきれません。

民間企業1社では対応できず、誰かがプラットフォームをつくらなくてはいけません。将来的にはセキュリティセンターのようなものができればいいですね。セキュリティの情報は各社がそこから入手して、独自UIや見せ方、プラスアルファの機能面で競争すればいいと思います。

マクセルと自前クラウド構想で新規マーケットを開拓

奥田 協業という点では、マクセルと資本業務提携しましたね。接触したのは、どちらからですか?

細野 一年かけて話し合いましたが、実は10年以上も前からiVDR規格のPC用レコーダーやカートリッジなどのビジネスで取引がありました。お互いの特徴を持ち寄れば、新しいビジネスや、思いもつかなかったカテゴリでのマーケット開拓の可能性が十分にあると感じたので、当社の5%弱の株式を持っていただくことにしました。

奥田 ミーティングは、どのような分野から始まっていますか。

細野 初歩的でローカルなIoTのクラウドは独自でつくっていかなくてはいけません。もちろん日立グループのクラウドに頼ることもできますが、自らつくる必要性は両社の共通認識です。そういう意味でも、「CDレコ」のアプリのクラウド化は当社にとってエポック的な出来事でした。月間1000万曲以上のアクセスがあるし、日々、全国のスマホで再生される楽曲や時間、位置情報のビッグデータが集まります。

クラウド化して2年半で得たノウハウや知見を生かしながら、独自クラウドを使った映像配信サービスやサーバーとしてコンテンツをためておくNASなどを組み合わせると、面白いソリューションが生まれるでしょう。また、プロジェクターやテレビなどで高い技術力を持った戸塚工場の部隊がマクセルにいるのも期待できます。技術者不足がこれだけ叫ばれているなか、約250人もの技術者がいるのですから、生かさない手はありません。

■プロフィール

細野昭雄会長

1944年、石川県金沢市生まれ。62年、石川県立工業高校電気科を卒業し、ウノケ電子工業(現PFU)に入社。65年、金沢工業大学の情報センター職員に。70年、バンテック・データ・サイエンス(現エヌジェーケーテクノ・システム)入社。1976年、アイ・オー・データ機器を設立、代表取締役社長に就任。2017年9月、会長に就任。

【こぼれ話】

「僕の名刺、まだ持ってないでしょ」と、嬉しそうに照れ臭そうに名刺を手渡す。「はい、まだですよ」。細野さんはいつもニコニコしながら面談の場所にやってくる。でも今日はいつになく格別の笑顔だ。9月26日の株主総会で会長に就任した。その日は会社設立76年1月10日から数えて41周年になる。73才から52才の新社長濱田尚則さんに若返った。

嬉しそうにしていたのは細野さんばかりではない。実は取材者の私自身もこの日を今か今かと心待ちにしていた。なにせ細野さんとは創業間近からのご縁なので、いつの間にか身内の気分だ。仕事柄一定の距離は保ち続けるよう心がけている。が、この日ばかりは私も感情移入する対談となった。一般的に上場企業の経営者は話題に慎重だ。

アイ・オー・データ機器は91年3月28日に店頭公開。パソコン産業で創業した企業の中で上場が早い。昨年は東証一部となった。ますます社会的責任が高まる。資本金35億円、年商484億円、従業員490名、本社金沢。32才のものづくり経営者が、生まれ故郷のものづくり町で41年の社歴を刻んだ。経営資源の''ヒトモノカネ''の基盤を固め次の世代に継承した。それにしても13年1月の希望退職を募った時の創業者の心境を思うと「禍福は糾える縄の如し」。そこに経営の醍醐味を感じる。創業100年に向けて歩み始めた。

※『BCN RETAIL REVIEW』2017年12月号から転載