――確かに「衝撃を伴った体験」みたいなことの方を「リアル」と呼ぶことが多いですね。

MORRIE: そっちを「リアル」と呼ぶならば、僕にとっては、カフカや筒井康隆の小説の方がはるかに「リアル」なんですよ。 そういう体験を僕も人に与えたいって思ってるだろうし、もっと受けたいと思ってるし。でも、相対的なもので、そっちばっかりになっちゃうと、また微妙なところなんですけどね(笑)。
 

『デアボリカ』
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『DEAD LINE』
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それに70年代前半はホラーブーム、80年代にかけてはスプラッターブームがあった。映画だと『エクソシスト』や『オーメン』。僕が好きだったのは『デアボリカ』とか『マニトウ』とか。「SCREEN」のような映画雑誌の別冊で、すべてホラー映画や血が出てくる映画を集めた別冊が何冊か出ていて。それを片手に片っ端から観てましたね(笑)。僕が大学生の頃にレンタルビデオ屋ができたんです。当時は一泊500円くらいしたんですけど。そこで1日4,5本借りて。1日中大学に行かずに観てて(笑)。その頃バンドもやり始めたので大学行ったり行かなかったりで……。

――その頃はもうDEAD ENDは活動中だったんですよね。初期のDEAD ENDはホラー色が強いなって印象があったんですけど。
 

『ラヴクラフト全集 (1)』
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MORRIE: ラブクラフトが当時好きで。創元文庫から全集が出ていて、国書刊行会から出てるものもいくつか読んでましたね。僕はあの人 ホラー作家だとは思っていなくて。根源は恐怖であるというのが彼のテーマではあると思うんですけど。ちょっと僕からみるとフロイト的というか。

フロイトが ある時期から「死の欲動」という言葉を出すじゃないですか。『快感原則の彼岸』の中で「有機体の根本は無機物に還ること」、ある種プログラミングされてると。だ から違う言い方をすると「自己破壊欲動」。これが有機体の根源であるというテーゼを出すじゃないですか。まあホンマかどうか知らないですけど。僕の経験上というか直感的に、昔からそういうふうに思っていて。

――ホラーや国内文学などを経て、思想や哲学方面の本を読みだしたんですか?

MORRIE:82、3年のニューアカブームが大学の時なんですよね。僕はその時期は音楽一辺倒で、音楽に関しては色々聴いてたんですけど、あんまり他のものに関しては流行りってものに当時は距離を置くことが多くて。周りで何人かハマってる人もいたんですけど……、あるじゃないですか、ハマってる奴がダサいから嫌っていうのが(笑)。まあダメなんですけど、当時は僕も若かったし(笑)。流行りに飛びつくタイプでもないんで。ブームの頃は読んでませんでしたね。柄谷行人読み始めたのが89年だったりと、わりと遅いんですよ。
 

『ZERO』
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『定本 柄谷行人集(2)隠喩としての建築』 Amazonで購入

DEAD ENDの『ZERO』後あたりから、『隠喩としての建築』『内省と遡行』と2冊読んで、なんかすごいなーって思って(笑)。極上の推理小説を読んでるかのようなゾクゾク感というかスリル感があって。例えば僕同時期にニーチェも読みだしたんですけど、ニーチェは読んだ時「これはちょっと全部読まんとアカンな」という気にさせられたんですよね。

 
『差異と反復』
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そのへんから色々な本を読み出しましたね。当時、フランスの「ポストモダン」と呼ばれていた中で1番好きだったのはドゥルーズでしたけどね。なんか、基本的に「どうでもいいや」みたいなとこがあって(笑)。『差異と反復』はいまでもたまにパラパラ読むんですけど何言ってるかわからないところも結構あるんですけど(笑)。哲学書って先に同じ概念や直感を共有しておかないと。何読んでるかわからないと思うんですよね。